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6. 失われた記憶の断片c

 以下の記述は、三千年も記憶を保持できる、悪魔や天使にすら忘れられてしまった、遠い昔の記憶の断片である。現在を生きる我々が、現在の地球をいくら調査しても、これらの記憶について、いかなる遺跡のかけらも見つからない。

 この世界は、神が見る夢である。夢の中では、歴史の集積すら、同一性を保ち続けるとは限らない。神は自身の夢の中で、誰にも気づかれないようにそっと、古代の地層や、遺跡、いにしえの文書を、書き替えてしまうことがある。

 天使や悪魔たちの、自分でも忘れてしまった遠い昔の経験は、我々が現在の地球を調査した結果、信じている歴史とは全く異なるものであるかもしれない。





 お茶の時間になったので、サリエルは二人の弟子が寝起きしている小屋を訪ねた。ちょうど花畑から戻った二人を小屋の前の空き地に座らせ、火を起こした。派手な模様のついた土の壺にお湯を沸かして、乾燥させたドクダミを入れる。

 煮出されるのを待つ間、師匠は弟子に語り始めた。

「二人とも、世界がどうやってできたか、知っとるか」

「神様が『光あれ』と言って、光やらなんやらが世界にできたかられす」

 青い目の弟子がすぐに手を上げて答えたので、赤い目の弟子は彼を少し睨んだ。

「なるほど、そう言われているな。だが、考えてみなさい、光が世界に存在する前に『光あれ』と言えたということは、神様は光が世界に存在する前から、『光』とはなんなのか知っていたということになる。

 世界ができる前に、先にあったのは言葉じゃ。そして、言葉は二人いないと成立しない。つまり、しゃべる人と聞く人じゃ。聞く人がいなければ、言葉は単なる音と同じじゃからな。独り言というのがあるが、これだって自分がしゃべったことを自分で聞いて初めて成立する。何をしゃべったか理解できるのは、絶対にしゃべり終わった後だっていう時間差を考えれば、独り言というのは、一瞬前の自分という他人がしゃべったことを、今の自分が聞くということで成立している。

 そして、これら二人が、空間的もしくは時間的に別のところにいるにもかかわらず、言葉を通して意味だか何だか何らかのものを共有している気になる……本当は共有なんかしていないのかもしれないが、一時的にでもそういう夢を見ることができるって言うのは、奇跡じゃないのか……光だの水だのを作るよりも、ずっと奇跡じゃないのか……つまりより一層神様の仕事らしいってことだ。

 こりゃ……ベリアル……鼻くそなんか食べちゃいかん……」

 赤い目の弟子が、黙って注意にしたがったのを確認してから、サリエルは続けた。 

「事実はこうじゃ。

 昔々、最初の悪魔だか天使だかの(きざ)しが世界に現れた。『世界に現れた』と言っても、そいつはまだ、自分と自分でないものの境目がどこにあるのか、ぜんぜん分かっとらんかったし、世界自体も混沌としていて、全てがてんでんばらばらで、きちんと仕分けされてはおらんかった。

 ある時、彼の元に神の声がした。

『おい、おまえ』

 悪魔だか天使だかは思わず答えた。

『はい』

 神様は、彼を引き寄せ、抱きしめた。

 ここで二つの奇跡が起こった。

 一つ目の奇跡は、『はい』の直後に起こった。答えた瞬間、こいつは『おい、おまえ』という呼びかけを聞いたやつと、『はい』と答えたやつがその時間差にも関わらず、同じやつだと気づいたんだ。ついでに、それに気づいている自分もまた、同じやつなんだと気づいた。つまり、すでに失われた過去の自分と、今の自分は、ある意味では別物であるにも関わらず、神様の元では同じやつなんだと悟ったんじゃ。

 二つ目の奇跡は、彼が神様と抱き合い、神様を直に感じた瞬間に起こった。この瞬間、彼に『神様』が完全な形で開示された。そして『神様もまた、私の全てをご覧になっているんだ』と彼は感じた。つまり、神様とその天使だか悪魔だかは、全く相容れない二つの存在であるにも関わらず、お互いの『何たるか』を共有したんじゃ。

 過去の自分と、今の自分が同じやつだと信じる、神様と『何たるか』を共有する。過去の自分や神様という他者を、自分の中に引き入れることによって、逆説的に、彼は一つの孤独な『魂』として自立することができた。詳しく言えば、彼は、過去の言動を自分のものだとすることによって、過去の言動に責任を感じることができるようになり、神様と何かを共有しているという自負(のちに理性と呼ばれた)によって、自分の周りの物事の『何たるか』も判断をすることができるようになった。

 こうして、その天使だか悪魔だかは、正式に世界という場所に座を占めることになり、そいつの理性に照らされることによって、世界そのものもまた全貌を現した。

 だがここで問題が起こった……実は、最初の悪魔だか天使だかっていうのは、一人じゃなっかったんだ……何人もいた……そんで目の前にあるものの『何たるか』について、意見が別れたんだ……光だっていう者もおれば、どんぐりだっていう者もおれば、なんかもっといかがわしい物だっていう者もおった。光だっていう者どうしの間でも、ちょっとした食い違いがあると、『あいつの「光」は偽物だ。俺の「光」こそが唯一の本物だ』って、みんな考えた……」

