五
椿にはもう時間の感覚は追えなかった。この蔵の影響なのか、朧との契りを交わした影響なのか、椿には空腹感も排泄の感覚も、疲れや眠気すら訪れなくなっていた。
二人は向かい合わせに寝転んで、会話を続けた。
椿が両親の話をすれば、朧は生まれてすぐに捨てられたと言った。
また、椿が幼い頃は琴だけでなく三味線や笛も習っていたのだと言えば、朧は子供の頃は育ての親に盗みをさせられたと話した。
あまりの境遇の違いに、椿は時々言葉に詰まりそうになる。しかし、朧は何も遠慮する必要はないと言った。
「俺がここに入ってから随分と時間が流れたのはわかってる。俺と椿とじゃ、生まれた時代が違う。生まれた環境が違う。他人を羨んだところで、俺にとって都合よく生活が変わるわけでもない。だったら、それは自分が知らない話として受け取るべきだろ」
そう、言った。
なんとなくだが、椿には朧が達観しているようにも思えた。だが、朧は、読み書きもできない、教養もないと言った。しかし、不思議と箱入りの椿よりも、ものを知っているような口ぶり。声質は壮年程度と思ったが、いまひとつ朧の年齢が読み取れなかった。
――人生経験の差かしら?
だから、なんとなく、椿は朧に問いかけた。
「朧は何歳ぐらいだったの?」
「……確か……二十四か五ぐらいだったか……椿は?」
「十八よ」
うろ覚えのような口ぶりは、蔵に放り込まれるまでの人生において年齢がさして重要でなかったと言っているようだった。そういう時代だったか、生き方の証拠でもあるのだろう。反して椿は、十八の女ともなれば婚姻がどうのこうのの年齢でもある。
「なんだ、年齢なんざ意味ねぇだろ」
「そうかしら」
「どんなに歳食ったところで、知恵者とはかぎらねぇ。まあ、人間を推し量るって意味では使えるがな」
年相応の会話ができるか、振る舞いができるか。そういう見方もできるのだとか。
「朧は色々知っているのね」
「椿はこれから知れば良い」
そう言って、朧がまた椿の髪を撫でた。朧の手つきは優しく、言動に時々現れる荒ぶる姿は、そこにはない。
「……ねえ、外に出たいと言ったけれど、結局、朧が何をするかは聞いていないわ」
「何を……ねぇ、思いつかねぇなあ」
とりあえず、ここは居心地が悪い。朧の外に出たいという気概はそれだけなのだと言う。しかし、ふと、朧の声は「そうだな、」と続いた。
「外に出てみたら、何か思いつくかもしれないな……」
朧は哀愁漂う声色で言って、さらに続けた。
「とりあえずは、鈴とやらのところまでは送り届けてやるよ。そんで、叔母夫婦ってのに仕返しを仕込んで――それから考えるとするか」
そこに、朧の不安そうな様子はなく、本当にあっけらかんとしていた。その姿は頼もしくもあったが、別れも含んでいるようで、椿の胸はちくりと痛む。しかし、自分には関係のない話だと言い聞かせ飲み込んだ。意義のない感情に流されている場合ではない。あとどれくらいで時間が残されているかはわからないのだ。
二人はその後も、会話を続けた。
その間、椿は指先や、肌の質、耳の形、目の位置を探るように――朧と言う人物の形を覚えようにと触れた。
すると今度は、朧が慈しむように椿に触れる。
残された時間を惜しむように、離れがたい時を過ごしているかのように。
そして――、時は来た。
◇
突然、朧が言葉を止めたのだ。
「どうしたの?」
朧は何を感じているのか、椿の問いかけに答えない。
「朧?」
朧は無言のまま、椿はなんとなく手を伸ばすが、そこには確かに朧の姿はあるが、何故だか気配が薄まっているような――霧散する前触れのような気がした。
「おぼ……」
「椿、時間だ」
朧はそっと、椿に告げた。椿は、ああそうかと納得して、ゆっくりと上体を起こして耳を澄ませた。
ガシャン――と、確かに一度耳にした、錠前を外す音が遠くでするのだ。
――そうか、これで……。
不思議と、方角も解る。椿は何気なく、音の方へと身体を向けた。だが、完全ではない。壁一枚二枚が間にあるからなのか、感覚は夢のように覚束ない。
椿は扉が現れるであろうその時を待つため、姿勢を正すも、朧のことが気になって背後をふり帰ろうとする――が、何かがそれを阻んだ。
朧に抱きしめられている――のだろうか。椿は外の気配が過敏になるにつれ、今度は朧の感覚が曖昧になっているのだと気がついた。
「朧……?」
どうなっているのか、そう問いかけようとしたが、朧の手が椿の瞼の上を覆うように重なって、言葉は途切れた。
「……椿、今、封印と外の境界は曖昧だ。だが、直に隔たりができる。お前は今、その間にいるんだ」
朧の手は瞼の上にあるはずなのに、どうしてだか気配が薄い。外で、二度目の開錠の音がして、更に――朧の存在が消えていくような感覚がある。すぐそばで声がするのに、どんどんと、遠くなっているような。
「わずかだが、お前に力を貸した。外に出るまでは絶対に瞼を開くな。外に出るまでは力を眠らせておく必要がある。良いな」
朧はまだ外へは出られない。わかってはいたはずだった。しかし、気配と、朧の言葉で明確となった事実に、椿の胸が締め付けられていく。
「……朧、私――」
椿は言葉を言いかけて、しかし次の瞬間には朧の気配も、触れあっていた感触も、温もりも、全てが消えていた。
それと同時、ギギ――と、扉が開く音が鳴った。




