白4
「ここは定期的にくるんだ。特殊な人でね。僕が診みてあげないと死んじゃうかもだから」
「……その…真逆って…? 」
さほど幅のない入口を入るとすぐに階段が続いている。
右手に鉄の扉があるがそこは全く無視して先へ進む。
「高嶺さんはね、空っぽじゃあないんだ」
そこで今から会う人の名を衣羽は知る。
「どういうこと…? 」
静かなビルを二階、三階と上がっていく。
それぞれの階に部屋が有るようだが、看板等が出ている訳でもない扉の先は想像も出来なかった。
「早くエレベーター着けろって言ってるんだけどねえ、ふう…」
三階を上がった先の踊り場でミキは立ち止まる。
線の細い彼の身体には想像出来る通りに体力はあまり無いようだ。
一息ついている所で薄々気になっていた事を衣羽は聞く。
「あ、あの…私…着いてきて良かったんですか…? 何も知らないし…まだ…その…信じられてないっていうか……」
少し息切れしたミキが振り返る。白い髪の毛が陽に当たってキラキラしている。
「うん……良いんだよ。信じてもらうには実際に見せた方が早いし…」
「は、はあ……」
「それに、ピアスが無いんだから衣羽を護る物が無いしね。僕に着いてきて貰わないと、何が起こるかわからないでしょ」
呼吸が落ち着いた所で、二人は再び足を動かす。
「まあ……壬影の物を直すのは癪に触るけどね」
「……えっ…? 」
呟いたその言葉を衣羽は聞き取る事は出来なかったが、ミキもそれ以上は何も言わなかった。
5階分を登るとまた少年は立ち止まった。また休憩かと思ったが、そうではなく目的地へと到着したらしい。
「ここだよ」
少し息の上がったミキが指をさした扉には唯一、名前が書かれている。
「く…楠木組………? 」
その名に衣羽は嫌な予感がよぎる。
初めて聞く名前だが、雰囲気でなんとなく漂ってくる。
この勘が確かならば、ここはきっと"ヤ"のつく人達がいる所だ。
「み…ミキ君……? 」
まさかと思ったが、チラリとみた少年の顔は笑顔だった。
「間違いなく、ここだよ。依頼主は楠木組の若頭さんなんだ」
"若頭"との単語に衣羽の予想は確信に変わる。
(そ、そんな……ツイてない……)
そう心の中で呟くが、ニヤリと笑う少年はその声が聞こえているようにも見えた。
腰の引けた少女をよそに、ミキはなんの躊躇いもなく扉を開ける。タバコの香りが流れて来た。
「お~! よく来てくれたよ! 久々だねえ! 」
低く掠れた声が響き、そちらへ視線を向ければ声の主が居た。
「久しぶり。高嶺さん」
"高嶺さん"と呼ばれたその人は黒塗りのソファに深く腰をかけ、白い煙を吐きなら手を上げた。
「ん?なんだミキ。ずいぶん可愛らしい子を連れてるねえ? 」
タバコの火を灰皿に擦り付け鎮火すると、まじまじと少女を見た。
その視線に圧された衣羽はさらに恐縮する。
「この子は衣羽。僕の助手なんだ」
"助手"という言葉に多少驚いたが、それを問いただせる心情ではない。衣羽を置いて会話は進む。
「ほ~! 助手か! ミキも偉くなったもんだなあ! まあ、座ってくれ! 」
言われずともすでに座ろうとしていたミキ。緊張する衣羽に高嶺は目配せで合図をする。立ってる訳にもいかず、恐る恐るソファの前へ移動してゆっくり腰をおろした。
ミキのオフィスのソファと似た座り心地だ。そして静かに息を吐いたと同時だった。
「早う茶ぁ持って来んかい!! 」
高嶺の怒号に衣羽は息を止めるかのように肩を竦めた。
部屋の奥からは食器のぶつかる音が大きく聞こえる。きっと焦っているのだろう。
間も無くしてガタガタとお盆を揺らしながら出てきたのは、黒いスーツを着た、これまた怖そうな人だった。
テーブルにお茶が並べられている中、高嶺は話始める。
「衣羽ちゃんか! これまた可愛い子を見つけたなあミキ! 」
相変わらず刺さる視線に心臓がバクバクけたたましく鳴る。
「ハハッ! そんなビビるこたあねえさ!俺ぁ高嶺 隆司。この楠木組の若頭だ! まあー、こいつにゃあ昔から世話になってんだ。よろしくな! 」
