9.じゃあ、慣れて?
そして、当日。おれは待ち合わせの三十分前に、既に到着していた。
いや、分かってる。浮かれすぎだって、分かってるけど、朝から本当に落ち着かなかったんだから仕方ない。今どき、中学生だってもうちょっと落ち着いてるだろって突っ込みも必要ない。すでに、自分で実施済みだ。
さてどうしよう、と思っていると、雑踏の中に見覚えのある茶髪を見つけた。
「中原?」
いや、あいつにしては早すぎないか、と思ったのだが、声が出るのが先だった。そして、おれの声に、小柄な影がくるりと振りかえる。
その姿に、言葉を失いかける。
「え、と、中原、だよな?」
確認する声が、震えないようにするのが精一杯。
見たこともないような、美少女がそこにいた。
美少女は、おれの姿を認めると、嬉しそうににっこり笑って手を振ってくる。
それを認識して、顔が熱くなった。
「おはようございます、結城先輩?」
笑顔のオプション付きでの挨拶は、破壊力満点だった。ホントお前、これ以上おれを堕として、どうしたいの?
「お前は、朝から、本当に心臓に悪い――」
うめくようにそう呟くと、一瞬目を見張った彼女は、すぐにじわりと瞳を潤ませる。
げ、と思ったときにはもう遅かった。
大きな瞳を困ったように滲ませて、上目遣いでおれを見やって、言う。
「せっかく可愛くしてきたのに、駄目ですか?」
その完璧な可愛さは、クリティカルヒットだった。恥も外聞もなく、その場にうずくまる。ヤバい、もうおれ、こいつに殺されるかも。
「ほんと、勘弁して、中原」
降参だから。もう全面的に白旗挙げるから。そう思ってちらりと見た彼女は、勝ち誇ったように笑っていた。ということは、今のわざとか、お前!
「素直に褒めないからですよ、先輩。女子がお洒落してきた時は、ちゃんと褒めるのが鉄則です」
その台詞にカチンときた。
「んじゃあ、全力で褒めても逃げないんだろうな?!」
思いっきり苦手なクセしやがって!おれがどんだけ構い倒したいと思ってるのを自制してるか、解ってんのか!
「すいません。多分、先輩に全力で褒められると、ダッシュで逃げます。ごめんなさい」
その言葉は、まったくいつも通りの中原で、そのことにほっとする。そうしてようやく、平常心が帰ってきてくれた気がする。
「あー、うん、やっぱり中原だわ。ちょっと安心した」
ようやく立ち上がって、彼女を真っ直ぐ見ることができた。うん、内山が前に言ってたことに激しく同意する。これは、十人いたら十人が振り返る美少女だわ。
「いや、でも、ちょっと衝撃的な可愛さだな。おれ、今日一日ヤローどもの嫉妬の視線浴びまくりだろうなあ。楽しみ」
するっと考えるまでもなく出てきたおれの台詞に、中原は目を丸くする。その次の瞬間には思いっきり顔をそむけられたが、逸らされた首元が真っ赤だ。うわあ、可愛い。かじりつきたい。
「じゃ、行くか」
危ない思考を瞬殺で追い払って、おれは平然としたフリでそのまま彼女の手を取った。
「え、うええ?!」
驚き慌てる中原に、くすりと笑みがこぼれる。ほんと、どこまでも反応の可愛い奴。
「嫌なら振り払ったらいいよ」
そう言ったら、悔しそうにうつむいたまま、それでも振り払われることはなかった。それだけで、踊り出しそうなほど嬉しかった。
「……すっごい注目の的ですね」
並んで電車に乗り込み、扉付近に立っていると、中原が苦笑しながら言う。まあ確かに、視線を集めていることは間違いない。
「だから言ったろ、今日はヤローどもの視線浴びまくりだって」
「いやいや、男子じゃないですってば。あそこの女子大生集団は明らかに先輩目当てですよね?さすが、イケメン」
さらっと言われて、ふと気づく。
「そういや中原、おれのことはイケメン認定してくれてるんだ?」
ちょっとでも格好いいと思われてたら嬉しいんだけどなあ、という下心付きの台詞だったのに、中原はきょとんとした顔でおれを見上げる。
「この顔をイケメンと言わずして、何をイケメンと言うんです?」
「…………中原さん、その破壊力抜群の台詞は、おれにどうして欲しいんですか」
「破壊力、ありました?でも先輩、自分の顔が標準より整ってるって自覚、ありますよね?ただ、それに対して重きを置いていないから、自惚れないだけで」
思いもよらぬ方向からの返答に、おれはただ目を丸くする。何で、こいつはそういうことをさらっと言えてしまうんだろう。
「違いました?」
「いや、違わない。違わないけど……もしかしてそれ、お前もか?」
「さすが、先輩。ええ、わたし、ちゃんと自分が美人だって言われる自覚ありますよ?それについてのメリットとデメリット、含めて」
なるほど、だからさっきの上目遣いも完璧だったわけか。でもだったら、何で普段はあんな野暮ったい姿をしてるんだろう?それを問おうかと思ったが、やっぱり止めた。何となく、軽く聞いてはいけない領分の気がしたから。代わりに口に出したのは、いつもの軽い冗談で。
