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5.No demon,no life.(Because,he gives you death.)⑦

この物語の最終話。

 この日以来、僕は夜になると必ず例の火事の夢を見るようになりました。そして器官に詰まる鳥の羽で眼が覚めるのです。今までは夢で見ても、鳥の羽は湧いてこなかったのですが。

 カイムに会ってから、僕は考えました。僕が呼び出したのが、レミエルではなく、彼だったらどうだったのでしょうか。おそらく、レミエルと同じように、一緒にご飯を食べ、おしゃべりをしたでしょう。身支度は逆に僕が手伝ってもらっていたかもしれません。そして彼は、この世の真理については、何も開示してくれなかったでしょう。レミエルであれば、深く考えずに思いつきで何かを言い、それがたまたま僕には世界の秘密に触れているように聞こえるといったことがあります。しかし賢いカイムのことだから、自分の限界を素直に認めたでしょう。そしてきっと、僕たちは二人そろって、肝心なことが何も分からないこの世界の中で、途方に暮れるのです。

 こうした空想の穏やかさと並行して、日に日に僕の夢と現実の境は薄くなっていきました。どうやら僕は、真理を奪われてしまったようです。いえ、被害妄想はやめましょう。奪われたのではない、僕が隠し持っていた真理の正体を突きつけられたのです。

 

 

 洗面所で、口をゆすいでいると背後で声がしました。

「おい、おまえはこんな夜中に毎晩何をやっているんだ」

「なんでもないよ……どうしたの。眠れないの」

「ここの所、おまえの様子がおかしい。顔色が悪いし、寝ていても覚めていても、うわごとのようなことばかり言っている。心配で見張っていたのだ」

「ありがとう……でも大丈夫だから……」

 レミエルは僕を突き飛ばして、洗面器に散らばった鳥の羽を見ました。

「一体どういうことだ……この羽……まさかツグミじゃないだろうな……どうしておまえが、呪いなんか……」




 次の日、レミエルにせっつかれるまま、僕は病院を受診しました。

 診察室で先生は、僕のレントゲン写真を見て考え込みました。

「残念ですが、非常によろしくない状態です。どうしてこんなに肺に羽毛が詰まっているのか……」

 レミエルが身を乗り出しました。

「羽毛を取り除けば、助かるのか。私の祝福なら悪魔の呪いくらい、簡単に上書きできる」

「いいえ。今更、羽がなくなっても無駄でしょう。具合が悪いのは、羽そのものよりも、羽についていた菌だからです。ずいぶん長い間、十年くらいかけてここまで繁殖してしまったのでしょう。菌と肺が一体化してしまっていて、もう手立てがありません。いつ肺が全く機能しなくなってもおかしくありません」

 僕の肩を掴む天使の左手が、小刻みに震えていました。

「カイム! 私はおまえを絶対に許さないからな」



 レンガの邸宅。この家の主人は、この一ヶ月、病に伏せっていた。しかし、様子を見にくる家族や友人は一人もいなかった。本人が面会謝絶を宣言するまでもなかった。主人の寝室に出入りする人間は、食事や着替えを運ぶ給事役のみ。

 ただ、人間以外では、この屋敷に住む悪魔だけは、主人が寝込んで以来、たびたび部屋にやってきて付き添っていた。付き添うと言っても彼は、だまって部屋に入り、言葉をかけることもせず、顔を覗くことも手を握ることもせず、主人のベッドの足元にしゃがんで、自分の持ち物の日本刀にしがみついてじっとしていただけであった。


――まだ、悲しいのかどうか分からないな。本当に悲しい時、感情は時として遅れてやってくる。今度も私は泣くんだろうか。こんなにうまくいかなかったのに。


「おい、悪魔。そこにいるんだろう」

 数週間ぶりに、この部屋の主人の絞り出すような声がした。

「なあ、カイム、私の人生は、人望と才能を兼ね備えた会社経営者で、家族を深く愛したよき夫、よき父であったな」

 少しの間。

「その通りだ」

 返事に間があったのは、悪魔はこれが自分にかけられる最後の言葉だと、直感したからである。

「私の会社と競合していた会社は、経営者のほとんどが、大量の鳥に襲われて、会社と自宅の火事とともに亡くなり、潰れてしまった。これは、悪い悪魔が勝手にやったことで、私の指示なわけはないな」

「その通りだ」

「最後に焼き払われた会社は、難を逃れた経営者の息子によって、しぶとく再興した。しかしその会社が出荷した卵に不備が見つかり、社会的制裁を受けて潰れてしまった。その会社の異種混入は創業以来、後にも先にもそれひとつだったのだがな。これも、その会社の落ち度か、悪魔が勝手に気を利かせただけで、私の知らぬ間に起こったことだな」

「その通りだ」

「私の最初の妻は、不幸にも鳥に襲われて死んでしまった。そして私は、別の女性と再婚した。私は、二番目の妻となった女性と出会ったからといって、一番目の妻を捨てたいと願ってしまったわけではないな。二番目の妻は結果的に、妻になっただけだ。一番目の妻は、私のいつまでも一緒にいたいという気持ちを裏切って、私に取り憑いている悪魔に呪い殺されたのだな」

「まったくその通りだ」

「一番目の妻との間にできた一人息子は、なぜか私を恨んだ。そして私をよく思っていなかった上層部の人間と一緒に、私を追い出し、この会社を乗っ取ろうとした。しかし、なんということか、例の悪魔の毒牙にかかり、私の大事な一人息子も命を落とした」

