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幽冥婚姻譚〜契約夫婦の怪異録〜  作者:
第四話 疑心、暗鬼を生ず

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「これは……?」


 椿の手のひらの上にすっぽりと収まって、とんがり鼻と髭を揺らして「ちゅう」と鳴く。

 細長の尻尾を支えにして立ち上がったかと思えば――


『これは、ねずみだ』


 と髭を揺らして言った。声はささめく者たちに似て、話し方もそのまま。今まで姿のなかった者たちに形ができた――ということなのだろうか。


「ねずみ……」


 椿は(ねずみ)を見たことはなくとも、話は聞いたことがある。天井裏や床下を這いまわって、なんでも齧ってしまう生き物なのだとか。しかも、コソコソと隙間から入り込んで、いつの間にか現れる。たいそう厄介な獣だと聞いていた――のだが、真っ黒な毛並みは手触りが良い。その上、まんまるつぶらな目。耳は大きく、それが忙しなく動く。更には愛嬌なのか、こてんと首を傾げる。

 

 ――可愛い……。


 椿はいちころだった。だが、胸を打つほどの愛らしい姿だが、反して声は可愛らしいとは程遠かった。


『つばき、鍵を探してこようか?』


 声を聞けば、椿は冷静になった。これ以上ない申し出だ。加えて、鼠が手のひらの上で呟けば、周りでもカリカリと畳の上に爪を立てるような音がする。どうやら一匹ではないらしい。

 朧が自分に貸したという力の影響だろうか。夢の暗示に従うと思えば、椿は何も怖くはなかった。


()()()()()という人の家……わかる?」

『問題ない』


 そう言って、真っ黒鼠はさらさらと姿が崩れて消えてしまった。同時に、ささめく者たちの気配も消える。

 まだ、障子窓の向こうは闇の中。鼠たちは闇に紛れて移動するのだろうか。それとも御伽話の妖のように、姿を消してこっそりと侵入するのだろうか。


 ――鼠といえば。


 椿は幼少の頃に母が語った寝物語を思い出す。

 思い入れがあるには、“鼠の餅つき”か。

 鼠が餅をついているところが好きで、椿はよくねだった。小さな鼠が杵を手に、えっちらおっちら餅つきをしている姿を想像すれば、心が童心に戻ってしまいそうだった。椿は眠気など吹き飛んでしまい、鼠が戻るのを今か今かと待つことにした。


 そうして間も無く、一匹の鼠が暗闇でちゅうと鳴いた。暗がりから、こちょこちょと歩いて、上体を起こしたままの椿の膝の上へ。


『鍵は組頭が寝ている部屋にあった。箪笥(たんす)の奥に大事に大事に仕舞ってある』

「そう……盗むのは難しそうね」


 椿は自分が物騒なことを言っている自覚はあった。しかし、やるとなると事実はそれである。借りる、では済まないだろう。

 

『組頭の家には妻の他に息子が三人。どれも若く()きがいい』


 鍵の扱いを慎重に考えているのであれば、機会は一度きり。失敗すれば容易に捕まるだろう。


『それと、柘植の木の境目の戸の近くに見張(みはり)がいた。しばらくは続くかもしれない』


 椿の目的を知り得たように動く鼠。ささやく者たちは嘘をついたことがなく、椿は自然と鼠の言葉を信用していた。


「しばらくは大人しくしている方が良さそうね……その間に蔵の封の解き方を調べないと……」


 一番の問題はそこだった。椿は思い悩むも、鼠はすっぱりと答えた。

 

『その必要はない』

「どうして?」

『そんなものは存在しない』

「……どういうこと?」


 ささめく者たちが嘘をつかないことを、椿はよく知っている。だからこそ、鼠の言葉に不安を覚えた。


「何かしらの方法はあるでしょう? ここの人たちだってなにも知らずに神様を祀って供物を捧げていると言うの?」


 椿は務めて冷静に言葉を選んだが、内心は焦りでいっぱいだった。


『つばき、八千矛神が創られたのは三百年も前だ』

「……つくられた?」

『そう創られた。でも、祭主も村人も、自分たちが何をやったかなんて忘れている。だから封の仕方なんて誰も知らない』


 ささめく者たちはいつも決まって、確証でもあるかのように物を言う。どうして色々知っているのか。何故、椿の問いに答えてくれるのか、椿は疑問に思うも、問い返すことはなかった。しかし今回ばかりはそうもいかない。


「何もしらないのに、あんなに怯えているの? わからないのに、信用しているの?」

『人にはよくある。自分たちが何をしたかなんて忘れて、都合の良い豊穣の神なんてもの(もの)に変えてしまう。けれども、人を食うことに変わりはないから畏ろしい』

「でもそれじゃ……」


 それでは、封の解き方を知る術はない。全てが無意味になってしまう。しかし、椿の不安をよそに鼠はすんと鼻を鳴らしていった。

 

