三
雪は降り続いた。次第に農地の姿を覆い隠し、道を消し、山の姿を変えた。雪はずんずんと積もる。止まない雪は、更に強く、嵐になっていった。
唸る吹雪は、時に男の呻き声のように轟々と、時には女の叫び声のようにひゅうひゅうと、村を襲った。
各々が家から出ることも出来ず、遂には雪が家まですっぽりと埋めようとする。
稀に見る大雪。冬の嵐は三日、四日と続いた。そして、五日目のことだった。
ドンドン――と、庄屋の屋敷の表戸が鳴った。吹雪ではない音と共に家に入ってきたのは、組頭の長男だった。
雪に塗れた姿で、歯をカチカチ鳴らして顔は青ざめている。しかし、顔は険しく、危機を訴えていた。
「庄屋さん、まずいことになった。米蔵の屋根が潰れて、米が埋まっちまってる! 今、親父が弟達と一緒に人を集めてるところだが――」
ここ数日の吹雪で、納屋が潰れた家があった。不安になった家主がなんとなしに見に行った結果だったそうだ。庄屋は慌てて、息子の平太を連れて出かけていった。
取り残された女手である庄屋の妻は、居間にある囲炉裏にあたっていた息子嫁であるミツと、孫の小平、椿を見渡す。
こんな時に椿が何をするもないだろう。そう考えて、皆で湯を沸かして待とうと言った。
「薪が足りなくなるかもしれません、外に取りにいってきます」
申し出たのは椿だった。外にある薪は雪で湿っている。今も、家の中には十分な薪の量はあるが、火を大量に焚いているうちに、台所で乾かそうという提案だった。
「そうね、もしかしたらよそでは薪が足りないところも出てくるかもしれないわね」
刀根田は山間だが、例年の雪はほどほど。家が埋まるなど滅多にない。現状は災害にも等しかった。だから、刀根田に住み慣れた庄屋の妻は、椿の言葉に賛同した。
そして、椿にほっかむりを被せてやると、外へと送り出した。薪の置き場はそう遠くはない。裏手から少し歩けばすぐに着く。
しかし、なかなか椿は戻っては来なかった。
流石に心配になった庄屋の妻は、裏手からのぞいてみようとした――が、その直前にふっと声がした。
「冷気が家に入り込むので、あまり開けない方が良いですよ」
はっきりと聞こえた椿の声に、庄屋の妻の手が止まった。確かに、何度も開ければその分部屋は冷えて、土間に置いてある他の薪まで湿ってしまう。
「……大丈夫? 手伝いましょうか?」
「大丈夫ですよ」
椿の声色に問題はなさそうだった。ここ最近は台所を手伝ったり、洗濯の仕方や掃除の仕方を学んだりと、何かと家族のような関わりがあった。
少しばかり不気味だが、彼女も村に馴染もうとしているのだろう。そう思えば、庄屋の妻は心配ながらも、椿に任せられた。
それから何度か声をかけて、やはりはっきりと返事がある。椿の腕は細いし、外は真っ暗な上に吹雪だ。時間もかかるだろうと考えてはいたのだが、次第に不安になった。あまりにも時間がかかりすぎているのだ。庄屋の妻は外へと出た。轟々、びゅうびゅうと吹き荒ぶ風に煽られながらも薪が置いてある場所へと歩く。その最中、
「椿さん」
と呼んでみる。耳の中は吹雪で埋もれてしまいそうな音ばかりで、自分の声すらまともに聞こえない。だのに、
「はーい」
と、鮮明に声が聞こえた。
確かに椿の声だった。
◇
組頭の家でも、女房が一人で番をしていた。家族に何もないようにと、そわそわとしつつ、心の中では別の不安でいっぱいだった。本当は家に一人でいたくなかったのだ。
ここのところ、暗がりが怖いのである。いや、あの娘――椿が戻ってきてからずっと。
しかし、夫に家を空けてはいけないときつく言われているため、下手に外にも出られない。
――あの鍵の件さえなければ、庄屋さんのお家にでもお邪魔したのに。
庄屋の家には現在、椿という娘が一緒に暮らしているが、他には庄屋の妻と息子の嫁もいる。見慣れた二人がいれば、不安も減るだろう。
「……はあ、早く止んでくれないかね」
ふう、と重い息を吐いて、囲炉裏と台所の釜戸の火を絶やさないようにと番を続けていた――そのしばらく後だった。
「おーい」
と、男の声がした。玄関口からだった。
――何かあったのかしら。
帰ってくるにしては早いような。しかも、声はひとつだけ。全員で帰ってこないと言うことは何かあったのかもしれない。組頭の女房はそっと玄関口の戸を開ける。が、誰もいない。吹雪の音を聞き間違えたのだろうか。そう思ったが、また、声がした。
「おーい、こっちだ」
夫の声だと思った。思わず、
「どうしたの?」
と、戸口から身を乗り出した。
「こっちだ、助けてくれ」
そう言うものだから、組頭の女房は慌てて声の方に駆け寄った。何も持たず、羽織も何もないまま外に出たものだから、寒さが身に染みる。しかし、何かあったのならと駆け寄るが、誰も見当たらない。そしてまた、
「おーい」
と、声がした。
何かおかしい。そう考えた矢先、また
「こっちだ、助けてくれ」
と言った。
「あんた、どこにいるの!?」
「こっちだ」
そうしてまた声がする方へと駆け寄った――が、誰もいない。
――どうして、追いつけないのかしら。
組頭の女房はふつと気がつく。
――家から離れてしまった。外に出てはいけないと言われていたのに。
そう考えた矢先、また声だ。
「おーい」
と、離れたままの距離で声がする。
何かがおかしい。組頭の女房は怖くなって、慌てて家へと戻った。声は本当に夫のものだったのだろうか。近づけないのではなく、家から引き離されているのではないのだろうか。そう思うと、寒さ以上の寒気が組頭の女房を襲っていた。
吹雪で前方は不明瞭。轟々と唸る吹雪に、縮こまりながらなんとか家の影が見え始めた、そこへまた――
「おーい」
と、背後で声がした。吹雪の音の中、その声だけが鮮明に聞こえるのだと気がついて、組頭の女房は振り返ることもなかった。戸口へと飛び込むように、駆け込んで上り框へとへたり込んだ。
もう、声はしなかった。しかし、何か違和感がある。家の中はまだ昼過ぎだと言うのに、冬の嵐のせいで夕闇を思わせるほどに薄暗い。だのに、ざわざわと気配がある気がする。
「だ……誰かいるの!?」
女房は叫んだ。そして、家の奥でガタンと戸を閉めたような音。
「まさか……」
組頭の女房は足跡を辿ることもなく、一直線に寝屋へと駆け込んだ。部屋の隅、箪笥の一番下を慌てて開くも――大事に仕舞ってあったはずの鍵の束が姿を消していた。




