鏡2
三木谷の言っていた通り、彼女の自宅へはほんの五分程で辿り着いた。
目の前に見えるのは大きなお屋敷。重厚な門の先に手入れの行き届いた草木が綺麗に並んでいる。
黒い御影石に"三木谷"と掘られた表札が出ている。
「大きくて素敵なお家ですね…」
初めて見るお屋敷に衣羽はつい言葉を漏らす。
「そうですか? …あ、ありがとうございます」
三木谷がインターホンを押し、「開けてください」の一声で、その門はゆっくり開く。その先には石畳が続いていた。
衣羽はきょろきょろと忙しく見渡すが、その姿にミキは呆れたようなため息をついた。
玄関の先にはお手伝いさんであろう人物が迎えに出ていた。
「お帰りなさいませ、奥様。そちらが…例の……」
真っ白で人間離れした様な少年とHEBIエプロンをつけた衣羽を交互に見る視線は、まさに怪しい者を見ているようだった。
一応、この場に来るまでに、三木谷が自宅に連絡を入れていたが、まさかこんな子供二人がやって来るだろうとは誰も想像はつかないだろう。
「え、ええ、こちらの方達が…見てくださります」
奥様本人も戸惑っているのだから、お手伝いさんも疑いの眼差しを向けるのはやむを得ないのだ。
「では…お茶を用意して参ります…」
「ええ、お願いします」
そして部屋の奥へと消えた彼女を見届けると、用意されたスリッパを履きながらミキは問う。
「あの人、いつも居る人間? 」
「そうです。使用人の政子さんです」
「ふーん…」
質問したものの、空返事をするだけで、彼女が消えていった先を真っ直ぐ見つめていた。
(使用人かあ……すごいなあ…)
一方、衣羽はというと無縁すぎる空間に感心するばかりだった。木で出来た柱には素敵な模様が彫られ、高そうな壺や絵画が飾られた玄関に圧倒されていた。
そして通された客間もやはり広かった。洗練されたデザインのテーブルや椅子が並べられ、スリッパ越しでも伝わるふかふかな絨毯が敷かれている。
大きな窓からは温かい陽射しが燦々《さんさん》と部屋に降り注いでいた。
入り口にはまた、初めて見る男性が立ち、来客者に向かって一礼をした。
「秘書の小林です」
三木谷さんの紹介に小林はもう一度会釈をした。スーツをかっちりと着用し、短髪で爽やかな青年だった。
「洋子さんの普段接する人はこれだけ? 」
政子がお茶を運んできたところでミキが切り出す。
「え、ええ。身近に置くなら信用できる人がいいので…。 政子さんも専属で雇わせて頂いております。もう…二十年以上お世話になってます」
三木谷が政子に視線を配る。本人は少し照れたように笑った。
「小林もです。彼はまだ秘書になって二年程ですが、先代の秘書の息子なんです。 先代は会社設立から付き添ってくださった方で…。純君はまだこんなに小さい頃から見てるんですのよ」
座りながら胸程の高さに手を上げて幼い頃の彼の背丈を表し、懐かしそな顔をする。
「…よ、洋子さん、やめてください! き、勤務中に下の名前で呼ぶのは…」
後ろで顔を赤くした小林は、焦りながら三木谷に抗議をした。
「ふふふ、ごめんなさいね。私達には子供がいないものですから…息子のように思っているんです」
彼女の笑顔に使用人も秘書も家族のように慕っている事が伺えた。
衣羽は温かい気持ちに包まれるが、その横で少年は難しい顔をしていた。
「見た所、洋子さんの回りに運を吸収してしまう体質の人はいないみたいだなあ…。一応聞くけど、割れたままの食器や古新聞、新品なのに履かない靴とか、お家に置いてたりしない?」
そんな質問に少し考えた後、政子と小林に視線を移したが、二人とも首を横に振った。
「そういった物は…すぐに捨てるようにしてますけど……」
「……そうみたいだね。運気が下がるような"悪いモノ"を僕も感じない。無くなった洋子さんの運をこのお家ではどこにも感じないな…」
「うーん」と、難問に頭を悩ませるミキ。
しかし時計をちらりと見るとため息をつく。
それは彼が考えるのを止めた合図だった。
「とりあえず、今この家にある飾り物はほとんどインチキ占い師達から買ったものだよね」
独り言に似た台詞は三木谷にとって図星だった様で、驚いたように目を丸くした。
「えっ…ええ…お恥ずかしい話ですが…」
「まあ、それの浄化は後でするとして、洋子さん自身の持ち物で大切にしている物はある? 」
その問いに一瞬下を向くが、すぐに思い出したように「あ」と言った。
「あります。初めて主人から貰った姿見が……」
「姿見……! そりゃあいいね! 」
途端、ミキの顔色が変わったのを衣羽は横目で見る。
彼の表情は自信に満ちていた。
その姿見は彼女の自室にあった。人柄を表すように、整理整頓された綺麗な部屋。
あのオフィスと比べる事は失礼に当たるだろう。まるで天と地の差だ。
そんなオフィスの主は真剣な顔で一点を見つめていた。見つめる先は、もちろん目的のもの。
真っ赤なベルベットが掛けられ、埃一つ付いてないそれは手入れが行き届き、大切にされていると一目で分かる。
「…うん…いいね……。充分すぎるくらいだ…」
少年が感嘆の声を漏らす。
この部屋の空気が澄んでいる事は、衣羽でも感じる事が出来た。
ゆっくりと、三木谷がベルベットを引く。
姿を現した鏡は、まるで童話に出てくるかのように美しい。金で縁取られた楕円形に花や鳥を型どった細工が施されている。
「すごい……綺麗……」
感動を口にする少年少女に持ち主は嬉しそうな顔をした。
「私には…少し可愛すぎると言ったんですけどね……」
そして疑問を投げ掛ける。
「…ミキさん、どうして…鏡が…? 」
「鏡は、時にご神体として用いられる事もある程に神聖なんだよ。
それに洋子さんのこれは、本当に大切にされている…。そういった物にはね、"魂"が宿るんだ。」
少年は優しく鏡に触れながら答えた。
「本当に…良い子だよ。中途半端な術に囲まれて大変だったろう…」
彼の小さな呟きに、まるで返事をするかの様にそれ光を反射させた。
手を添えた彼が鏡との会話を終えると、三木谷に視線を移し、告げた。
「とりあえず、この子は洋子さんを助けられるなら出来る限り力になりたいって。」
「……! 」
「ただ、これは分かっていて欲しいんだけど、僕はただ片寄ってしまった天秤の均衡をとるだけ。だから、洋子さんにこれまで起きてしまった不幸を無くす事は出来ないし、幸運をもたらす訳でもないんだ」
「は…はい…」
「まあ、これ以上悪くならない様にはなるから」
「……それだけでも…助かります」
彼女の返事に少年は満足気に笑みを浮かべると、もう一度鏡に向き直る。
「さあ、始めますか…! 」




