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幽冥婚姻譚〜契約夫婦の怪異録〜  作者:
第三話 神の妻になった女

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四 幕間⑤ 猜疑心と信仰心

 暗がりから、嫌な気配がする。

 清太は不意に、子供のようなことを考えるようになった。聞くところによると、どうにもそれは清太だけではないようで、家族がみな、薄暗い場所や、陰になっている場所、殊更夜は不気味でならないのだと言う。

「何が」、と問うても、みな「なんとなく」としか答えない。ただ以前よりも、薄暗がりすらも不気味に感じるのだ。それも、ふとした拍子に突然。

 それは、清太も同じだった。それどころか、おおよその村人が同じことを言うのだ。


 中には、誰もいない場所から声までした、なんて言うものまで。


 いつから、などと考える必要もなかった。

 あの女――椿が生きて帰ってきてからだ。


 ◇


「なあ、なんだか……あの女が蔵から戻ってきてから何かおかしくないか?」


 一人の男が、震えるような声で言った。弱腰の姿勢で、如何にもびくびくと怯えているのは、老齢とまではいかずとも、老いが忍びよる中年の年頃。まるで子供のように、幽霊が怖いとでも言い出しそうだったが、誰もその姿を馬鹿になどしなかった。

 今日は村の男衆の集まりだった。組頭(くみがしら)(庄屋の補佐)の家で、本当なら収穫祭の終わりを祝うための酒盛りでもしていたのだろうが、今日ばかりは皆真剣だった。

 何せ、儀式は成功したのかどうか、わからないままなのだ。


 何よりも、皆、同じように感じているのだ。

 ほんの隙間から誰かが覗いている気がする。

 誰もいない部屋から人の気配がする。

 廊下で誰かが歩いていた音がした。

 暗がりからこちらをじっと見つめているような気がする。

 真夜中の頃合いに布団の周りを誰かがうろうろしている気がする。


 そんな、子供が一人で眠れない時の言い訳のようなことを、大の大人である村の男衆の誰もが感じていたのだ。

 もともと、刀根田村の住人は、八千矛神の土地に生まれ、暮らしているから八千矛神の恐ろしさを知っている。常に畏れを抱いて、その力をその目で見て、時には間近で肌に感じてきた。

 しかし、此度のことは神への畏れとは違う。


「あの女、何かしてるのか? 神の妻になったとかなんとか……勝手に言ってるだけで、妖かなんかじゃないのか?」


 震えた声が続けた言葉に、しかめ面で話を聞いていた清太は頭が痛かった。


「いや、まずそんなことはない。あそこは神域だ、妖など到底入れない」


 清太ははっきり言いながらも、内心は「多分」と付け加えていた。上守家(かみもりけ)は、代々庄屋と祭主の役目を受け継いできたが、霊的な能力があるわけではない。八千矛神の神域と封の管理を任されてきただけなのだ。

 言い伝えで、神域の境目が何者も寄せ付けないとはあるが、実際の効力など清太に知る由もない。とは言え、「わからない」などと言えば、場が混乱するだけだ。到底、無難なことしか口にできなかった。


「だが、みんな何かがおかしいと感じている。儀式の贄が生きているからじゃないのか」


 強気な言葉を言ったのは、百姓代(ひゃくしょうだい)(村の百姓のまとめ役)だ。庄屋よりも歳が上で、何かと噛み付くような物言いをする。その口が、


「殺して蔵に戻した方が良いのではないのか」


 なんて物騒なことを言うものだから、清太は不意に蔵の声を聞いた時の怖気が背中に蘇った気がした。


「馬鹿言うな、八千矛神が妻にした女に手を出したらどうなるか……」


 もし、来年が不作になってしまったら。神の怒りなるものを買ってしまったら。

 清太は何が起こるかわからないのにも関わらず、恐怖ばかりが脳裏をかけ巡る。その様子をどう捉えたのか、百姓代の言葉は続いた。


「おい、平太と組頭(くみがしら)も声を聞いたのか」


 それは、庄屋の両隣にいた二人だった。一人は若く、一人は中年程度の年頃。


「俺は何も」


 答えたのは、若い方――庄屋の息子の平太だった。続いて、中年の――組頭(くみがしら)もぶっきらぼうな口ぶりで「俺もだ」と言った。二人とも、儀式の終わりを庄屋とともに確認していた。ただ、組頭は気になることはあるようで、何かを考え込むように顔を俯けた。