 そこまで話したところで、さっきまで眠そうにあくびをしていた青い目の弟子が、突然立ち上がって服を脱ぎ捨て、背を向けて走り出したので、サリエルは怒鳴った。

「こりゃ……カイム……人の話しを聞いている最中に、湧き水を発見したからって、尻を洗いにいっちゃならん。というか、そもそも人前でいきなり裸になっちゃいかん……戻ってきて服を着なさい……そうそう……」

 サリエルは青い目の弟子がきちんと座り直したのを確認してから、出来上がったどくだみ茶を大きな木のスプーンですくって、3人分の器に注ぎ、それぞれに渡してやった。

「そんで、そいつらの中には、無理にでも相手を自分の意見に従わせようと、正論やら暴力やらに訴え出したもんがおった。彼らは、だんだんと弱い意見を淘汰し、みんなの意見をまずまずのところまで一致させ、一つの集団を作った。しまいには、結束するために、みんなで一つの神様を祭り上げた。こいつらが、のちに天使と言われるようになった。こいつらが信じている神様っちゅうのは、だから要するに自分たちで作り上げた像のことじゃ。

 その一方、目の前にあるものがなんだかは、それぞれが自分勝手に信じればいいじゃないかと考えた連中もおった。『どうせ他の奴らには、俺と俺の神様のことは、ほどほどにしか分かりっこないさ』ってな。こいつらが、おまえら悪魔じゃ」

「本物の神様は、今頃どこで何をしてるんれすかあ」

 青い目の弟子が、お茶をすすりつつたずねた。一方、赤い目の弟子は、熱すぎて飲めなかったので、地面に置いた器から昇る湯気を凝視して、冷めるのを待った。

「いい質問じゃ。本物の神様はなあ、今頃、眠っておる。ただひたすら眠っておる。この世はなあ、神様が見る夢なんじゃ…‥わしらはその登場人物に過ぎん……悪魔や天使は、それぞれが神様に教えてもらったあれこれで、世界の有り様について色んなことを確信しているが、何しろ神様は夢の最中じゃからのう……夢の中ではわけのわからんことを無反省に信じていて、起きてみるとなんであんなこと真剣に信じていたんだろうと馬鹿馬鹿しくなることがあるように、神様が教えてくれた『何たるか』も実はとんでもないことなのかもしれない。しかも、人によって教えていることに、食い違いがあるから、わしらは自分の神様について誰とも、本当には語り合うことができない。

 ほんでもって、神様が起きるとき、夢も終わる。つまり、世界が終わるんじゃ……」


 


追記


 サリエルは、神による呼びかけのあとに行われた開示を、弟子たちの良くない記憶を刺激しないように、「抱きしめた」と表現した。しかし、神が自らを開示するための方法は、「抱きしめる」だけにとどまらなかった。一部の者に対しては、例えば「ひっぱたく」という仕方で、自らを開示した。

 そして、おそらく、抱きしめられたのか、ひっぱたかれたのかで、そいつが天使になるのか悪魔になるのかが決まった。



 神が彼らに「何たるか」を開示する際、「抱きしめる」「ひっぱたく」といった、お互いの「ふれあい」によって行ったのには理由がある。それは「ふれあい」が、誰かが誰かに何かを伝える手段となりうるという点で、言葉の一種と言えなくもないものの、言語としての重要な特徴を欠落させており、この欠落こそが、神のたくらみに、とても優位に働くからという理由である。


 この欠落は、同じく感触によって成立する言語である点字と、「ふれあい」との違いを考えれば分かりやすい。

 点字は、まぎれもなく言語だと言える。なぜなら点字は、同じ文字に触れたすべての人が共有できるからである。「りんご」を表す点字は、誰にとっても「りんご」である。さらに第三者の視点から、ある人が正しく読めたかを検証することもできる。このように、三人以上の人に共有できる公共性こそが、言語の言語たる所以といえる。

 一方、「ふれあい」は、点字とは違い、第三者が入り込む余地が無い。

 例えばAさんが、Bさんと握手した経験を、第三者であるCさんに伝えようと、Cさんと握手しても、失敗に終わる。そこには、Bさんとの握手とは全く別の、新たな一期一会の経験が発生するだけである。

 ふれあいは、当人同士にのみ共有される、秘密の経験といえる。仔細を考えれば、AさんとBさんの握手で、ふたりの経験はそれぞれ異なるものであるが、相手の身体から直接伝わる温度や柔らかさは、人が相手の秘密を知り、それを共有したと信じるには、十分と思われる。

 そして、神と何かを秘密で共有した、という信仰こそが、「魂」という虚像の始まり、引いてはそれぞれの「魂」にとっての自分を中心にした世界の始まりである、というのが、この物語が主張する骨子である。



(某哲学者が論じる、私的言語(自分で自分の感覚に名をつけ、それが起こった日にカレンダーに印をつける)の問題も、「ふれあい」と根が同じだと思われる。第三者によって、検証不可能であるという理由で、それは言語ではない。しかし私が、数秒前の私を襲った感覚に名をつける時、私と数秒前の私の間で、「ふれあい」に類いする何らかの形のコミュニケーションは成立している。)

 





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