豪快に笑う彼の眼はよく見れば気前の良さそうな人だった。
「た、宝 衣羽です…っ。よ…よろしくお願いします……」
座りながらも深々としたお辞儀に高嶺の笑い声が響いた。
ミキはと言えばそんなやりとりは特に気にはしていないようで、いつの間にかどこからか出していたスケッチブックを手に、何かを描き始めていた。
そしてそのまま手を止めずに淡々と話し始める。
「高嶺さん、また集まってきちゃったんだよね? 」
「ああ、そうなんだよ! 困ったもんだよほんとに! 」
二人の続く会話から付き合いが長いことがわかる。
状況も理解できず、ただそんなやり取りを見ていた衣羽を高嶺が捉える。
「俺はちょっとばかし変わった体質らしくてね! どうやら、幸運を集めてしまうらしいんだよ! 」
「………! 」
「ガハハ! ミキに会うまではそんなの知らんからなあ! 何をしても上手くいくもんだから、そりゃあ調子乗ってたんだよ~! 」
衣羽とは真逆と言っていた意味がその言葉でようやく理解できた。
衣羽の反応を待つような間に、必死で返す言葉を探す。
「………で、でも少し羨ましいと思います…」
不幸しかなかった彼女の本音だった。
そんな言葉に高嶺はまた「ガハハ」と笑いながら唐突にテーブルに右足をあげた。
その行動に少し驚くも、彼は過去を思い返す様に遠い目をしながら話は続く。
「そうだねえ。俺もそれまで失敗なんてしなかったし、何もかも上手くいってた。どんな仕事をしても成功するもんだしなあ! 」
そして、その手が上質そうなスラックスの裾を捲った。
「えっ………? 」
布の下から見えたのは、人肌ではなかった。
「ぎ………義足…?」
初めて実物を目にし、生唾を飲み込む。
「…そう。右足は持ってかれちまったんだよ」
指先で叩けばもちろん無機質な音がする。
「ガハハ! 調子に乗りすぎてな。"天罰"が下っちまったんだよなあ! 」
それはまるで、面白い話をするかのように彼は笑った。
「…………えっと…」
それこそ返す言葉の見つからない衣羽が言葉を詰まらせる。
左右に揺れる鉄の足を見ているしか出来なかった。
沈黙が流れたがそれは一瞬で、紙を破るような音で空気が変わる。ミキが何かを書き終えた合図でもあった。
「最初に割り振られた運は均等だけど、その後は人によって変化しちゃうんだ。大体の人は一定の量を持ってるけど、中にはひたすら無くなっていく人とか、持っているのに使えない人とかね個人差が大きく出るんだよ」
話しながらも手際よく準備を進めるミキ。
破り取った紙はテーブルに拡げ、その上を指先で何かを形取りながらなぞる。
「高嶺さんは、まわりから運を吸収してしまうんだ」
「そう…なんだ……」
「まあ、足渡したら吸収する量もちょっとだけ減ったらしいんだけどなあ! こりゃあ、死なんとどうにもならん体質らしいんだわ! ガハハ! 」
命が懸かっているというのに笑う高嶺。
衣羽はその器の大きさにただただ呆気に取られるばかりだった。
「準備できたよ高嶺さん。それでね、いつもはもらった運は足りないところに分けているけど、今回は衣羽に使わせてもらうね」
そう言って、ミキは右手の二本の指を唇の前に立てる。
そしてぼんやりと、淡い光が紙の上に浮く。
「おう! なんだ、衣羽ちゃんは運足りないのか? 」
テーブルから足を下ろした高嶺が、浮いた光越しに衣羽へ語りかける。
「あっ…えっと…その…」
「まあいくらでも分けてやるさ! いつもより多めに採ったっていいんだぞ! ミキ! 」
その言葉に少年は笑みを浮かべる事で無言の返事をした。
そして光が濃くなると言葉を並べ出す。
唱えるそれは呪文のようだった。
衣羽は非現実的な光景に目を奪われる。
ミキの声に合わせ、淡い光は動き出す。
1ヶ所に集って大きなると対象の前へと移動した。オレンジ色の暖かい光はまるで意思を持っているかのようだ。
―――パンッ!!