「その通り」

「映画女優であった、二番目の妻はとても美しかったが、やがて経営に口を出すようになり、会社の金に手をつけるようになった。彼女もある日突然、私に知られてないと思い込んだまま、男娼と何度も泊まりに行っていたホテルで失踪した。うっかり心まで許してしまった悪魔の男娼に、隠した金のありかを白状した後にな。この真相も、彼女から最大の侮辱を受けていた、その悪魔が知るのみで、私は途方にくれるしかなかった。だがそのおかげで、会社の経営は持ち直した」

「ああ、その通りだな」

「そうして、死の間際、私に残されたのは、人々の屍の上に立つ巨大な会社と、悪魔一匹だけだ」

「その……」

 「その通りだ」と言おうとして、悪魔は口をつぐんだ。

「……悪魔の言葉など信用できるか。おまえと出会ったとき、人間の魂は食わないといったのも嘘だろう。とっくに私の魂はおまえに食われていたのだろう。

 私は怖かった。悪魔の力を得ても、やっぱり人から何かを奪って罪を背負うのが怖かった。だからと言って、逆に手段があるのに何もせず、私の欲しい物が人に奪われるのは、もっと怖かった。その結果、私は自分で生きるのを放棄してしまっんだよ。子供の悪魔に、意志の全責任を委ねてな。お前の意志は、私の意志だ。

 カイム、最後の願いだ。私が死んだら、亡骸をすべておまえの鳥どもに食わせろ。骨のかけらも残さずに。お前が手に掛けた他の人間と同じようにな。そして会社とこの家に火をつけろ、私の財産、持ち物もすべて一緒に燃やせ。この世に私が晒した羞恥の痕跡を、少しも残さないでくれ。おまえが私の魂を食い尽くしたように、跡形もなく消すんだ……私という悪魔は……最初からこの世に……存在していなかった……いいな……」

 言葉の最後のほうは途切れ途切れで、人間には聞きとるのが困難なほど弱かった。数分間の沈黙。

 カイムは立ち上がって、男の口と鼻の上に手をかざし、呼吸が止まっていることを確認した。そして、布団の上の男の手に指先で触れ、「分かった」と呟いた。



 薄れる意識の中、僕は久々に立ち上がって窓の外を眺めていました。遠くに大きい火事が見えたからです。とても美しい。ひょっとしたら夢かもしれませんが、どっちだって同じことです。夜空に瞬く赤い炎と、悲鳴のような警鐘。祝福のようでも、罰のようでもあります。悪魔に魅せられて、天使に助けられた僕の最後を飾るにふさわしい。

「レミエルきれいだね」

 横にいた僕の唯一の友達は、返事をしませんでした。火事の方角に思い当たるものがあったのか、しばらく呆然と夜空に映える赤い光を見つめていましたが、急に歯噛みをして窓に背を向けました。

 この世界は誰か他の人の夢であるという主張。これが正しいとしても、それをその夢の一部に過ぎない僕が、どうやって証明すればいいのでしょう。あの子の言うとおり、理性は当てにならないという主張は、主張している当人にも当てはまるのですから。夢の世界の住人は何も知ることができない。でも夢の登場人物は大抵、何かを確信した気になっていて、それに夢中です。考えるな、信じろ。信仰の対象さえ間違えなければ、夢に生きる人生は、それなりに幸せなものだったに違いありません。僕は間違って、悪魔を信じてしまいましたが。

 悪魔。ホットケーキが好きで、はにかみ屋で、好きな本の話を楽しそうにする、天使の友達のカイムという男の子のことではありません。悪魔。僕の作り出した幻影のことです。僕は世界から目覚めることを切望しながら、別の夢の世界に遊んでいただけでした。



 ひどく咳きをしたかと思うと、僕はいつの間にか、床に横たわっていました。レミエルが駆けてくる音が頭に響く。僕は、以下の通り話したつもりですが、ちゃんと声に出ていたのか、声に出ず自分にだけ語っていたのか分かりません。

「期待に応えられなくてごめんね。レミエル、僕は自分に取り憑いたものの正体を見てしまったあとも、自分を保ったままでいられるほど、自信家ではなかった。

 ありがとうレミエル。今日まで、歩みをやめずにいられたのは君の声がかすかに聞こえていたからだ。

 僕は、自分は一人で生きていると思っていた……だけど本当は、極度の寂しがり屋だった……誰かと一緒でなければ、一人で生きていくことすらできなかったんだよ……そのため来てくれたのが、君だった……なのにいつも僕は、虚な悪魔の姿にばかり吸い寄せられてしまった。レミエル。僕のたったひとつの真理だったかもしれないのに。僕が大切にすべきは、僕が信じていることでも、君が信じていることでもなく、君自身だったんだね」

 僕は、泣き喚く男の子の顔を見ながら、彼の子供らしい温かいふっくらした手を取りました。そしていつの間にか握っていた、母の結婚指輪をその手の中に入れました。

 レミエルは、それを握ったまま両手の拳で僕を叩きながら叫んでいます。僕を呼ぶ声は、だんだんと遠くなっていき、視界は暗くなりましたが、僕を起こそうとする優しい拳の感覚は最後までかすかに残っていました。



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