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幽冥婚姻譚〜契約夫婦の怪異録〜  作者:
第四話 疑心、暗鬼を生ず

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 椿は走った。

 組頭の女房が家を離れた隙に侵入し、あっさりと鍵の束を盗み出せた。逃げる時は、女房の声に慌てて寝所の窓から飛び出して――あとは無我夢中だった。

 鍵の束をしっかりと懐に仕舞って、真っ直ぐに蔵へ。不思議と、吹雪が視界の邪魔になることもなく、降り積もったはずの雪も椿の障害になることもない。五日も吹雪が続いているのに、道は開けているのだ。

 自分は一体、何処を走っているのだろうか。そんなことを考えてしまうほど、雪を踏み締める感覚は遠かった。夜に紛れたかのように足音すら消えてしまった気がする。

 身体が()()()()()()()()()()ように軽いのだ。


 ――これが、朧の貸してくれたという力の一部なのかしら。


 あとは、追いつかれる前に蔵を解放するだけ。この吹雪で見張はいない。鼠が事前に教えてくれたことだ。

 今しかない。椿は焦燥に駆られながら、必死で足を動かした。

 椿は柘植の境界の戸を大きく開け放つ。不思議なことに、降り積もっているはずの雪がない。しかし今はそんなことに気取られている暇はなかった。

 構わず足を踏み入れて、鳥居の道を直走る。そうなると蔵はもう眼前だった。

 椿は白い息を荒く吐きながら、不要になったほっかむりを外す。まじまじと蔵の扉を見上げながら、呼吸を整えた。

 大蔵が変わらず峻厳な空気を放つ。その影響なのか、吹雪は遠く感じた。


 椿の目線は、扉の一点――錠前へ。

 鍵の束を懐から取り出す。鍵は三つ。錠前それぞれに違うのだろう。冷静に、ひとつひとつ試して、ようやくひとつ、ガシャン――大仰な音を立てて錠前が外れた。

 あとは(かんぬき)のように扉から外すだけ――なのだが、両腕で抱えるほどの大きさの錠前は、ずしりと重い。椿の細い腕が今にも折れそうで、しかし根を上げるわけにもいかなかった。

 椿は慎重に、扉に引っかからないところへと落として、扉へと駆け寄り手をかけた。

 こちらも、女の細腕ではずんと重い。片方ずつ体重をかけて押して、ぎい――と鳴く扉。なんとか開くも、中は真っ暗闇だった。

 椿は迷うことなく突き進んだ。そし、二つ目の扉。こちらも同じように重々しい錠前と扉をそれぞれ開放して、三つ目の扉へと辿り着いた。

 やることは同じだ。

 重い錠前をゆっくりと外し、そして最後の力を振り絞って扉を開いた。


「何これ……」


 扉を開いた椿は絶句した。扉の先には朧と過ごした部屋があるのだと思っていたのだが、現れたのは壁――いや、真っ黒な隔たりだ。壁のように立ちはだかって、とても向こう側があるようには見えない。


 椿は思い切って触れてみる。そこには、厚い層のような――水の膜にでも触れているかのような不可思議な感覚がある。何かあるようで無いような。椿はそれに触れながら、そっと名を呼んだ。


「……朧?」


 聞こえるのだろうか。半信半疑だったが、声があった。


「……椿」


 壁一枚向こうの距離から、朧の声が届いた。しかし、朧がそこから出てくる気配がない。


「朧、扉を全て開いたのよ。こちらがわかる?」

「……いや、椿の声がどこからかするが、壁のままだ」

「どうして? 扉は開いたのに……」


 やはり、何か封に秘密があったのだろうか。しかし、思いついたように朧が言った。


「椿、手をこちらへと差し込めるか?」


 椿は隔たりに手を触れたままだった。朧の側は壁、しかしこちらは違う。椿は恐る恐る、隔たりに力を入れた。すると、ずぶずぶと手が隔たりへと飲み込まれていく。


「こちら側には来るなよ、手だけで良い」


 朧の言葉のまま、椿は右手だけを肩のあたりまでずっぽりとあっち側へと手を伸ばした。その、右手に何かが触れた。


「朧?」

「……ああ、」


 その感触は次第に大きくなりが、しっかりと椿の握る。覚えのある、無骨な手の温もりを手に、椿は思い切り手を引っ張った。

 ずず――と何かがことら側に来る。朧の姿が見えるのだと、椿は思っていた。膨らむ期待の中、朧の手の先が見えた瞬間だった。椿の視界は突然、真っ暗闇に染まってしまった。


「何?」


 椿は困惑した。

 あたりが真っ暗になった途端、背後にあったはずの出口の気配も、吹雪の寒さまでもが消えてしまったのだ。だが、今も()()()()()()()()()()()()は握ったまま。朧の気配はしかとあった。けれども、握っているはずの朧の姿は一分も見えず、集中しなければ気配は遠くなってしまうような気がしてならなかった。それが椿を焦らせた。


「……朧、とにかく出口へ行きましょう」


 椿は困惑した。朧がこちら側へと来たのなら、もう蔵を出るだけだと思っていた。なのに、またも暗闇へと逆戻りだ。

 ただ、戸惑う椿と違い、朧は冷静だった。

 

