第12話:『時の渦に佇む』
『答えよ、幼き命よ。お前は過ちを繰り返す「新たな王」となるか。それとも、理不尽に踏みにじられる「無力の犠牲者」となるか——』
重々しく響く神の問いが、「接続の源」の静止した空間をどこまでも打ち揺らしていた。
絶望が、少年の全身の血を凍らせていく。
「王」となる道。
それは先祖と同じように《接続》の力を完全に掌握し、圧倒的な武力をもってバレスの野望を叩き潰し、世界のすべてを屈服させる道だ。争いを止めるために力を振るい、異論を唱える者を抑え込む。だが、その先に待っているのは、恐怖と支配による偽りの平和であり、いつか必ずさらなる憎悪の連鎖を生む「虐殺の覇王」への転落だった。
そしてもう一つの、「無力」となる道。
力を捨て、ただの子供として泥の現実へ戻る道。だが、時間を動かせばバレスの凶刃がガルドを、シーラを、そして自分自身を容赦なく貫く。何も持たず、誰も守れず、理不尽な悪意の渦の中でただ踏みにじられるだけの犠牲者。
どちらを選んでも、血が流れる。
どちらを選んでも、誰かが絶望する。
「そんな……そんなの、あんまりだ……!」
少年は冷たい石畳に両膝をつき、両手で頭を強く抱え込んだ。
指先が胸元に触れる。そこには、あの日からずっと自分と共にあった無地のカードたちが収められていた。
冷たい硬質さの中に、どこかかすかな温もりを宿した何枚もの板。
(ぼくはどうすればいい……? 力を使えば人を壊してしまう……。だけど、力を使わなければ大切な人を守れない……!)
思考が渦を巻き、視界が真っ赤に染まりそうになる。
頭の奥で、5世代前の先祖の悲痛な叫びと、あの村で死んでいった祖母エルナの優しい笑顔が激しく交錯した。
神の万華鏡の「顔」が、冷ややかに少年を見下ろしている。幾億の星々の誕生と終焉がくるくると渦巻く不気味な深淵から、裁きの時を促す無機質な圧迫感が降り注ぐ。
『選ぶのだ。世界を掌握する絶対の力か、無力のまま破滅する運命か。答えを刻め』
少年は荒い息を吐きながら、ゆっくりと顔を上げた。
静止した時間の中で、数歩離れた場所に倒れているガルドの姿が見えた。
全身に血を流し、大剣を支えにしながらも、少年を守るために立ち塞がろうとしていた豪快な男。
その隣には、風と光の結界を維持しようと血の涙を流しながら、必死に食らいついていたシーラの姿。
二人の時間は止まっている。だが、その凍りついた瞳の奥には、確かに少年に対する深くて強い「信じる眼差し」が残されていた。
『血筋が何だ。お前という人間の心じゃねえ』
『それを使って世界を滅ぼすか、誰かの温もりを守るかを選ぶのは……いま、ここにいる「あなた」の意志よ』
かつて二人がかけてくれた言葉が、胸の奥底で小さな、しかし消えることのない灯火となって明かりを点した。
少年は、自分の手を見つめた。
泥と涙に汚れ、小さく震える、どこにでもいる十一歳の子供の手。
王のように世界を統べることなどできない。神のように完璧な裁きを下すことなどできはしない。
「ぼくは……」
少年は膝に力を込め、ゆっくりと、己の足で立ち上がった。
足元がふらつき、倒れそうになりながらも、まっすぐに時の翁の深淵を見据えた。
「ぼくは……どちらも……選ばない」
一瞬、「接続の源」の空洞を包む静寂が、より一層深まったように思えた。
時の翁の顔の奥で旋回していた幾百の星々の光が、ぴたりと動きを止める。
『——何と言った』
「ぼくは……『王』にはならない!」
少年の声が、かすかな震えを伴いながらも、静止した空間へ力強く響いた。
「力で誰かの口を塞いで、恐怖で世界を押し潰すなんて……そんなの平和なんかじゃない! 5世代前の先祖と同じ怪術になるなんて、絶対にごめんだ!」
少年の胸元から、一枚の無地のカードが滑り出し、青銀のほのかな光を放った。
「だけど……無力のまま踏みにじられるのも嫌だ! ガルドさんを……シーラさんを殺させたりなんて絶対にしない! ぼくが生きている意味まで諦めてたまるか!!」
涙がボタボタと溢れ、少年の頬を濡らした。それは弱さの涙ではなく、己の無力さを噛み締めながらも逃げ出さない決意の証だった。
「王になって世界を支配するのも……無力のまま犠牲になるのも……どちらも極端で、答えから逃げているだけだ! 完璧な答えなんて、ぼくには……出ない!!」
少年は胸元を強く握りしめ、悲痛な、しかし確かな意志を込めて叫んだ。
「答えが出ないなら……答えが分からないなら……! ぼくは、悩み続ける! ガルドさんやシーラさんと一緒に、泥を這いずり回りながら、傷つきながら、この理不尽な世界で足掻いていくんだ!!」
神の提示した残酷な二択に対する、幼き生命の「拒絶」であり「保留」。
完璧な存在にも、完全な悪魔にもなれない、人間という脆弱で不完全な生き物ゆえの、泥臭い咆哮だった。
神の万華鏡の顔が、ゆったりと明滅した。
生命の歓喜も、失望も存在しない、ただ冷徹な絶対者の意志が、頭上から降り注ぐ。
『……愚かな』
時の翁の声は、まるで遠い星の砕け散る音のように冷ややかに響いた。
『提示された理を拒み、矛盾の泥の中で足掻くことを選ぶか。世界の歪みを正すこともできず、ただ苦痛と迷いの中を漂い続けることを選ぶか』
幾億の星々が、再び旋回を始める。
『ならば、迷い続けるがよい。幼き命よ』
その言葉を残し、時の翁の存在が、まるで最初から存在しなかったかのようにスーッと薄れていった。
神の威光が引き潮のように消え去ると同時に——
ガツンッ!!!
