鏡1
早朝からオフィスが騒がしい。それは助手による大掃除が開始されていたからだった。どうやらこの家の主に片付けという概念は無いらしく、至る所の惨劇を目の当たりにした衣羽は初仕事に気合を入れていた。
「ミキ君! お風呂場なんだけど、掃除したら髪の毛の色変わっちゃうとかないよね? 」
「うん、掃除してないだけだから安心して」
彼女の問いに適当に返事をする少年は眠そうな目を擦りながら朝食を摂っていた。
「安心して…って…。まあいいや。よし、やるかっ! 」
外は今日も快晴だった。掃除が一段落し、洗濯物を干しに建物の屋上へ出れば心地よい春風が吹いていた。
高嶺から借りているというこの建物は二階建ての鉄筋コンクリート作りで、屋上へは外階段を使用する。
ねずみ色の外装に反して室内は綺麗であることを、物を片付けることで実感した。
「おう、衣羽。よくやるなあお前」
突如聞こえた低い声の主は白い蛇。目先の物干し竿の上にその姿を現した。
「………っひぃ! 」
持っていた靴下が手から離れてしまう。
「……そろそろ慣れろ、バカ」
「つ、ツチくん…! 」
腰が引ける衣羽に呆れたようなため息をしながらも、蛇は言伝を残す。
「ミキが呼んでるぞ。そろそろ"客"がくるから、部屋に戻れって」
言い終えるなり、すぐに姿を消してしまったツチ。
「えっ……あっ…はいっ! 」
返事をするも、もうそこには居ない。
「お客さん………」
それは、正式に助手となって初めての出来事。急いで残りの洗濯物を干し終えると、春風吹く屋上を掛け降りた。
「いらっしゃい。よく来たね」
外階段の下にある勝手口は、オフィスのキッチンへと繋がっている。バタバタと室内に入るなり、ミキの出迎えの声が聞こえてきた。当然、衣羽に向けたものではない。
のれんを抜け応接室へ顔を出せば、すぐ近くにきょろきょろと不安そうにしている人物と目が合う。この人が"お客さん"のようだ。
「あ…あの……わたくしは……」
「うん。わかってる。貴女が探していたのはここで合ってるよ」
その女性は白い少年を視界に捉えるなり、顔をしかめた。
「えっと…この辺りにある…"占い屋"を…探していただけで…」
彼女は、四十代くらいだろう。細身な身体には生気が無く、どことなくやつれている。目の下にくまを作り下手をすれば倒れてしまいそうだった。
「うん。それ、ココだよ」
「は…? …はあ。じゃあ、その、占い師の方はどちらに…」
「僕だよ」
笑顔の少年を怪訝そうに見る女性は少しの苛立ちを込めて言い放った。
「……場所を間違ったようですわ。」
切羽詰まった状態にも関わらず、少年にからかわれたと思ったのだろう。彼女は踵を返して応接室を出てしまった。
衣羽はどうする事も出来ず、客と少年を交互に見る。「いつもの事だな」と、ツチの声が聞こえた。
「……ふうん。旦那さんは…病気か何かで倒れたのかな。それから、ずっと良いことが起こって無いでしょ。下手くそで中途半端な術も纏わりついてる。色んな占い師の所にでも行った? 」
玄関に向かう背中にミキが掛けたのはそんな言葉だった。
「なんで…それを…」
彼の言葉はまさに図星だったようだ。立ち止まり、振り向いた彼女の顔がそれを物語っている。
「もっと詳しく話を聞かせてもらえるかな? 」
得意気に笑う少年は、もう一度お客さんを応接室へと導く。まだ半信半疑な様子ではあるが、ゆっくりと足をこちらに向けた女性は藁にもすがる想いだったのかもしれない。
「三木谷洋子と申します」
そう名乗った女性は、やつれてはいてもどこか気品のある雰囲気を持っていた。
衣羽はコーヒーを出しながらも散らばった棚が目に付いてしまい、優先的に片付けをすればよかったなどと考えていた。
三木谷は湯気の出るそれを口に運ぶと、気持ちを落ち着かせるかのように息を吐いた。そして自身の現状を話し出す。
