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8.禁足地(及び悪魔が「宇宙の理」と呼ぶものについて)①

 むかーしむかし、都に一匹の鬼がやってきた。

 そいつは、通りで偶然すれちがった人間の娘に一目惚れしちまった。恋に浮かされた鬼はすぐさま娘をさらい、北山の洞窟に閉じ込めたんじゃ。それからというもの鬼はしょっちゅう、北山から都に下りてきては金品、食べ物、着物などを強奪した。すべてはその娘の気を引くためじゃった。


 たまりかねたのは、強盗の被害者たる都の人間じゃった。ついにそいつらは討伐隊をつくって、鬼と娘がいる北山に送り込んだんじゃ。

 槍だの刀だので武装した討伐隊が、細い山道を列を作って進んでいくとのう、どこからともなく白い着物を着た不思議な老人が現れ、行く手をはばんだんじゃ。老人は壺をひとつ抱えておった。そのあまりの神々しさに、討伐隊の連中は、そろって武器を置き、膝と頭を土につけた。老人は自分のことを「七幡様」と名乗り、こうたずねた。

「おまえらは鬼退治に行くつもりだな。しかし鬼一匹の強さは万の人間に匹敵する。見たところ、おまえらは百人にも足りてないようだが、何か秘策でもあるのか」

 人間どもが答えに窮しておると、七幡様は持っていた壺を先頭にいた人間の膝に乗せ、「これは鬼を酔わせて眠らせることができる酒である」とおっしゃった。ついで一枚の地図も渡し「鬼の首と胴体を離したら、首は宇治の宝蔵に。胴体はこの場所へ」という言葉を残して、姿を消した。

 やがて一行は、鬼が住む洞窟の近くの川に到着した。そこでは、ちょうどさらわれた娘が洗濯をしておるところじゃった。討伐隊は、娘に酒壺を渡し、西の空に三日月が沈んだら鬼に飲ませるように言った。

 その夜、娘からの贈り物に喜んだ鬼は、何も疑わずにその酒を全部飲んでしまった。真っ赤になってぶっ倒れた鬼が幸せそうに寝息を立てているのを見た娘は、やつの身体に触れて何か迷っていたが、やがて意を決すると洞窟を出て、手を振った。息を殺して合図を待っていた討伐隊は、それを見て一斉に立ち上がり、二人のねぐらに突入して、鬼の首をはねた。

 首だけになった鬼は、びっくりして目を開けた。そんで娘の裏切りを知り、泣き叫んで暴れ、近くにいた討伐隊の喉を噛みちぎった。(酒がまわった胴体から切り離されたことで、首の方は酔いが覚めたんじゃな)


 鬼の首と百の武装した人間の格闘は夜明けまで続いた。最後には、十人まで減った討伐隊はやっとこさ、空になった例の酒壺に、鬼の首を押し込んで栓をすることに成功したんじゃ。

 都に持ち帰られたこの壺には、国中のお宮さんだの山伏だのから集められた御札が、一分の隙もなく貼られ(一番効果があると思われた「おからすさん」の符だけは、貼ったとたんに力を得たように壺が暴れだしたので、あわててはがさにゃならんかった)、厳重に封印された後、「宇治の宝蔵」に収められたんじゃ。 


 さらに都の人間どもは、「七幡様」の言いつけ通り、鬼の胴体を地図に印があった場所、都から遠く離れた関東のソレガシという土地に運んだ。そんで、そこにあった御堂に鬼の胴体を封印したんじゃ。

 それ以来、関東のかの地では、鬼の呪いがつづき、おとずれた者が、神隠しにあったり、四肢や首を切り離されたりした。やがて御堂に近づく者はいなくなり、伝説だけが残ったんじゃ……。




 この昔話から時を経て、土地の開発が進んだ二十一世紀となっても、その御堂の周辺は禁足地と呼ばれ、閑静な住宅街に奇妙な雑木林として、くり抜かれている。




 俺がここに閉じ込められて、一体何万年経過しただろうか……ここは真っ暗で、狭くて、何もない……。千里眼と悪魔の聴覚で、外の様子を知覚しようとしても、小さな庭くらいの範囲に、俺が閉じ込められている御堂と、無駄に立派な鳥居を含んだ、十坪ほどの雑木林があるのしか見えないし聞こえない。鳥居の外、一間(約一・八メートル)から先は、世界が無くなってしまったかのようだ。

 あの時、首だけになったあと、押さえつけられて布で厳重に巻かれて、どこかに閉じ込められて。窒息の苦しさで気が遠くなったり、正気に戻ったりを繰り返して、六日後に胴体のあるこの場所で、目が覚めた。

 ……待てよ……悪魔の記憶って三千年しかもたないんじゃなかったっけ……首をはねられた時のこと、今でも全部覚えているってことは、まだ三千年も経ってないってこと? いや違う……そもそも俺が間違っているだけで、記憶を保持できる期間って三万年だったような……それとも、閉じ込められた時の本当の記憶はすでに失われていて、偽の記憶と入れ替わっている? 

 じゃあ一体、俺の記憶の中にいるこの人間の女はなんなんだ。あの日、俺はこの女と目があったばっかりに、最後にはこんなところに閉じ込められる運命だったんだぞ!

