白3
オフィスに来たときと同じ方向に路地を進むとブロック塀の行き止まりに当たる。
(あれ・・・? さっきここを通ってきたのに・・・)
衣羽の記憶が確かであれば方向転換すらせず、真っ直ぐ歩いてきた筈だった。
少年もその手前で立ち止まる。
特に何か言葉を発する訳でもなく腕を伸ばした少年は、壁に手のひらを当てがった。
そして、その瞬間に、音も無くブロック塀は消えた。
先に見える景色は衣羽が先程まで居た住宅地だった。
「ど…どうなってるの・・・」
羽織ったパーカーのフードから覗かせたミキは得意気な顔をしていた。
「まあ、とりあえず行こうか」
その表情は見た目に見合った少年そのものだ。
午後2時過ぎの住宅地は静かだ。
心地よい春風が吹く中、二人の足音が良く聞こえる。
「"運"って言うのはね・・・」
前置きも無しに、ミキがゆっくりと話出した。
「無いと、もちろん良くない事が起きるし、有りすぎても駄目なんだ」
「……? 有る方がいいんじゃないんですか? 」
少しの運にも恵まれない少女にとってそれは喉から手が出るほど欲しいものだ。
しかし少年は首を横に振る。
「人間は貪欲だから。持てば持つほど、良い事には使ってくれないんだ」
「……はあ」
「だから、運の均衡を保つ為に"管理人"がいる」
「……じゃあ……」
まだ信じているわけではない。
ほんの冗談のつもりで、それでも少しの期待を込めて衣羽は言葉を放つ。
「……早く私に"運"を分けてよ」
悲痛なその言葉に彼は彼女の眼を見た。
とても申し訳なさそうに、またしても少年は首を振る。
「……残念だけど…衣羽は例外なんだ」
人類皆平等という言葉の意味を見失うような台詞だった。
「例外…って…」
「本当はこの世に命を受けた時点でカミサマが運を振り分けるんだけどね、その振り分けから漏れてしまったのが君なんだ」
「………それってどういう事…?」
「衣羽は、空っぽなんだよ。運を持ってないというより、最初から全く無いんだよ」
その言葉に、彼女には不覚だが思い当たる節は沢山あった。衣羽には良い事が起きた記憶が皆無である。
「しかも、厄介なのが周りにも影響しちゃう事だね。運は周囲で循環しているんだけど、衣羽が居ることで作用する事無く消えてしまう。だから身近な人達はただただ無駄に運を消費するだけになってしまって不幸の道連れになってしまうんだ」
かつて貧乏神と呼ばれていた自分。
引き取られた先々で何かしらの悪い出来事が起き、家庭崩壊やその寸前にまでなった。
「そんな……」
冗談でもなんでもなく、まさにその呼び名のままだったという事に愕然とした。
ミキの話を信じるとすれば、今までの出来事は全て然るべきして起きたという事。
過去と結びつくその言の葉に少女の足は立ち止まる。
「じゃあ、私は…どうすれば…」
「空の状態だと、いつ命を落としてもおかしくない。さっきみたいに運悪く暴走したトラックに突っ込まれるとか、運悪く殺人犯に襲われたり…とかね。」
衣羽の全身には鳥肌が立つ。彼はサラッと口にしているが、考えると悍ましい話だ。
「そんな……もう死ぬしかないっていうの…? 」
先を行く少年を追い、すがる思いで答えを求める。
「そうならない為にも、まずはコレを直さなきゃなんだ」
ポケットに入れていた手を取り出すと、あの赤いピアスが握られていた。
「気づいてないだろうけど、コレには特殊な術が施されてる。その力が衣羽を護ってたみたいだ」
「護ってた……? 」
そして少女に蘇る、唯一幸せだった記憶。
いつも優しくて大好きな"壬影さん"が脳裏に浮かぶ。
『衣羽にプレゼント。絶対に手放しちゃダメだよ』
施設に引き取られて間もなく、プレゼントされた物。
何かを貰った事の無い彼女にとって初めての物で、それが護ってくれていたという事実は素直に嬉しかった。
「これ、誰に貰ったの? 」
少年の問いに衣羽は思い出に浸りかけていた思考を戻し、脳裏に浮かぶ者の名を口にする。
「…………。」
その名に、眉間にシワを寄せた少年は自身の手のひらにある割れた欠片を見つめる。
「壬影……あいつ……何企んでるんだ… 」
その口調はまるで、彼を知っているような言い方で。
衣羽は、食いつくように目を丸くした。
「……! 知ってるの…?」
ミキは肯定の意味で頷く。
探している人物の手がかりを逃す訳にはいかない。
「い、今…っ! 壬影さんは…っ! 」
身を乗り出すように問う衣羽。
しかし次は否定の意味で首を横に振った彼に、手掛かりは無いことを覚る。
諦め切れない思いだが、ミキもそれ以上言う様子も無い。
落胆を隠せないまま口を結んだ少女に、話を変える様に少年は切り出した。
「とにかく今、衣羽の命を安全に置いとくには、ピアスを直すのが一番手っ取り早いんだ」
そう言って、少年は立ち止まる。
「ここに、目的の人が居る」
住宅地よりはちらほら人通りのある道路沿い。
とあるビルを二人は見上げた。
「ここ…? 」
「そう。ここには、衣羽とは"真逆"の人間がいるんだ」
衣羽は言葉の意味を理解出来ないまま、ミキはガラス扉を開ける。
「ほら、早くおいでよ」
それだけ言うと、建物の中へそそくさと入ってしまう少年。
「あっ…ちょっと……! 」
当然、待つ筈もない白い後ろ姿は目の前に見える階段に足を掛ける。置いてきぼりにされるわけにもいかない衣羽は追いかける他なかった。