「の、割におれが全力で褒めたら、逃げ出したくなるんだな?」
そう言ってやると、彼女はばつが悪そうにぐ、と詰まった。そのまま悔しそうに視線を逸らす姿が可愛くて、思わず笑ってしまう。
「何かこう、掌の上、って感じがめちゃくちゃ悔しいんですが」
悔し紛れの発言だったのだろうが、それには思いっきり異議を申し立てたい。
「心配すんな、おれはいっつもお前に振り回されてるよ」
掛け値なしの本音だったのに、中原は全く信用してくれなかった。
* * * * *
「おれは、君が好きです。おれと、付き合って下さい」
その言葉に、中原がどんな答えを返してくれるのか、おれには全く分からなかった。
今日一日、ずっと笑っていてくれたけど。
楽しかったですよと言ってくれたけど。
でも、そんなの、彼女がおれを選ぶ理由になるとは、思えなくて。
案の定、中原の口から出てきたのは「尊敬してる」だの「先輩みたいになりたい」だの、果ては「彼女になりたいと思ったこともない」。一生懸命褒めてくれてるんだろうが、全く嬉しくなかった。
おれが欲しい言葉は、そんな言葉じゃない。
尊敬なんていらない。立派な先輩だって言われたって、嬉しくない。ただただ、お前の特別な男になりたい、だけなのに。
ああこれは振られる流れだな、と思った。
綺麗さっぱり振られて、おれはちゃんと立ち直れるんだろうか、と思っていたら。
中原は、するりとおれに近づいた。
今までよりもずっと、パーソナルな距離に。
「わたしは先輩との距離を遠ざけたくないです」
言われた言葉に、一瞬戸惑う。えっと、それってつまり、おれは喜んでも良いってこと?
「中原」
確かめるように名前を読んでみても、彼女は逃げなかった。そのことに、ゆるゆると嬉しさがこみ上げる。だと言うのに。
「前置き、長い」
あ、間違えた。
「………………は?」
お前、今、何て言った?!と中原の目が言ってる。けど、弁解するよりなにより、おれは目の前の彼女を囲い込むように、抱きしめた。
腕の中に取り込んで、それでも彼女が逃げないことに、一気に舞い上がる。その気持ちのまま、言う。
「別に良いよ、先輩として好き、をそのうち恋愛にしてくれれば。ずっと待ってられるくらい、おれは中原が好きだから」
とりあえず今は、この距離を逃げないでいてくれたら、それだけで十分。そう思って言ったのに、おれの腕の中で彼女はくすりと笑う。
「…………悪趣味ですよね、先輩」
ていうか、何でお前は自己評価がそんなに低いんだろう?
「悪趣味?まさか。こーんな可愛い子、そうはいないよ?」
ずっと、呼んでみたかった名前を呼ぶ。
「人魚」
そう呼んだら、彼女はうぐ、とおよそ色気のない呻き声をあげた。ていうか、おい、そんなにおれに名前を呼ばれるのが嫌か。
「名前呼び、そんなに嫌か?」
おれは呼びたいけど、嫌なことを無理強いまでする気はない。
「は……」
「は?」
「恥ずかしいんですよ!!!」
がっつり叫ばれた。左様ですか。
「嫌ではない?」
「……………………では、ない、です」
「じゃあ、慣れろ」
「横暴ー!!!しかも何で、命令口調!」
「じゃあ、慣れて?」
にっこり笑って言ってみれば、睨まれた。
「イケメンだからって、何しても許されると思ったら大間違いですよ!!くそう、悔しい!ちょっと可愛いとか思っちゃった自分が悔しい!!」
えーと、あの、人魚さん、色々ダダ漏れなんですが。
「先輩の卑怯者!」
最早、それは悪口だろ。だが、引いてやる気はおれにはない。
「あ、ちなみに人魚」
「今の全部スルーですか、そうですか。……何ですか?」
「先輩呼びと、敬語はなしな」
もう一つ要求を突き付けると、また綺麗に固まった。
「…………ゆ、結城くん?」
「苗字じゃなくて、名前を希望する」
「は、遥斗くん……?」
言って、ものすごく嫌そうに顔をしかめられた。いや、それ傷つくんですけど。
「そんなに嫌がらなくても」
「あ、すいま……いや、あの、ごめんなさい。その呼び方、元カノさんを思い出した、ので」
言われて、おれも思わず苦い顔になった。そうか、そういやほのかもそう呼んでたわ。
「じゃあ、呼び捨て?」
「ハードル高っ!」
「いいじゃん。呼んでよ」
「無理ですっ」
頑なな彼女とのその後のやり取りは割愛する。傍から見ていたら、バカップルだったことは間違ない。とりあえず、あだ名っぽく「ハル」と呼んで貰えることには成功した。
ついでに言うと、ことの顛末を滝川に報告したら、冷たく「リア充、マジ爆発しろ」と罵られた。うん、その罵倒は甘んじて受け入れようと思う。
こうしておれは、可愛い可愛い彼女を手に入れられたのだから。




