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お姉さまの背中にGが居る!?【2】

 踏切が開くのを待っている人が、段々と増えてきてしまっていた。もしこのまま人が増え続けて、来栖お姉さまの背中のゴキブリの存在に気が付いてしまったら、来栖お姉さまはゴキブリ少女と呼ばれ、一生重い十字架を背負って生きていかなければならなくなってしまう。

 それは、断固として阻止しなければならないだろう。

 時間的猶予は余りない。なんとか早期解決をしなければならないのだ!


 そんな私の焦りの気持ちなどお構いなしに、相変わらずゴキブリは長い触覚をふらふらと優雅に靡かせている。本当にムカつく害虫だ。


「(早く、来栖お姉さまの背中から、何処かに行きなさい!)」


 来栖お姉さまに気が付かれないように、私が遠くから息をふーふーと吹きかけたり、手をパタパタと激しく叩いたりしてみたものの、まったくもって効果なし。


「(ど、どうしよう……、こうなったら、触る? 触っちゃう?)」


 ゴキブリは様々な菌を持っている。サルモネラ菌、赤痢菌、ピロリ菌……その他様々な危険な菌の役満状態だ。

 ……しかし、例えば本などの道具を利用して叩き落とすのは、接触手段としては余りにも不自然すぎるだろう。そんなことをしたら、来栖お姉さまに失礼だし嫌われてしまうかもしれない。


「…………」


 うん、そうだ! 来栖お姉さまに嫌われてしまうくらいなら、ゴキブリを手で落とすくらい何とでも……ない!


 そう考えた私は、じっと自分の左手を見つめる。


「……ごめんね……私の左手……この戦いが終わったら、何度でも洗ってあげるから……」


 そして、意を決した私は、ゆっくりと来栖お姉さまの背中に近づいていく。喉が今まで感じた事のないほど乾いている気がした。口の中に残った、なけなし唾を呑み込んだ私は、念のため、もう一度辺りの様子を確認することにした。


そして私は絶望する。


 予想以上に、踏切の周りは人でにぎわってしまっていた。この状態で、もし上手く叩き落とせなかったらどうしよう。例えば、お姉さまの服の中に潜り込んだりしたらどうしよう……。例えば、お姉さまの全身をゴキブリが這いつくばりながら移動して、もし他の誰かに見られでもしたらどうしよう……。


 そんなネガティブ思考の考えで、私の頭の中は一杯になってしまっていた。


 ダメだ……! この状態で叩くのはリスクが高すぎる。とはいえ、これ以上人が多くなったら、もう来栖お姉さまの背中のゴキブリを隠し通せる事が出来なくなってしまう。確実に……そして自然に……ゴキブリを捕獲する方法が必要だった。


 そんな方法が、今この場所でできるのだろうか。

 私は今度を右手を見つめ二度三度にぎにぎすると、ある恐ろしい提案を考え付いてしまう。


 右手で……こう……ぐわしと……ゴキブリを捕獲しては……どうだろうか……?(絶望)


 幸いにも私は反射神経は割と良い。昔は飛んでいたハエを素手で掴んだりもしていた(今は無理)

 なので、掴むこと自体は問題ない。掴んでしまえば、イレギュラーな行動をされることもなく、一時をしのいだ後どこかに捨ててしまえばよいのだから。

 しかし、ゴキブリを素手で掴むと想像するだけでも精神的にヤバいのに、本当にしてしまったとき私の精神が無事かどうかが心配だった。

 躊躇いはある。迷いもある。恐怖もある。しかし、それ以上に来栖お姉さまが酷い目にあうのが私にとって一番の苦痛だと感じていた。


 もう時間がない。私は一度目を瞑り決意を固めると、目を開け今度は右手を見つめる。


「……ご、ご、ご、ごめんね……私の右手……この戦いが終わったら、漂白剤にゆっくり漬け込んであげるから……」


 涙目の私は、来栖お姉さまに手が届く場所まで近づいた。

 この距離に私がいても、来栖お姉さまの背中のゴキブリは、私をじっと見つめているような感じで微動だにしない。

 私は深呼吸をすると、狙いを定め、目にも止まらない速さで右手を来栖お姉さまの背中をかするように振り下ろす。

 その感触に気が付いたのだろうか? お姉さまがゆっくりとこちらを振り向いていく。


「……あら? 貴方は……」


「……コ、コンニチワ……クルス……センパ……イ……」


「はい、ごきげんよう、……あの、もしかして。私に何か御用かしら?」


「イ……イエ、セナカニ……ゴミガツイテイマシタノデ……」


「まぁ、それを取っていただいけたのですか、ありがとうございます、河野さん」


「イエ……ドウイタシマシテ……」


 憧れのお姉さまとの初めての会話! あれ? 私、来栖お姉さまに名前教えたっけ?

 そんな嬉しさや疑問もあったが、それ以上に右手の中の感触が、私の精神を蝕んでいた。

 表面のヌルっとしたような感触、シャコシャコとした節足動物特有の多関節の感触、長い髭がこそばゆく触れている。


 くっ……こ、このままでは発狂してしまうかも……。


 我慢も限界に近くなり右手に力を入れて潰そうとするが、流石にそれは躊躇してしまう。もし潰してしまったら、本当にお嫁に行けない体になってしまう……。この時は本当にそう思ってしまっていた。

 とりあえず、気を紛らわせるために、来栖お姉様と楽しい会話を続ける事にした。


「せ……せんぱいは、良くこの踏切で……お見かけしますけど……」


 絶望的な感触に慣れてきた私は、やっとカタコトのような言葉から、普段のような話し方ができるようになっていた。


「ふふ、私ね、この踏切で待っている時間が好きなの。今日の事を色々考える事ができるっていうか……。だから、時間がある時はいつも待っているんだけど……おかしいかな?」


「い、いえ……! そんなことありません……! とても、いいと思います……」


 ……毎日、視姦まがいの事をしていた自分を少し反省する。で、でも、今回の件でこの罪をチャラにして貰えたら嬉しいです。いや、本当。マジで、現在進行形で、もうかなりのトラウマになってるので。


「あ、そうだ! 実は私、今、手相を見るのを趣味にしているんだけど、良かったら河野さんの手相を見てあげたいんだけどいいかな? まだ踏切開くのに時間が掛かるし……」


「え……!? ええ……」


 突然の来栖お姉さまの申し出に驚いた私だったが、とりあえず、まだ穢れていない左手をお姉さまに差し出す。来栖お姉さまは、両手で私の左手を握るとぷにぷにと触りだす。それは、右手の地獄の感触とは正反対の、まるで天使にマッサージされているような夢心地のような感触だった。


「はふぅ……」


 余りの気持ちよさに甘い吐息を吐いてしまう。そんな私の様子に、来栖お姉さまは満足している様子に見えた。


「うふふ、左手は潜在的なポテンシャルを表しているのだけれど、河野さんはそういった力がまだまだ眠っているみたいよ? すごいわね!」


「はい……ありがとうございます……」


「じゃあ、こんどは右手を見せて欲しいんだけど、いいかな?」


「は……はい!?」


 夢心地の気分は一気に冷めてしまい、顔から血の気が引いていってしまった。

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