「それはどちらかわかっているのか?」

「わからないけれど、早くここから出ないと」


 もう、この機会を逃せば朧が蔵を出ることはないだろう。そんな気がした。椿は()()()()()()()()を無理矢理に引っ張り駆け出した。椿に合わせて、朧の気配らしきものも動く。

 しかし、どれだけ真っ直ぐに歩こうが、何処へ行こうが、一向に何にも見つけられない。本当に常闇にでも閉じ込められてしまったようで、椿の心がぎしぎしと悲鳴をあげそうだった。彷徨えば彷徨うほど、朧の気配が安定しないのだ。

 その不安定な椿の心に追い打ちをかけるように、朧が力無い声で言った。


「椿、もういい」


 もう、全てを諦めたような声だった。それこそ、今、椿が手を離したら、闇に溶けて消えてしまいそうなほど。


「嫌よ」


 椿はムキになって、足を動かし続けた。朧の足音はない。気配も人なのかどうなのかもわからない。だが、椿の手の内にある不可思議な感触だけが、朧の存在を証明するようで、さらに強く握った。


「……俺と一緒だから出られないのかもしれない。お前は俺の力を宿した状態だ。俺の手に触れている状態では影響を受けやすいだろう。手を離せば恐らく……」

「朧はどうするのよ」

「俺は、このままここで良い」

「どうしてそんなこと言うの、外に出たいのでしょう?」

「椿は約束通り、俺を助けようとしてくれた。それで満足だ」

「だめよ」

「外に出ても目は見えただろう? 俺が消えてなくなるまでは、お前の目はそのまま。だからこのままこの村から逃げろ。俺のことなんざ忘れて――」


 椿は足を止め、背後を振り返る。そこには常闇があるだけ。しかし、朧がいるはずなのだ。


「私、あなたの姿が見てみたい」


 子供が駄々をこねるような言い訳だった。言うだけ言って、椿は再び前を向いて歩き出した。どうやっても方向も何もわからないままなのに、諦めがつきそうにない。その想いが溢れるように、椿に口は勝手に動き続けた。


「目が見えるようになって、私、朧を思い出したの。こんな素晴らしい世界を見せてくれた人はどんな姿でどんな顔をしているのだろうって」

「悪人かもしれないだろ」

「悪人なら、もっと狡猾に私を利用するでしょう? きっと逃げろなんて言わないわ」

「化け物かもしれない」

「そうなの。じゃあ、今すぐ私を食べたら良いじゃない」

「……喰われに戻ってきたのかよ」

「私に欲望で生きろと言ったのは朧よ。だから私、わがままになったの。譲らないわ」


 思い通りにいかないもどかしさからか、朧が「ああ、くそ」と悪態を吐く。きっととんだ渋面をしているに違いない。


 ――神様はきっとそんなこと言わないわ。物怪だって、こんな女一人に手を焼かないはずよ。


 やっぱり、朧は人だ。椿はそう確信した。


「俺の負けだ」


 そう言って、朧の手の温もりが熱くなた気がした。強く手を握り合っているような気がして、心強い。


「だがどうやって出る。俺がいては……」

「……えっと、私……」


 椿は思案する。ふと、鼠の言葉が過った。


『つばきは特別』

『つばきの得意なことをすれば良い』


 椿は足を止める。


 ――私の得意なこと……。


 その時は耐える事だと鼠は言った。しかし、耐える時間は終わった。今、生かせる得意な事は――。


「どうした」

「私ね、耳が良いの」

「……知ってる。椿が外に出て、俺にも少しだけ()()()()()


 椿は目を瞑る。そうして耳を澄ませた。音のない、真っ暗な闇の中。

 最初は何も音はしなかった。しかし、遠くで微かな物音が始まる。それは次第に椿の耳の中で膨れ上がり、時に男の呻き声のように轟轟と、女の悲鳴のようにひゅうひゅうと――――冬の嵐を伝えた。


「こっちよ」


 椿は目を瞑ったままだった。その方がよく聞こえる。

 ただ無心で、椿は朧の手を引き走った。真っ暗な闇に足を取られることも、迷うこともない。

 音が段々と近づいて、朧の気配が濃くなっている気がした。

 そして――。


 ザク、と足音が変わった。その音だけで、雪を踏んだのだと感じた。それまで何も感じなかったはずが、全身が悴むほどに寒く、小さな氷の粒が肌にぶつかる。

 椿はそっと目を見開いた。

 轟轟と唸る冬の嵐。白く染まる視界は、確かに外。

 椿は呆然としていたが、ふと、右手に視線が落ちた。朧の温もりがそのままある。しかし、姿は黒ではなく、人の手。初めて見る、男の手だった。

 椿の視線は自然と上へ。

 今にも闇に溶けてしまいそうな黒い着物。そして、端正な――常闇の中で触れたままの顔がそこに。

 妖しいとすら感じる赤い瞳は、椿を見つめていた。


「朧……」


 椿は思わず手を伸ばす。喉仏に触れ、頬に触れ、瞼に触れた。両の手で包み込むように確かめていると、朧は椿の手の上に、そっと(それ)を重ねていた。


「あの時のあなたのままね」


 夜の底のような真っ暗闇の中、朧は確かにいたのだ。

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