第二話 私という人間
夜も更け、静寂に包まれた町の灯りはポツポツと次第に消えており、その上空には欠けた月が浮かんでいる。
淡い月明かりが降り注ぐ夜空を、無数の雪がひらひらと舞っていた。
街灯の光を受けた雪は、まるで無数の星が地上へ降りてきたかのように煌めき、静かな町を白く彩っている。
かたかたと窓を揺らす冷たい風が吹くたび、窓辺には白い雪が少しずつ積もっていた。
少女は、浅く荒い呼吸を繰り返しながら、海の底から引き上げられるように目を覚ました。
ゆっくりと上体を起こす。
胸はまだ激しく上下していた。
少女はぼんやりとした視線で、薄暗い部屋を見渡した。
壁に掛けられた時計の針は、二時を少し回っていた。
しばらくして呼吸が落ち着くと、少女は枕元に置かれたお気に入りの水色のタンブラーに手を伸ばした。
乾ききった喉を潤すように水を飲み、ふう、と小さく息を吐く。
「……また、あの夢…」
「はあ…」
「またこんな時間…」
少女は一人呟く。
「また、あの夢見ちゃった」
でも、今回の夢はいつもとは少し違った。
なんというか……妙に鮮明に覚えている。
それに――。
だれかの声が聞こえた気がした。
少女はベッドに座ったまま、今見たばかりの夢を思い返す。
もう、何度同じ夢を見ただろう。
眠りにつくと、気づけばいつも、あの夢の中にいる。
私がクラゲになって、途方もなく広い海の底を、ただひたすら泳いでいる夢。
最近、あまり眠れていない、ここ一ヶ月くらい、ずっとだ。
この夢を見るのも、もう何度目なのかわからない。
「……もう、なんなの」
少女は深いため息を吐いた。
「明日も学校だから、寝なくちゃ」
そう呟いて、少女は再びベッドに横になった。
「おやすみ」
誰に言うわけでもなく、自分自身にそう告げる。
そして少女は、再び眠りについた。
───
翌朝――。
コンコン、と扉を叩く音が、静かな部屋に響いた。
「美咲、もう起きないと遅刻するぞ。」
聞き慣れた声だった。
私の名前を呼ぶのは、父親の 恒一だ。
「うん」
私は扉越しの父親に向かって、素っ気なく返事をした。
父親は私の返事を聞くと、それ以上は何も言わず、階段をコツコツと降りていった。
私は枕元に置いていたスマホを手に取り、時刻を確認した。
「……あ、やばッ!」
時刻は、六時五十分を過ぎていた。
私は慌てて、包まっていた布団を跳ね除ける。
起き上がった瞬間、部屋に入り込んだ冷たい空
気が、肌に突き刺さるように身に染みた。
もう一度布団を掛けようかと迷ったが、遅刻するわけにはいかない。
私は寒さを堪え、急いで身支度をすることにした。
どたどたと階段を降り、廊下を歩いて洗面所へ向かう。
蛇口をひねると、流れ出てきた水は凍るように冷たかった。
「さむっ……」
思わず身を震わせながら、私は顔を洗った。
タオルで顔を拭い、鏡に映った自分を見つめる。
黒く長い髪と、少しだけ伏せがちな瞳。
人より少し白い肌をしている。
冬月美咲。十五歳。高校一年生。
私は昔から、人と話すことがあまり得意ではなかった。
「……おはよう」
そう小さく呟いて、私は鏡の中の自分を見つめた。
それから自室へ戻り、制服に着替える。
ブレザーを羽織った私は、身なりを整え、再び階段を降りてリビングへ向かった。
「おはよう、美咲」
リビングに降りると、父親の恒一が小さく声をかけてきた。
「おはよ」
私も短く返す。
父は昔から無口な人だった。
四十代前半。短く切った黒髪には、ところどころ白いものが混じっている。
細い目元には深い皺が刻まれていて、笑うこともほとんどない。
会話は、それだけだった。
けれど、テーブルの上には食パンが一枚と、少し崩れた目玉焼き、それから黒っぽく焦げ目のついたベーコンが並んでいた。
先ほどトースターを使ったのだろう。
私が起きてくる時間を見計らって、用意してくれたのだと思う。
「もう、朝ごはんいらないって言ったじゃん」
「……美咲」
「ごめんな」
父はそれだけ言って、少しだけ視線を落とした。
「今日、父さん遅くなるから」
「……うん」
私はそれ以上何も言わず、通学用のカバンを乱暴に掴んだ。
そのまま無言で玄関へ向かう。
父はリビングに残ったままだった。
玄関に並んでいる靴は、二足だけ。
「行ってらっしゃい」
背中越しに、父の小さな声が聞こえた。
私は振り返らなかった。
「……行ってきます」
小さく呟いて、玄関の扉を開けた。
冷たい風が頬を撫でる。
私は白い息を吐きながら、学校へ向かって歩き出した。




