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海月  作者: ふるかわゆう


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4/8

第四話 未知導

テレビの画面からニュースが消えても、胸の奥に残った不安だけは消えてくれなかった。

映し出された少女の顔が、頭から離れない。

今朝、バス停で出会ったあの子と、どうしても重なってしまう。


見間違いだと思いたい。


でも――


あの子が最後に見せた笑顔が、何度も頭の中に浮かんでは消えていった。


───


その夜。


私はいつもより早く布団に入った。

だが、眠らなければと思うほど、目は冴えていく。


布団の中で何度も寝返りを打つ。


いくら、いい方向に考えようとしても、胸の奥に残った嫌な予感だけは、消えてはくれない。


部屋の中は静まり返り、時計の針が進む音だけが、やけに大きく聞こえてくる。

その音を聞いているうちに、少しずつ意識が遠のいていった。



そして――



私は、また海の底にいた。


いつもの夢。

そう思った。


けれど――何かが違っていた。


いつもなら、遠くまで見渡せるはずの海が、今日はひどく暗い。

どこまで続いているのかさえ分からないほど、深い闇が広がっていた。


私はゆっくりと周囲を見回した。


何もない。

声も、聞こえない。


静寂だった。


ただ、その静寂の中で――


遠くの暗闇に、ひとつ。


小さな黄色い光が浮かんでいた。


私は、その光を見つめていた。


黄色い光が、暗闇の中でゆらゆらと揺れている。

まるで、深い海の底で誰かが灯した、小さなちょうちんのように。


風もない。

波もない。


それなのに――


光だけが、静かに明滅していた。


私は、不思議と怖いとは思わなかった。

ただ、その光に惹かれるように、ゆっくりと近づいていった。


何かがいる。


そう思った瞬間――


暗闇の中から、丸く膨らんだ黒い塊が姿を現した。


けれど、それ以上は見えないし、私を襲ってきたりもしない。


ただ、頭の先で揺れる黄色い光だけが、私を誘うように揺れていた。


私は立ち止まり、じっとそれを見つめる。


すると――


「……おねえちゃん」


暗闇の中から、かすかな声が聞こえた。

私は思わず息を呑んだ。

今のは……私に向けられた声なのだろうか。


「おねえちゃん……」


もう一度。


今度は、はっきりと聞こえた。


幼い女の子の声だった。


私は辺りを見回した。

けれど、どこを見ても暗闇ばかりで、その姿を見つけることはできない。

私は何かを伝えようと、口を開いた。


けれど――


声は出なかった。


いつものように、私の口は固く結ばれたままだった。

それでも私は、その光から目を逸らすことができなかった。


すると――


少し離れたところで、また別の光がまた揺れた。

まるで、こちらへ来てほしいと言っているかのように。

光に誘われるように、私はゆっくりと暗闇を進んだ。


近づくにつれて、その光の下に何かの姿が浮かび上がってくる。


それは、暗闇の中でじっとこちらを待っているようだった。


そして私がさらに近づくと、その身体がゆっくりと暗闇の中から浮かび上がってきた。


そこには、私には見たことのない不思議な姿があった。


私がどこかの本で見たことのあるチョウチンアンコウとは、明らかに姿が違っていた。


丸々とした黒い頭。

その下には、銀色に輝く細長い胴体。

ひらひらと揺れるヒレが、まるで海の中を舞う薄い布のように、揺れている。


そして、頭の先には――

チョウチンアンコウと同じように、小さな灯火を宿した、一本の細い突起が伸びていた。

まるで、誰かを導くために灯された、小さな明かりのようだった。



けれど、それ以外は何もかもが違っていた。


私の知っている生き物ではない。


私が一度も見たことのない、未知の生物だった。


そして――



『たすけて』



私は確かに、そう聞こえた。

目の前にいるチョウチンアンコウが、私に話しかけているのだ。


『さむいよ…』


『こわいよ…』


『お母さん……』


その言葉を最後に、声が途切れる。


すると――


ふと、周囲の景色に違和感を覚えた。


さっきまで私を包んでいた、深い海の底。


揺らめいていた海水が、少しずつその姿を変えていく。

やがて、目の前の海がゆっくりと形を変え、一枚の大きなスクリーンのように広がっていった。


そこに映っていたのは――


人気のない、古びた施設だった。

建物の壁はところどころ剥がれ落ち、窓ガラスは割れている。

ひび割れた窓から差し込む光は弱く、長い年月の中で忘れ去られた場所のようだった。

人の気配はどこにもなく、そこにはどこか重苦しい静けさだけが漂っていた。


やがて、施設の奥から白い霧がゆっくりと流れ込んできた。

その霧は、まるで現実と夢の境目を覆い隠すように、静かに辺りを包んでいく。


白く霞んだその向こうに――


ひとつの人影が浮かんでいた。


輪郭はぼやけ、顔も、姿も、はっきりとは見えない。

ただそこに、「誰かがいる」ということだけが、不思議なほど鮮明に伝わってきた。


コツ……コツ……。


革靴の音だけが、静まり返った廊下に響いていた。

黒いレザージャケットを身にまとった人物が、片手にレジ袋をぶら下げ、ゆっくりと廊下を進んでいく。


袋の中では、何かがかすかに揺れていた。


その隙間から、いくつかの食べ物が覗いている。


まるで、誰かのために用意されたものを運んでいるようだった。


コツ……コツ……。


やがて、その人物は一つの扉の前で足を止めた。

扉には、鎖が幾重にも巻きつけられている。


そして――


ガシャ……ガシャガシャ……。


人物が鎖に手をかける。

その先で、南京錠が無機質な音を立てて揺れた。


ガシャ……。


その音だけが、静まり返った施設の中にいつまでも響いていた。


その人物は、重そうな鉄の扉に手をかけた。


そして――


ギィィ……。


軋む音を響かせながら、重い扉がゆっくりと開いていく。

けれど、その人物は何事もなかったかのように、片手で扉を開けていった。


やがて、その姿が扉の向こうへ消える。


ガシャん――。


重い扉が閉まった。


その瞬間。


私の目の前に映し出されていた景色も、海の中へ溶けるように消えていった。


気づけば、そこには再び、暗闇が広がっていた。


私は、辺りを見渡した。


けれど――


そこに、チョウチンアンコウの姿はなかった。

さっきまで確かにそこにいたはずなのに。

まるで、最初から何もいなかったかのように。


「……どこ?」


返事はなかった。


静まり返った海の底で、私はただ一人、行き場を失ったようにゆらゆらと漂っていた。


そのとき――


『お姉ちゃん……』


遠くの暗闇から、かすかな声が聞こえた。

私は、その声を追うようにゆっくりと辺りを見渡した。


けれど、そこには何もいない。


次第に、私の視界がゆっくりと霞んでいく。

海の色も、遠くの暗闇も、何もかもが滲んでいった。


そして――



プツン。



そこで、夢は途切れた。

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