第11話:『過去の王の残影』
「この星から……人を、命を傷つけ合う『対立』という概念そのものを……消し去ってください!!」
少年の悲痛な叫びは、「接続の源」を占拠する圧倒的な静寂へと吸い込まれていった。
永遠にも思える無音の時が流れる。
倒れたガルドの血の滴りも、シーラの流した涙の角度も、バレスたちの恐怖に凍りついた表情も、すべては静止した時間の中で固定されたままだった。
宙に漂う「時の翁」の顔——幾億の星々の誕生と終焉がくるくると渦巻く不気味な深淵——が、かすかに明滅した。
そして、世界そのものの鳴動のような意志が、少年の魂へ直接叩きつけられた。
『——それは、できぬ』
短い、あまりにも冷徹な拒絶の音。
少年の息が詰まった。「な……ぜ……? あなたはこの世界の理を創った神様じゃないんですか……!? 命の命題を投げ入れたあなたなら、消すことだってできるはずだ!」
『できぬ』
翁の声には、微かな感情の起伏すら存在しなかった。
『対立とは、我の投げ入れし《接続》の理が生み出す必然の影。星と星が繋がり、異なる価値、異なる生命が交わる時、必ずそこに摩擦と軋轢が生まれる。対立を消し去るということは、この星に生きる全生命の「意思」と「変革」の萌芽を削ぎ落とし、ただの動かぬ石ころに変えることに他ならぬ。それは即ち、この世界の死を意味する』
「そんな……じゃあ、人は永遠に傷つけ合い続けるしかないっていうんですか……!?」
少年が涙を拭いながら問うと、時の翁は何も答えず、ただその幾何学的な「手」のような光の波紋を静かに払った。
その瞬間、二人の周囲の空間がぐにゃりと歪んだ。
* * *
気がつくと、少年は異彩を放つ光の渦の中に立っていた。
そこは現世でもなく、単なる静止した時間でもない。「時の翁」の膨大な記憶のアーカイブ——過去に刻まれた事象の残像であった。
眼前に立ち現れたのは、あの第8話で古代遺跡の記録として目撃した凄惨な光景の「続き」であった。
空を切り裂く高熱のレーザー。異世界の鋼鉄の巨兵群。そして、無数の種族の悲鳴と血の海。
その惨劇の中心に、無地のカード群を環状に展開し、青銀の光を全身から放つ一人の男が立っていた。
少年の先祖——5世代前にカードの力を独占し、「世界を焦土に変えた絶対的な能力者」と恐れられたあの偉人である。
だが、投影された過去の男の表情には、覇王としての歓喜や殺戮の悦虐など一切存在していなかった。
男の瞳にあったのは、いまの少年とまったく同じ——絶望と、激しい苦痛の痕跡だった。
「これは……」
少年が言葉を失う中、過去の残像の中で先祖の男が空に向かって叫んだ。
『時の翁よ! 我の問いに答えよ! なぜ人は奪い合う!? なぜ種族の壁を越えて理解し合えぬ!? 我が持つこの無限の異界の力で、この不毛な連鎖を断ち切りたい! 頼む、世界から「対立」の呪いを消し去ってくれ!!』
少年は胸を強く打たれた。
5世代前の先祖もまた、まったく同じ場所で、全く同じ悲痛な祈りを神に捧げていたのだ。
そして、過去の記憶の中でも、翁は冷たく言い放っていた。
『——それは、できぬ』と。
神に拒絶された瞬間、先祖の男の瞳から「人間としての光」が完全に失われた。
残されたのは、狂気と見紛うばかりの苛烈な執着だった。
『……拒絶するか、神よ。……ならばよい。神が消さぬというのなら、我がこの手で消してみせる』
先祖の男は、血を流す拳を固く握りしめた。
『すべての種族、すべての国、すべての異論を我が絶対的な力で踏みにじり、我が下に統一する! 我が「唯一の王」となりて全土を統べるならば、奪い合う理由そのものが消える! 力による抑圧こそが、この世界に残された唯一の平和だ!!』
