六
「うわぁ!!?」
最初に聴こえた音は、嗄れた声が入り混じった男の声だった。その背後でも、驚きと、悲鳴とが入り混じった若い男の声が二つ。椿はそのうちの枯れた声に聞き覚えがあった。椿を刀根田村へと連れてきた張本人――庄屋の声そのものだったのだ。
「な……なんで生きて……!?」
椿は正座できちんと座ったまま、庄屋と対面した形である。言葉のままを受け取ったとすれば、やはり椿は八千矛神に喰われている予定だったのだろう。
椿は朧の言う通り、今も瞼を閉じたままだ。それでも、庄屋がおろおろと戸惑っているのだろうと気配で察していた。庄屋が、一人でないことも含めて。
「親父、これは一体?」
今度は若い声の方だった。義理の兄となった平太だろう。混乱めいていく空気の中、椿は自分の身体に違和感を感じた。身体が重くなり、重心がうまく保てない。均衡を失ったように椿の身体はずるりと傾いて、そのまま倒れてしまった。
それから、椿の意識は朧げだった。途切れさせてはいけないという気概を精神力にして、堪えていたと言っても良い。
義兄ともう一人の男の肩に担がれ、椿は引きずられるように庄屋達によって外へと連れ出される最中、庄屋達は何かを恐れ、終始怯えていた。しかし、そんな混乱めいた様子でも逃げるように外へと向かいながらも、錠前をかけたり外したりは、事欠いた様子はない。
重い扉が閉まると同時、ガシャン――と、最初に一回。
――これは、錠前を閉めた音……。
椿は遠のきそうになる意識をなんとか保ちながらも、音に集中する。
そして次、ガシャン――と似た音が鳴った。
――こっちは、外す音……。
そうしてまた、扉を開いて反対側から錠前を取り付ける。最後の扉もまた同じ。
――私の生死を確認する為だけに中に入ってるのに、鍵をかけてるのね……儀式の時だけじゃなかった……。
椿はもう今にも意識を失いそうだった。だが、三つ目の扉の錠前が外れた音がしてすぐに、椿は空気が変わったと感じた。蔵の中とはまた違う、湿り気のある冷えた空気。ようやく蔵を出たのだ。
――夜……いえ、この村で数日夜を過ごしたけれど、その時以上に冷えている。ということは、朝方……でもこの湿気は……雨でも降ったのかしら?……いえ、雨の匂いはしない、地面が抜かるんでいる足音はしない……朝靄?
そんなことを途切れそうになる意識の中で思い浮かべていたのだが――ふと、朧の言葉が浮かんだ。
『外に出るまでは絶対に瞼を開くな』
その途端、椿は担がれていた状態から急に下ろされて、その場へと取り残された。しかし、そんなことに構っている暇はなかった。椿は膝立ちになり、重たい頭をなんとかあげて、ゆっくりと瞼を押し開いた――瞬間、一陣の風が吹き抜けた。
ザア――と、稲穂の揺れる音が、少しばかり離れた位置から椿の耳へと届く。まだ、椿がいるのは、蔵から出たばかりのそこ。
椿は、言葉を失った。まだ、何が何かを判別出来ない状況で、見上げたのは空だ。いま、自分が判別ができそうなもの――空は青なのだと――そんなことを、聞いたことがあった。
「……あれが……あお?」
椿は独りごつ。その声は、あまりにもか細いものだった。しかし、椿の声に応えるものが――。
『そうだよつばき、空は青いよ』
ささめく者達だった。しかし声はいつも以上に遠い。まるで、境界の外から話しかけられているかのような。
『つばき、おかえり』
『つばき、願いが叶わなくて残念だったね』
『つばき、蔵の扉が閉まる。最後に、あれが呼んでる』
椿は今いま出てきたであろう方へ――背後へと顔を向ける。そこには、人と思しき三人の姿。それが、何かを必死になって押している。その意味が、扉が閉まる行為だと理解するのに、時間はかからなかった。ただ茫然と、椿は隙間が小さくなるのを黙って見ていた。
ぎぎ――と、唸るような音に紛れて、椿には確かに聞こえた。
『椿……』
朧の声だった。
その声は儚くも風の中に消えて、椿の意識は途切れた。




