鏡3
「隅中・巳の刻、巳土の力召し、火は土を生じる相生の如く我に与えよ」
破り取った用紙を適当な四ツ折りにすると二本の指で挟み、唱えを始める。
そして、橙色の炎に包まれ、それはミキの体に広がった。
まるで大蛇が体に巻き付くかの様に形を取った橙の炎は、昨日よりもっと濃い色彩を放っている。
そしてその手の平を鏡へとあてがうと、詠唱を続けた。
「万物に宿りし力よ、主の為に生を成せ。我、槌之杜を介し主に帰還せよ。」
声に合わせ、徐々に橙色は鏡全体を覆う様に広がる。
金細工の花や鳥が色付いていくような光景は神秘的だった。
光が全てを包んだ時、ミキが表面を指で突く。
そうすれば、彼を映していたそこは波を打った。
「こ……こんな…ことが……」
そんな声を漏らしたのは三木谷だった。
初めて見るのだから当然の反応だろう。
助手でさえ、わかっていながらもそんな光景に見蕩れ、声を失っていた。
そのうち波は静かになる。
収まっていくと共に何かがそこに写し出されてゆく。
はっきりとしていくそれは見覚えのある姿。
「…これは………私……?」
そう。映っているのは三木谷。若かりし頃の彼女だった。
その顔に浮かぶ優しく笑顔は、今と変わらない。
「さあ、洋子さん、鏡の前に来て」
橙色を浴びる少年は三木谷を手招きする。
「えっ……あの…………」
「大丈夫だよ」
手を差し伸べる彼へ、恐る恐る歩み寄る彼女。
ゆっくりと近づき、ミキにエスコートされながら若き自分の前に立った。
「……はあ、し、信じられない光景だわ……」
向き合った"自分"と目を合わせながら、非現実的な光景に口を手で覆って感嘆の声を漏らす。
「さあ、洋子さん。"貴女"と手を合わせて。」
少年の囁きに先に反応したのは鏡の中の彼女。
しなやかな手がこちらに向かって添えられた。
「………っ」
そして、言葉にならない吐息を吐いた、こちら側の彼女もその手を重ねた。
「………まあ…歳を取ったのね…手にも皺がついたわ……」
自身の手を見つめ、そう呟いたのは緊張を紛らわす為だろう。
その言葉に、向かい合う彼女も笑った様な気がした。
そうして、橙色は重ねた手に集まり始める。
色付いていた花や鳥は光を失い、元の姿へと戻っていく。
その光景は吹き込まれた命が無くなってしまうようで少し寂しさを覚えた。
「貴女は…」
ふいに、三木谷が呟く。
「貴女は……ずっと…見ていてくれたのね…」
だが、鏡の中の彼女は唇に人さし指を当て、言葉を遮った。静かに目を閉じると、ぱくぱくと口を動かす。
「…………っ! 」
それを理解出来たの三木谷だけ。
最後に微笑んだ彼女は淡い光となりながら、重ねた手に吸い込まれる様にして消えてしまう。
間も無くして、集まった橙色は彼女に溶け込み、まるで何事も無かったかのように部屋には静けさだけが広がった。
「うん。無事、終わりだね」
静寂を破った少年の声に三木谷はゆっくりと振り返る。目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「お、奥様……っ 」
駆け寄った家政婦に、彼女は優しい顔で「大丈夫よ」と一言漏らす。
「三木谷…さん… 」
衣羽も声を掛けるが、その表情は柔らかく、心配は要らなそうだった。
「ふふ…本当に大丈夫よ。鏡に触れた時、沢山の思い出が流れてきたの。」
目を細め、鏡を見つめる。
「……ずっと…見守ってくれていたのね…」
表面には大きくヒビが入ってしまっていた。
しかし、その姿はまるで、この時を待ち、ようやく役目を終えられたかのような堂々たる物だった。
三木谷が手のひらを開くと、その小さな破片が光を反射した。
「予想以上の力だよ。これなら大丈夫じゃないかな」
鏡に触れ、「お疲れ様」と言いながら撫でるミキは少し疲れたような顔をしていた。
「ありがとう、ミキさん。……そうね。大丈夫な気がするわ。なんだか、胸の奥が温かいの」
「そっか。ならよかった」
「ええ……本当に……ありがとう」
そして振り返った彼は気合いを入れ直す様に息を吐く。
「よし。衣羽、最後の仕上げだよ。手伝って」