それが、惨劇の始まりだった。
男は過剰なまでの理想を抱き、それを実現するために無限の異界の兵装を解き放った。
「戦いをなくすため」に他者を殺し、「平和を創るため」に国々を滅ぼし、「対立を抑え込むため」に異種族を根絶やしにしていった。
だが、力による支配が生み出したのは、さらなる深い憎悪と血の連鎖だけだった。
人々は男を「平和の使者」などとは呼ばなかった。「世界を焦土に変える悪魔」「虐殺の覇王」と呼び、死に物狂いで抵抗した。
やがて男は、誰一人として理解者を得られぬまま、自らが創り出した血の海と孤立の果てに、狂気の中で破滅していったのだ。
* * *
光の渦が収束し、世界は再び静止した「接続の源」へと戻った。
少年は過呼吸のように荒い息をつき、その場に崩れ落ちた。
全身の毛穴から冷や汗が吹き出していた。
自分の中に流れる血。その先祖が歩んだ道のり。
それは最初から邪悪な野望に満ちていたわけではなかった。むしろ、誰よりも優しく、誰よりも深く世界の争いに傷ついたからこそ——男は「支配者」という最悪の怪物へと変貌してしまったのだ。
『理解したか、幼き命よ』
時の翁の無機質な声が、少年の頭上に重々しく降り注ぐ。
『お前の抱く悲劇の連鎖を断ち切りたいという願望……それこそが、お前の血に刻まれた「王の呪い」の正体である。先祖と同じ理想を抱く者よ。我はお前に選択を委ねよう』
翁の存在感が膨れ上がり、静止した空間そのものが少年の身体を押し潰さんばかりの質量で圧迫し始めた。
神が提示したのは、救いなどどこにも存在しない、重厚で最悪の「二択」であった。
『一つ。お前の先祖が成し遂げられなかった道を歩むこと』
翁の万華鏡の顔の奥で、無数の異世界の兵器のシルエットが不気味に揺らめいた。
『我が下ろす《接続》の力を完全に掌握し、異界の兵装と概念を現世へ全開させよ。その圧倒的な質量をもって、眼前のバレスを殺し、敵対するすべての国を打ち倒し、お前自身が「絶対の王」として君臨するのだ。力で他者の口を塞ぎ、恐怖で対立を抑え込め。それにより、お前の望む偽りの平和は、一時的ではあれ現出するであろう』
少年の身体が激しく震えた。それはバレスが先ほど甘い毒のように囁いた言葉と、本質的にまったく同じ道だった。自分が「神の兵器」となり、力で世界を平定する道。
『そして、もう一つ』
翁の声が、さらに低く、冷たく響く。
『力を捨てよ。自らの意思で《接続》の扉を閉じ、ただの無力な一人の子供として、この血と苦痛に満ちた泥の現実へと戻るのだ』
翁の手(光の波紋)が、静止したガルドとシーラ、そして襲いかかる騎士たちの姿を指し示した。
『時間を動かせば、バレスの刃はお前たちを貫くであろう。お前が無力であれば、大切な者たちは再び眼前で惨殺され、お前自身も欲望の餌食となる。何一つ解決せず、理不尽な悪意と争いの渦の中へ、丸腰のまま投げ出されるのだ』
言葉が、鋭い楔となって少年の心を苛み、引き裂いていく。
「王となり、力で世界を支配して争いを抑え込むか」
「力を捨て、無力のまま苦痛と理不尽に満ちた世界へ戻り、大切な者が殺されるのをただ眺めるか」
極端で、残酷で、逃げ場のない二択。
どちらを選んでも、待っているのは血と絶望の未来にしかならない。
『答えよ、幼き命よ。お前は過ちを繰り返す「新たな王」となるか。それとも、理不尽に踏みにじられる「無力の犠牲者」となるか——』
神の冷徹な問いが、静止した時間の中でいつまでも、いつまでも重く響き渡っていた。
少年は両手で頭を抱え、冷たい石畳の上に突き伏しながら、圧倒的な選択の重みに絶叫しそうになっていた。




