第10話:『神の召喚』
異界の兵器群と数多の概念が描く圧倒的な光の奔流が、「接続の源」を埋め尽くしていた。
バレスの引きつった叫びも、黒蛇騎士団の踏み鳴らす足音も、すべては星々の記憶が放つ高出力の重低音にかき消されていく。だが、少年の具現化能力は、単に異世界の兵装を現世に引き引き降ろすだけでは留まらなかった。
少年の胸元で、青銀の光を放つカードたちが、まるで一つの幾何学的な核を成すように高密度に収束していく。
(届いて……! 誰でもいい……この世界の……宇宙のどこかにいる、理を司る人……!)
少年の魂の叫びが、「接続の源」に満ちる無数の見えない糸——かつて吟遊詩人が歌った、幾億の星々を結ぶ《接続》の理を駆け上がっていく。
次元の壁がメキメキと音を立てて軋み、やがて千切れ飛んだ。
少年の意識は、星々の配置すら途切れる果てしない虚空の深淵へと到達する。そこに漂っていたのは、時間を超越し、世界の始まりと終わりをただ等しく見つめ続ける絶対の存在——。
『システム過負荷——全次元接続境界、突破』
無機質な声が空間を満たした直後、世界の「音」がすべて消え去った。
* * *
光でもなく、闇でもなかった。
「接続の源」の空洞を満たしていた莫大なエネルギーの暴風が、一瞬にして凝固した。吹き荒れていたレーザーの光線も、空間を覆っていた鋼鉄の結晶体も、騎士たちの放った投槍も、すべてが空中であたかも透明な琥珀に閉じ込められたかのように停止する。
さらには、空気の揺らぎすら停止していた。
血を流して倒れるガルドの息遣いも、魔法の展開を維持しようとするシーラの髪のなびきも、狂気に顔を歪ませるバレスの瞬きすらも。世界そのものが「静止画」と化したのだ。
ただ一人、少年だけがその静寂の中で動くことを許されていた。
(なにか……来る……)
少年は呼吸することすら忘れ、宙を見上げた。
空間の真ん中に、歪な「亀裂」が走った。
そこから溢れ出したのは、神聖という言葉すら生温かい、圧倒的で冷徹な「無」の領域だった。
ゆっくりと、それは姿を現した。
現世に降り立ったのは、老人の姿をした何か——あるいは、星々の生滅をただの数片の砂粒として眺める絶対者、「時の翁」であった。
その姿は一定ではない。
ある瞬間には風化した古い布を纏う老人のシルエットに見え、次の瞬間には無数の銀河が渦巻く無限の深淵に見える。顔と呼べる場所には目も口もなく、ただ「幾億の星々の誕生と終焉」の光景が万華鏡のように旋回していた。
生命に対する愛もなければ、悪意もない。
善も、悪も、喜びも、悲しみも、すべてを等しく等価な「現象」として置き去りにする、完全なる無関心と冷酷な神性。
「あ……ぁ……」
静止した時間の中で、バレスの瞳だけが恐怖に見開かれていた。
バレスの抱いていた「世界の統一」「一国の王」という膨大な野望。5世代にわたって積み上げられた執着や歴史の怨嗟。それらすべてが、時の翁が纏う存在の質量の前には、道端の塵芥以下の価値もないことが叩きつけられていた。
翁の存在そのものが放つ「無」の波動が、静かに波紋のように広がっていく。
バレスの手に握られていた特殊な刺突剣の封印呪符が、何ひとつ音を立てずに灰となって崩れ去った。騎士たちの精鋼の甲冑は輝きを失い、彼らが振るおうとしたあらゆる暴力と野心は、根底からその意味を奪われて霧散していく。
戦うことすら、脅威となることすら許されない。
圧倒的な「次元の違い」が、バレスたちの存在意義を完全に無力化していた。
* * *
時の翁は、バレスたちには視線すら向けなかった。
ただ静かに、その万華鏡のような「顔」を、地面に膝をつく少年へと向けた。
言葉は発せられなかった。
だが、少年の頭の中に、言葉を超えた意志の波動が直接流れ込んできた。
『——何ゆえに、我を喚び出す。泡沫の星の、小さき命よ——』
それは、地殻が変動するような重厚さと、真空の宇宙のような冷たさを併せ持った波長だった。
翁にとって、この星の人間がどれほど血を流そうと、ひとつの種族が滅びようと、それは流れる大河の泡がひとつ弾けた程度のことなのだ。
少年は、胸の奥が凍りつくような圧迫感に押し潰されそうになった。
膝がガクガクと震え、意識が遠のきそうになる。この神の威光の前にひれ伏し、ただ黙り込むことの方がどれほど楽か分からなかった。
だが——少年は、後ろを振り返った。
そこには、自分を庇って傷つき、時間が止まった世界で倒れているガルドの姿があった。
血の涙を流しながら、最後まで少年を守ろうとしてくれたシーラの姿があった。
そして、記憶の中にある、ぬくもりを残して冷たくなった祖母エルナの笑顔。
自分が生まれてしまったから。この血が流れているから。
5世代前にも、あの日にも、そして今この瞬間にも、人々は他者を踏みにじり、奪い合い、傷つけ合っている。
(逃げちゃダメだ……。ぼくが……ぼくの手で終わらせなきゃ……!)
少年は歯を食いしばり、必死で両足に力を込めて立ち上がった。
血の滲む唇を開き、空中に浮遊する絶対的な神に向かって、まっすぐにその瞳を見据えた。
「『時の翁』……! ぼくを……ぼくたちの声を、聞いてください!」
少年の声が、圧倒的な静寂の空間に響き渡る。
翁の顔の内に揺らめく星々が、わずかに揺れた。
「ぼくの先祖は……このカードの力を使って、たくさんの命を奪いました! バレスは……自分の野望のために、人を足蹴にしようとしています! そしてぼくも……自分の中の力に怯えて、大切な人たちを巻き込んで……たくさん傷つけてきた!」
少年は胸元を強く握りしめた。
「どうして……どうして人は、こんなにも争い続けるの!? どうして種族が違うだけで、考えが違うだけで、奪い合わなきゃいけないの!? 歌にあったよ……あなたがこの星に『接続』と『対立』の種を投げ入れたって……!」
少年は涙を溢れさせながら、全身の感情を絞り出すように叫んだ。
「もし……もし本当にあなたがこの世界に理を投げ入れたのなら……お願いです! ぼくのこの命も、先祖から受け継いだ力も、全部あげるから……!」
少年は両腕を広げ、神に向かって痛切な祈りを捧げた。
「この星から……人を、命を傷つけ合う『対立』という概念そのものを……消し去ってください!!」
世界の理そのものを書き換えてほしいという、狂気にも似たあまりにも切実な願い。
誰かが誰かを憎み、血を流し、歴史を悲劇で塗り替える連鎖。その根源たる法則を消滅させてほしいという少年の悲痛な叫びは、「接続の源」の静寂の中にいつまでも、いつまでも深く浸透していった。
時の翁は、無言のまま少年の姿を見つめ続けていた。
幾億の星々が旋回するその顔の奥で、神は何を思い、どのような答えを紡ぎ出すのか。
答えを得ぬまま、世界の時間は不気味な静寂の中に留まり続けていた。




