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幽冥婚姻譚〜契約夫婦の怪異録〜  作者:
第三話 神の妻になった女

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 ミツに着替えと髪結を手伝ってもらい、椿はそのまま庄屋を待った。こちらから出向くのが筋とも考えたが、椿の体調を慮ってのことだとか。下手に動かない方が無難だろう。

 とは言え、起き上がれるのだからと、布団はミツに手伝ってもらいながらも片付けたから、今部屋はがらんとしている。

 そこで姿勢を正して待つだけなのだが、どうにも気になることが多過ぎて、椿の目線はそこかしこへと動いた。

 日当たりが良い部屋は、縁側もあり、障子を全て開け放つと良い風が部屋へと吹き込む。しかし、少しばかり肌寒くもあったが、椿にはそれが心地良くもあった。幼い頃――両親が生きていた頃過ごしていた自室に、よく似ているのだ。

 部屋の大きさ、間取り、縁側があるところまで。違いがあるとすれば、縁側の向こうか。生家には中庭が面しており、椿が幼い頃は犬もいた。小さな池には鯉が泳ぎ、灯籠があり、植木は松の木と、躑躅と、紫陽花と……父と母は椿に何があるかを一つ一つ教えてくれたのだ。ここは歩き回れるような広さはなく、一間(いっかん)(一・八(メートル)ぐらい)先は外とを仕切る囲いの為の壁だ。一応、数本の草木が植えられているが、椿は自身の知識の中にあるものかどうかも判別がつかない。その花すらも、椿は知りたいと思った。


 ――ミツさんに尋ねてみれば良かったかしら。


 一体どんな花が咲くのだろうか。それは、どんな色だろうか。

 今度は、なんとなしに椿の目線は自身が着ている着物へと向いた。ミツが言うには、今着ている着物の色は燕脂色(えんじいろ)という赤色の一種なのだという。

 そして今度は、障子窓の方へ。開け放たれた窓の向こうには、よく晴れた青空。その青すらも、最初に見た色よりも濃い青なのだと教わった。その空に流れているのは雲で、それが白だとも。

 ずっと暗闇だった椿の世界が少しずつ色づいていく。それだけで、椿の心の中さえも彩っていく気がしてならなかった。

 

 そうしてしばらくののち、来訪した庄屋――養父となった男を前にして、椿は姿勢を正して正面から見据えた。視線が合う、と言う行為には違和感が付き纏う。どうするのが正しいのかなど知り得ない椿は、姿勢を正して庄屋と向かい合うしかなかった。


 しかしどうにも、ミツほどではないにしろ、庄屋も椿を訝しんでいる節がある。まあ、椿が死んでいると想定していたのであれば、当然だろうか。それも、盲目だった女の目が自身を見つめているなど、考えもしなかっただろう。

 最初、椿は見えることを奥の手としようかとも思った。だが、そう隠し通せるものでもないだろう。元々、椿の故郷でもない地だ。儀式の件がなくとも、椿は異分子。どうせ詮索はされるだろうし、監視もあるかもしれない。だとすれば、堂々と目が見えると言った方が得策と考えたのだ。

 そしてもう一つ、信仰心がある村へ、椿は自身を守る為の一手を考えていた。


「……ミツから聞いたのだが、目が見えるようになったとか」

「はい、八千矛神により頂いたものです。生まれつき目が見えなかった私にとってこれ以上の喜びもありません」


 椿はことさら嬉しそうに――魂を揺さぶられたと言わんばかりに、声は感極まっていた。多少の誇張もあったが、本心に変わりない。そのおかげか、庄屋は閉口してしまった。椿が目が見えるようになったことは、目線が合うことで理解はしただろう。ミツにも話を聞いたかもしれない。椿は返事の一つもない庄屋を尻目に続けた。


「そう言えば、前任者の花嫁役を任された方達は後々どう過ごされているのでしょうか? ご結婚されたりしているのでしょうか?」


 庄屋にとって、突拍子もない言葉だったのだろう。黙ったままだった庄屋はあからさまに焦っていた。

 