世界に「時間」が激しく跳ね戻った。
停止していた空気が凄まじい密度の重力を取り戻し、空間を圧迫する。
バレスの放った刺突剣の衝撃波が爆風となって吹き荒れ、崩れ落ちる岩くずの音が耳を打った。
「ぐああああっ!」
ガルドが叫び、大剣でバレスの刺突剣を弾き返す。
「ガルドさん!」
シーラが即座に結界の呪文を完成させ、襲いかかる黒蛇騎士団の長槍の群れをギリギリで押し返した。
「ハハハ! 諦めろガルド! この『接続の源』の力は俺が——なに!?」
バレスがせせら笑いながら踏み込もうとした瞬間、彼の足元が青銀の激しい閃光に包まれた。
少年がカードを握りしめていた。
それは世界を統べるための膨大な兵力ではなく、ただ一本の「逃げ道」を作るための最低限の力。
カードから解き放たれた高出力の衝撃波が、「接続の源」の床を豪快に削り取り、バレスたちの足場を大きく崩した。
「な……なんだと!? 異界の力を……制御しているというのか!?」
「ガルドさん! シーラさん! 走って!!」
少年の叫び声に、ガルドとシーラは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに口元に強い笑みを浮かべた。
「よく言った、小僧!!」
ガルドが大剣を豪快に一閃させ、崩れる岩壁をさらに粉砕して敵の追撃を遮断する。
「行くわよ、二人とも!」
シーラの風魔術が三人の身体をふわりと包み込み、崩壊し始めた「接続の源」の空洞から、地上へ続く暗い階段へと勢いよく飛び出していった。
背後でバレスの狂気的な怒号と、崩れ去る遺跡の轟音が遠ざかっていく。
* * *
数時間後。
激しい試練の嵐を抜け出した三人は、古代遺跡の遥か東、果てしない地平線へと続く街道の丘の上に立っていた。
朝靄が少しずつ晴れ、地平線の向こうから薄橙色の朝日が静かに世界を照らし始めていた。
冷たい早朝の風が、泥と汗に汚れた三人の髪を優しく揺らす。
ガルドは分厚い手で血の滲む腕の包帯を巻き直すと、豪快に鼻を鳴らした。
「ふぅ……間一髪だったな。だが、あのバレスの野郎の鼻を明かしてやったのは清々しいぜ」
「全く、無茶ばかりさせるんだから……」
シーラは溜息をつきながらも、どこか晴れやかな表情でモノクルを懐に仕舞い込んだ。そして、少年の隣に優しく腰を下ろした。
少年は、己の小さな掌を開いていた。
そこには、相変わらず表面に何も描かれていない、数枚の無地のカードが朝日に照らされて静かに横たわっている。
「……結局、何も解決しなかった」
少年がポツリと呟いた。
「神様から問いかけられた答えも……ぼくの血の呪いのことも……これからの世界のことも……何ひとつ、解決しなかった」
神の二択を拒絶し、逃げ出したと言われればそれまでだった。
自分の中に流れる「5世代前の覇王の血」が消えたわけではない。カードが持つ恐ろしい異界の力が消え去ったわけでもない。これから先も、バレスのような野心家や、力を恐れる人々から追われ続けるかもしれない。
何も終わっていない。何も救われていない。
重すぎる課題と、解決のない永遠の問いを抱えたまま、少年はただ泥の現実に投げ出されたのだ。
「いいじゃねえか」
重く分厚い手が、少年の頭の上にドサリと乗せられた。
ガルドが大剣を背中に担ぎ直し、朝日の向こうに広がる見知らぬ景色を見つめながら笑っていた。
「答えなんてものはな、死ぬ間際にひとつ分かれば十分なんだよ。最初から正解を知ってる奴なんて、この世界に一人もいねえ」
「そうよ、坊や」
シーラも優しく微笑み、少年の小さな手を温かく包み込んだ。
「悩み続けて、迷い続けて……それでも一歩ずつ進んでいく。それが生きるってことでしょ? あなたは今日、神様の言いなりになるのをやめて、自分の足で歩くことを選んだのよ。それはね、どんな完璧な答えよりも価値があることだわ」
少年は、ガルドとシーラの顔を交互に見つめた。
二人の瞳には、少年の選択に対する軽蔑も、不安もなかった。ただ、一人の「人間」として共に歩むことへの、揺るぎない覚悟と温もりが宿っていた。
少年は、ぎゅっとカードを握りしめ、服の懐へと仕舞い込んだ。
「……うん」
袖で乱暴に鼻をすすると、少年は小さく、けれど確かに頷いた。
「行こう……次の街へ」
永遠の問いと、消えない傷を胸に抱えたまま。
完璧な正解などどこにもない、理不尽で、けれど確かなぬくもりのある世界へ。
朝日に背中を押されながら、三つの影がどこまでも伸びる街道の上を、静かに、力強く歩み出していった。
これにて異世界王道ファンタジー終了です。
かぶんすの中二病時代の黒歴史です。
時の翁(Father Time)を英語の辞書で見つけて、当時見ていたカードゲームのアニメに影響され、こんな話書こうかなと思っていた記憶。
当時は、羽のある人間(言葉を理解する美しい天使)が主人公を守る・主人公は甘えるという設定で、結末まで考えずじまいでした。
面白かったと思っていただけましたら、ブックマーク・評価・感想をぜひよろしくお願いします。