「……家は会社経営をしているのですが、先日主人が倒れ入院をしてしまい、現在私が代わりを務めているんです。主人は身体が弱いので、こういったことは初めてではないのですが……今回は…どうしてか悪い事ばかり起こるのです…」
彼女の目線は下がり、辛そうにうつむいた。何か相槌を打つわけでもなく、ミキは静かにその話に耳を傾けた。
「……思えばその前からだったのかもしれません…先月も主人が体調を崩したばかりで…今月もなんて……。それからです……悪徳商法に騙されたり、従業員の横領発覚…私が腑甲斐無いせいなんでしょうね…でも今までは本当に、こんなことには……」
まるで自分を責めるように言の葉が止まらない三木谷。呼吸が浅くなり背中が震えている。
ミキのアイコンタクトもあり、衣羽はなだめるように彼女の肩を抱き、背中を撫でた。
段々と落ち着いてきた所を見計らってミキは口を開く。
「洋子さんの誕生日や出身地で占ると、運気の下がる年でも無いし…旦那さんもそうではないみたいだね」
いつのまにか取り出していた羅針盤を見ながら、そう言った彼に三木谷さんは顔を上げた。
「ほ、他の占い師や祈祷師達も同じように言うんです……それで…そのうち良くなりますよとか今が耐え時ですとか…おまじないやお祓いをしてもらったんですけど……」
「だから、おかしいんだ」
「は、はあ……? 」
「今の洋子さんは運が減りすぎてる。まあ、下手くそな術が中途半端にくっついてるのが回復の邪魔をしてるみたいだけど……それにしても無さすぎるんだ」
三木谷はよくわからないと言った表情で少年を見つめる。
「洋子さん、少し診せて? 」
白い手が彼女へ伸びる。その手に恐る恐る自身の手を重ねると、それと同時に橙色の光がそこを包んだ。
「………っ! 」
肩を抱いた衣羽は、彼女が一瞬身を引こうとした事を感じた。種も仕掛けもない所がいきなり光るのだから驚くのも無理はない。
「……うん。やっぱり、洋子さんの運が殆ど無いみたいだ。今の洋子さんが生きるために持つ最低限の運は………旦那さんのものだね」
「……えっ? 」
「運は、人と関わりあう事で移り変わるんだよ。それが近しい者同士だと影響も大きいんだ。」
「そ、そう…なん…ですか…」
これまでの占い師に言われた事の無い言葉に、三木谷は戸惑いを隠せないでいた。
ミキは難しい顔をして考え込む。そしてちらりと時計を見た後に、出した答えは唐突だった。
「普段はどこで過ごす時間が多い?」
「えっと…自宅です。お仕事もそこで…」
「よし。じゃあ、そこに行こう」
立ち上がった彼がパーカーを羽織る。この状況に依頼主だけでなく、衣羽も混乱する。
「み、ミキ君…そんな突然…」
「時間がないんだ。十一時までが僕の力が一番強い時だから」
時刻は現在十時半。ギリギリである。
「洋子さん、家までどれくらい? 」
「あっ…車なら五分程で…」
「うん。じゃあタクシー拾おう」
そうしてバタバタと出発の準備を進める少年に、呆然としていた衣羽は三木谷と目が合う。お互い混乱はしているが、何も知らない依頼主と違い、少女は彼が"本物"であると知っている。
彼なら三木谷を救える…。という底知れぬ信頼を持っていた。
「ごめんなさい、三木谷さん…立てますか? 」
「は、はあ…あなたは…? 」
「あっ…私は彼の助手です。…と言っても、昨日からなんですけど…」
「……彼は……本当に……」
"助けてくれるのですか?"そう言いかけたところで、ミキの急かす声が飛ぶ。
仕方なく立ちあがり、まだ納得のいかない表情でジャケットを羽織る三木谷に、衣羽は自信をもった一言をかけたのだった。
「あのっ…ミキ君なら、絶対三木谷さんを助けてくれます…っ! 」
その言葉に目を丸くした彼女は、僅かながら初めて微笑みを見せた。