 ……まあ……もうどうでもいい……どうせ彼女のあの笑顔も結局は嘘だったんだから……嘘の記憶の中の嘘……ひっくり返って本当にならないかな……何、言ってんだ俺は……。


 

 ここへ来た最初の数年間、ひどい憎悪と怨恨に取り憑かれていた俺は、千里眼で雑木林を睨み続けた。そして外の世界から、人間が俺の林に侵入してくるたびに、呪の力でそいつの首をはね、カラスどもに食わせた。やがてここへ来る人間はいなくなった。その頃にはもう、自分のやっていることが馬鹿馬鹿しくなっていた俺は、何もせずに引き込もるようになった。


 毎日、俺は彼女の声を思い出した。しかしやがて、それは自分の声と区別ができなくなった。


 することがなくなった俺は、正気を保つために、一日過ぎたと思うたび、自分の太ももをつねって、痛いと感じたら壁に爪で傷を一本つけた。たまにその傷を触ったり、眺めたりしては、自分の理性の証拠とした。

 しかしあるときふと、壁につけられた洗濯板みたいな凸凹の傷を触っていると、この印自体が狂気の沙汰みたいな気がしてきた。一体誰が、この傷どもと、俺の痛みとの結びつき、そしてそれを確信している俺の理性を保証してくれているというんだ。そもそも、この傷をつけたのは俺だというのは、正しい記憶なのか。これは一体誰の仕業なんだ! もちろん、ここには俺しかいない。しかしそうである以上、何が「俺」で、何が「俺」でないのかを、教えてくれる者もいないのだ。


 俺は何をするのも、何を考えるのもやめた。だいたい誰も見ていない以上、俺が正気だろうと、狂っていようと、どっちだって同じじゃないか。


 俺は彼女の手触りを思い出した。やがてそれは、自分のふとももの手触りと区別がつかなくなった。


 有象無象のこだわりを捨て、なんだか解放された気分になった俺は、久々に千里眼で雑木林を見た。すると、俺が閉じ込められているらしい御堂の前に、いつの間にかスミレがそなえられているのに気付いた。何本か並んでいるそれは、枯れ具合がそれぞれ違った。茶色くなって乾燥しているものもあれば、引っこ抜かれたばかりで瑞々しいのもあった。

 やがて一人の人間が現れた。そいつは、手にしていた例の草花を一本、例の場所に置いた。そして目を閉じて、手を合わせた。唇がかすかに動いていたので、聴覚を最大限敏感にして耳をすますと、そいつは自分の息子と夫のぐちを散々述べたあと、彼らの矯正と健康を祈った。最後に一言だけ、「世の太平」を付け加え、頭を下げて帰った。どうやら、「御堂」という体裁だけ見て、そこに祀られているのが神か何かだと勘違いしているらしい。

 それ以降、俺は外が気になるようになった。そいつは、度々ここへ来た。いつも、そいつは手を合わせては、俺にはどうにもできないことを祈り、時にはなぜかお礼を言い、頭を下げて帰った。そなえる花は季節によって変化し、ドクダミその他の名前の分からない草花、冬には南天を持ってきて、寒すぎたのか一瞬だけ手を合わせて、さっさと帰った。雨や雪が降ると来ない。ずっと天気が悪くて、やっと晴れたというのに、やっぱり来ないこともある。いつの間にか俺は、そいつが来るのを待つようになった。

 ある時、花が何も見つからなかったのか、もち米でできた団子をひとつ惜しそうに供えたことがあった。あいつが去ったあと、久々に俺は呪文を唱えていた。気づくと、俺の暗闇に白い団子と半分枯れた草花が散らばっていた。俺は団子を口に入れた。久々の食べ物は、砂の味がした。


 久々に彼女の顔を思い出そうとすると、少しだけあいつの面影があった。

 

 俺があいつの姿を初めて見てから数十年、いや本当は数年? とにかく随分長い間、祈る人間と祈られる悪魔という、二人の関係が続いた。はたから見たら、まったく不毛な関係だった。しかし、俺にとっては、誰かに話しかけられる唯一の時間だったし、あいつにとっても、自宅で天に祈らず、わざわざここへ来るということは、まさにこの御堂にいる俺との対話に価値を見出していたのだ。

 あいつの祈りの内容は年々変化した。最初は子どもの成長を祈っていたのが、だんだんと彼らにいい縁談が来るように望むようになり、やがて孫の無事な誕生を祈り、最後は孫のいい縁談を祈願するようになった。

 その間、あいつの髪はだんだんと白くなり、シワも増えた。動作もゆっくりになり、ここへ来る間隔もますます空くようになった。

 

 三十日以上顔を見せなかったある日、いつになく軽快な足音がした。やがて御堂の前に姿を現したのは、見慣れない若い男だった。男はお辞儀をすると、御堂の前の雪を手で払い、ふところから包を出して俺に供えた。

 そいつが手を合わせて唇を動かし始めたので、聴覚を最大にした。彼は「祖母の容態が良くなく、もう助かる見込みがない。だからせめて苦しまずに極楽へ行けるようにしてほしい。祖母は、いつもあなたにお参りしてきたのだから」と祈った。

「悪魔に極楽に連れていけとか、バカにしてんのか!」

 俺は数万年だか、数千年だかぶりに大声で怒鳴った。そして自分を囲む壁に向かって体当たりした。あいつの孫は、その振動に驚いて逃げた。

 俺は何度も体当たりした。しかし、御堂は一向に壊れる気配はない。そんなこと知っていた。何万年前だか、何千年前だかにも散々試したんだから。

 それでも俺は、やめなかった。俺は、体に当たる壁がぬめっていることに気づいた。一瞬だけ、この御堂にかけられた封印の術が解ける何らかの兆しだと思った。しかしすぐに自分の血だと分かった。やがて、何かが床に落ちた。自分の左腕だった。俺はやけになって、壁に頭突きをした。火花が見えたあと真っ暗になって、俺は倒れた。起き上がろうとしても、手足が動かない。俺は大の字になったまま大声で泣いた。

 俺はあいつの最期に立ち会えなかった。

 俺は「痛み」とはなにかを完全に思い出した。









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