『大丈夫。椿なら出来る』 

「どう言う意味?」

『椿は神と対話をした』


 神とは、朧のことだ。だが、これにも疑問がある。

 

「……でも朧は、自分は人と言ったのよ」

『つばき、神でもなければ土地に豊穣を招くことなどできないよ』


 以前、刀根田村に訪れれる以前に椿はささめく者たちの言葉で聞いたことがあった。『あそこの作物はよく育つ。命を喰らって出来た作物ほど、よく肥える』と。

 

「……刀根田村の繁栄は、やっぱり朧の力なの?」

『そうだよ。八千矛神の力を奪って豊穣に変えている』

「だから、私が怖いの……? 朧を奪おうとしてるって考えてるのかしら?」

『そうだよ』


 椿の膝の上、鼠はちゅうと鳴いて目を細めた。

 

『つばきは神の伴侶になった。あとは、つばき次第』


 そして、役目を終えたと言わんばかりに、さらさらと崩れて姿を消した。しかし今度は、暗がりから声がする。

  

『つばき、機を待つんだ』


 暗がりから、声がする。鼠の姿でなくとも、その声は変わらない。

 

「その間、何をしたら良いと思う?」

『椿が得意なこと』

「私は、盗み聞きくらいしか特技はないけれど」

『良い子のふり。じっと耐えて待てば良い』


 椿は八年、変化の時を待ち続けた。ようやくの変化には別れもあったが、椿が得たものは大きい。


「……そうね、それも得意よ」


 椿の声は、揺るぎなく力強かった。


 ◇


 椿はささめく者たちの言葉通り、じっと待った。

 毎日、朝と夕の蔵へのお参りは欠かさず、しかし村に馴染むふりをして。


 椿には、終始村人の視線が付き纏ったままだった。椿を受け入れるふりをして、腹の底に隠れた本当の心根がさらけ出すのを今か今かと、村人は待つ。警戒を怠らず、油断を待つかのように椿を受け入れるふりをして。

 そのような心など、椿には知れたこと。目で見なくとも、慎重な呼吸が、言葉を選んだ声色が、椿への距離が、警戒を続けているのだと知らせてくれる。

 何よりも、ささめく者たち――鼠たちが村人の動きの詳細を椿に伝えていた。椿の鼠たちもまた暗がりからじっと村人を監視し続けていたのだ。


 椿はじっと待つ。八年よりはきっと短い。そう考えて、待ち続けた。


 そして、冬が来た。


 ◇


 外はいつも以上に静かだった。布団の中にいるというのにやたらと肌寒く、足の先は凍りついているかのように冷たい。寒さが身に染みて、目が冴えてしまいそうなほど。けれども、椿は不思議と瞼を開けなかった。

 多分、今はまだ夜明け前。家中はしんと静まり返っている。蔵の中のように静寂で、ささめく声もない。

 椿は夢とうつつの境目を彷徨うような虚な感覚だった。しかし漠然とした感覚で、誰かが部屋にいると思った。だが嫌悪感は湧かず、むしろ気配で安心した。畳の上を歩く足音、わずかな挙動でも聞こえる衣擦れの音。それだけで椿には誰かがわかったのだ。

 その誰かが、そっと椿へと近づいて枕元で膝をつく。その気配だけで椿の胸が熱くなった。


 ――今、目が覚めたら、姿が()()()かしら。


 そんなことを考えて――そして、耳元で気配が囁いた。


「椿、雪だ」


 朧の声だった。

 椿は飛び起きた。慌てて辺りを見渡すも、誰もいない。


「朧……?」


 いるはずがない。そう分かってはいても、椿は返事を期待してしまった。当然、部屋は暗く、しじまの中。

 椿はきゅっと胸を締め付けるような胸騒ぎがして、外が気になった。

 椿はそっと布団から抜け出すと、障子窓を開く。ほんの指一本分の隙間が開いただけで、外から突き刺さるような冷気が入り込む。風はない。更に大きく開けたなら、真っ暗な夜が窓の向こうに映し出された。しかし、いつもと違う景色。空を見上げれば、ちらちらと白い何かが舞っている。

 椿は思わず、手のひらを空へと差し出しながら、先ほどの朧の言葉を思い出す。

 雪が降る。ああ、これが。


「これが……」

 

 ()()()()()雪。花びらのように舞い落ちるが、手のひらの上に落ちたなら、雪はじんわりと溶けていく。

 しかしまた、新たな雪片がひらりと手の上に。

 見るのは初めてだが、感触には覚えがある。

 しかし、目で見るのではまた違う。

 なんともろく、儚いのか。しかしそれが、美しい。

 椿はしんしんと降る雪を眺めながら思った。ついに来たのだと。

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