「……それは……皆、他所へ嫁いでいる。神の妻となった手前、同じ土地で婚姻は結べないから……な」


 なんとも取り繕ったと言わんばかりの言葉だった。皆死んだ、とは到底言えないとは分かっていた。少々お粗末。だが、妥当な話ではあるかもしれない。

 椿も、実際に神との婚姻を風習にした土地の話を知っているわけでもない。が、神の恩恵を受けた土地を前にして、妻の不貞はあってはならないだろうという思想であれば理解はできる。まあ、今まで一人でも生きて蔵から出ていればの話ではあるが。

 明らかに動揺し、狼狽えた庄屋の面差しは、初めて見る椿にとっても明らかなほどだった。焦ったままの乱れた呼吸がその証拠だろう。その動揺したまま、庄屋の言葉は続いた。


「……そ……それがどうかしたのか」


 反して、椿には余裕がある。頬に手を当てて、いかにも悩ましげに眉尻を下げた。

 

「できれば、私は生涯、夫君となった八千矛神にお仕えして生きていこうと思っています。(まか)(とお)るのであれば……出来る限りお側におりたいのですが」


 しっとりとした言い口で椿は告げた。落ち着き払い、はたから見れば、八千矛神に心酔でもした――信仰に目覚めたとでも思うだろうか。しかし庄屋の反応は焦りだ。もう積もり過ぎた焦りが行き場をなくしたかのように、庄屋の口からは言葉が流れ出た。 

 

「収穫祭は大事な儀式だが、あれはあくまでも儀式の一環としての花嫁だ。何も、本当に神と婚姻関係になったわけでもない。生涯、未婚を通すつもりか?」


 詭弁のような言い訳だったが、椿は冷静に返すだけだった。

 

「はい、私の夫は八千矛神ただ一人ですから」


 迷いのない椿の言葉に、庄屋はどういった腹積りでいるのだろうか。

 椿は異端。村に残るのであれば、安全は確保せねばならない。だから、自分はお前たちが畏れる八千矛神の妻であり、気に入られたのだと主張する必要があった。今までの贄は全て死んだが、椿は違う。手を出せばどうなるかなど、恐らく誰も知り得ないのだ。

 庄屋の言葉からして、庄屋は椿を追い出してしまいたかっただろう。異分子など、村に混乱を招くだけ。それも避けなければならなかった。外に出れば、村へと戻ることは難しく、戻れたとしても村人に警戒されるだけだ。

 だから椿は意志を曲げるつもりなどないと言わんばかりに、笑みを崩しはしなかった。

 そんな椿に庄屋は諦めたかのように溜息を吐いて、そして言った。


「……儀式の疲れもあるだろう。気が変わったら言いなさい。その時は、私の娘として良縁を探す。何も心配は必要ないからな」

「……はい、その時は」


 返事をしながらも、椿の声は平坦だった。そのような時はこない、と意思表示でもあった。それが伝わったのか、庄屋は立ち上がりながらも口からはもう一度溜息が出ていた。庄屋が椿に背を向けようとした時、「あ、」と椿は思い出したかのように、言葉を続けた。


「おひとつ、お伺いしたいのですが」


 庄屋が振り返る。椿は庄屋へとしかと目線を合わせ、淑やかに笑う。


「私、出来れば毎日、八千矛神にご挨拶をしたいのですけれど、蔵を開いていただくことは可能でしょうか?」


 落ち着きかけていた庄屋の表情がまたも崩れた。先ほどよりも、さらに皺を深くして。


「なっ……何を言っている! 蔵を開放できるのは十年に二度、儀式の時儀式の終わりを確認するときだけだ! 余程のことがない限り開けられない決まりなんだ!!」


 言い終えた庄屋の息は荒い。慌てているというよりは怯えだ。これにも椿は冷静だった。


「ああ、そうなのですね。では、蔵の前までで良いのですが」


 庄屋はしばらく迷ったように口を閉じていたが、しばらくして三度目の溜息が出た。そして、


「……好きにすると良い」


 と、諦めたように言った。

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