「供物はいつも通りに無くなっていた。儀式が失敗だったとは言い切れない」


 組頭はきっぱりと言い切ったが、不安を拭い切れてはいないのか、また別の村人の一人がボソリと言った。


「盲人なんかを生贄にしたから、八千矛神が怒ってるんじゃねぇのか……」

 

 消沈したような声で誰かが言った言葉に、また誰かが重ねた。


「……あの女、嫌に不気味だ。本当に盲目だったのかも怪しい」


 皆、どうやっても生きて帰ってきた贄を(うたぐ)る。不安要素がそこにあるからと言えばそれまでだが、八千矛神の声を聞いた清太からすれば、女に何かがあっても不安でしかない。そこへ、別の若い声が湧いた。


「なあ、女が八千矛神に操られてるってのはないのかい」


 清太はハッとした。蔵に入る前は、女は死相でも見えそうなまでに儚げで、今にも自死してしまいそうな様子だった。さのに、蔵から戻ってからというもの、女は繰り返し、自分は神の妻だと主張して曲げない。それこそ、盲信にも近いほどに。操られているとしたら、納得がいった。

 清太は思ったままを述べようとするも、清太が何を言う前に、言葉は続いた。


「その女を妻だと言って外に出したってのは――何か企んでるってことにはならねぇのか」


 若い声が言ったことは、おおよそ清太の考えに似ていた。清太は若い声の言葉を引き継ぐように、口を開いた。 


「俺たちは神様を閉じ込めてる。それももう、三百年もだ。もし、あの女を使って企むとしたら――」


 刀根田村は代々、八千矛神を祀っている。しかし、その場所は蔵の中。神域とされる場所は、三百年ほど前に刀根田の村人の手で造られた囲いだ。鳥居もそうだが、修繕を繰り返して維持してきている。

 なぜ、蔵なのか。そんなことを誰も口にはしない。何故なら、村人であれば誰しもが知っていることだからだ。


 三百年もの昔々、刀根田は飢饉に耐えられず、神の力を手に入れるため、八千矛神を蔵に閉じ込めた――と云われている。

 しかしその方法までは残ってはおらず、祭主の記録にも残されてはいない。

 誰がどうやって、それさえも不明とされるが、霊的な能力を持つものがいたのだろう――と清太は考えている。


 ――もし、八千矛神が外に出ようとしているのなら……椿の目を見えるようにしたのも……。


 清太は考え込んで下を向いていたのだが、ふと目線を上げると周りは清太をじっと見つめていた。結論を求めている目が四方八方――それこそ、組頭も答えを待ちかねている様子だった。


「椿をしばらく監視しよう。下手な動きをした時は、すぐに問いただせ――ただし、下手なことをして八千矛神を怒らせるような真似はするなよ」


 これに、多くの村人が頷いた。

 そのままその日は解散となったが、帰り際、組頭が清太を呼び止めた。


「鍵は今どこにある」

「俺の部屋に保管してあるが……」

「女の手の届かないところか?」


 組頭の言葉の意味を清太はすぐに理解した。同時に顔を顰め、声を潜めた。

 

「…………そこまでするだろうか」

「念の為だ。今後のことで予測がつかんのなら、尚のことだ――もし、同じ家で不安なのであれば、俺が預かるが」


 何か、起きるのではないかと皆、考えているのだ。ぶっきらぼうに見えて、組頭も不安なのかも知れない――いや、不安だからこそ、そう言ったに違いない。清太は考えるまでもなかった。


「……それもありか」


 何も起きなければ良いが。そう心の中で念じて、来年の豊穣も当然のようにあるようにと、僅かに願った。

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