静まった部屋に響いたのは手を叩く音。
それと同時に光は花火のように弾けた。
細かく散ったそれは高嶺の身体に吸い付くように纏わり着く。
よく見ればただ無造作に散っているわけではない。
彼に巻きつくような形はまるで"蛇"の様だった。
「汝の名、高嶺 隆司。陰火の力召し、神の命めいの下、その"運"我が頂く」
一層強い口調で唱える声に反応して、巻き付いている光も力強く輝く。高峰は眩しそうに眼を細めた。
しかしそれも一瞬で収まる。
蛇は音も無く彼の体から解けると、元の塊となりミキの下へと戻る。
そのまま小さく収縮すると、紙の上へ落ちるが、それは水面に雫が落ちるような光景だった。
オレンジ色も消え室内は蛍光灯の照明だけが照らす。静かになった空間を壊したのは高嶺の深呼吸だった。
「毎回この瞬間は人間に戻った感じがするよ」
肩を回しながら首を鳴らす彼の表情はどことなくスッキリしている様にも見える。
ミキはといえば、もうすでにただの紙へと戻ったものを綺麗に折り畳んでいる。そして片手に持つと手の平で握り潰した。
当然、紙が潰れる音はしたが、もう一度広げた跡形もなく、まるで手品を見ているようだった。
「これでまた暫くは大丈夫じゃないかな」
「いつも悪いなミキ! どうもな!」
そして、呆然としている衣羽を見つけると、高嶺は声を掛けた。
「衣羽ちゃん」
「……へっ? ……あっ…はい…っ! 」
「コレ、初めて見たのか? 」
「そ、そうです…」
「俺ぁ何度か見てるけど、その度にすげえなあって関心するんだよ。初めてじゃあ、そりゃあ驚いただろう? 」
無邪気に笑う姿に衣羽は頷くので精一杯だった。手品の域を超えた不思議ばかりで、あのオレンジが鮮明に瞼に焼き付いていた。
それからは少しの雑談をした。そこで、衣羽は高嶺の過去の話を聞くことになった。
「ミキに出会ったのは7、8年前だったかな? 」
「10年になるよ」
「あぁ!? もうそんなに経つのか! 」
当時、少年と出会うまでは有り余るほどの運を存分に使っていたらしい。何をやっても上手くいく状態に「自分には才能がある」という自信にみなぎっていたそうだ。
しかし実際は周囲から運を吸収してしまう体質なわけで、家族や親しくしていた友人は運が無くなっていく一方で失敗もせず何でも出来てしまう彼は気づいたら嫉妬や劣等感に囲まれていたのだ。
「そりゃあそうだ。何をやっても必ず隣には簡単に追い越してしまう存在がいるんだからなあ…」
そうして孤立した彼は一匹狼として荒れに荒れて、あちこちで喧嘩ばかりしていた頃にこの楠木組へと誘われたのだ。
「それからは色んな事に手を出したな…。クスリこそやっちゃあいねえが、賭博やらなにやら…な。もちろん全部上手くいったさ」
順調に楠木組での立場を昇格していった高嶺。そして10年前、彼は少年と出会ったのだった。
『そろそろアンタ、死ぬよ』
それが少年の最初の言葉だったらしい。
「初めて見たときは死神かと思ったねえ。こんな真っ白な姿だしなあ! ガハハ! 」
「わ、私も…! 天使かと思いました! 」
「しょうがないでしょ。生まれつきなんだよ僕は」
合間にこんな談笑をしながらも過去の話は続く。
死神の言葉を本気にする筈もなく、変わらず運を使い続けていた高嶺。彼に付いた付き人達は代わる代わる交代していて、それは運を吸収され底を尽きてしまい、不慮の事故で亡くなったり、突然姿を消してしまう為であった。
そんな中、事態が動いたのは、当時の付き人が倒れた時期だった。
突然、空が真っ赤に染まり周囲には人一人いない空間で高嶺は目が覚めた。そして、眼が眩む程の光が差したかと思った途端、激しく鋭い痛みが右足を襲ったのだ。
意識が飛びそうになる程で、どうなっているのかを確認する余裕すら無かった。
「ほらね。言ったでしょ」
そこで聞こえたあの死神の声。
遠くなる意識の中で高嶺は初めて死に恐怖したのだった。
「……あの時はもう死んだもんだと思ったよ」
今は義足となったそれを撫でる高嶺。
"死の恐怖"は衣羽もついさっき経験したばかり。
こんな気持ちを共有できる人物と出会えるとは思ってもみなかった。
「目が覚めたら、俺は生きてた。夢だったのかと思ったけども、右足は確かに無くなってたんだ。そして、今でもはっきり覚えてるよ。ミキの不敵な笑みをなあ」
苦笑いしながら高嶺はミキへと視線を移したが当の本人は何食わぬ顔でお茶を啜っていた。
ずっと運を持つことに憧れていた衣羽だが、高嶺の話は幸せとは言えるものではなかった。
「だから、運は均等でなくちゃダメなんだよ」
衣羽の思考に結論付けるかの様なセリフをミキは言う。
「そっかあ…」と、ひと言発するのが今の彼女の精一杯だった。




