7.さて、状況を整理しようか
「これから夏祭り、行かない?」
この一言を言うために、おれがどれだけ緊張していたか、彼女は全く知らないだろう。
* * * *
夏休み、一週目。
もはやおれとのペアがデフォルトの中原だが、実は今回は日程まで調整されていたりする。
『そういや、夏祭りやってるじゃん。当日に何げなーく誘ったら、きっと一緒に行ってくれるよ!』
との、内山の猛烈なお勧めで決定している。勿論、中原は知らない。
とはいえ、まさかこんなに女子たちからの襲撃を受ける一日になるとは思わなかった。次から次へと、大した用事でもないのに生徒会室を覗いていく奴らばっかり。何なの、お前ら。そんなに暇なの?
最後には、面倒くさい女子たちに突撃されるなんていうハプニングまであり、おかげで中原の機嫌は大変悪い。あいつら、本当に一遍どっかで締めてやる。
帰るころには、何とか普通に戻ってくれたけど。
でも、いつもの中原だったからって、緊張しないわけじゃない。できる限り、何気ない風を装ってはいたものの、背中にじんわり汗をかいている気がする。
それだと言うのに。
「止めた方が良いと思うけど……」
中原の返答は、これだった。思わずおれの声が低くなったとしても、仕方ないことだと思う。
「何で?」
「え、だって先輩、先約あるって言ってましたよね?」
さらっとそう言う彼女に、心がざらりとする。そういう対応をされるたびに、自分が圏外だと思い知らされるから。
そう、おれはまだ、彼女の中では“可愛がってくれる先輩”でしかない。
分かっていても、彼女の隣に立つたびに、自分の気持ちが大きくなる。怒って、拗ねて、八つ当たりされても、可愛いと思ってしまうくらいには、溺れている自覚がある。
男だと思われていない?上等だ。自分の気持ちを自覚してから二カ月近く、距離だけは近づけたと思っている。だからそろそろ、彼女には気付いて貰っていいころじゃない?
わざと、のらくらとした返答をすると、彼女は苛立ったようにこちらを睨みつけてくる。その視線を受け止めながら、美人だよなあ、と場違いの感想を抱く。初めて見た時は、これはないわーとか思ったくせに、おれも大概馬鹿だよな。自分の現金さを嗤いつつ、それでも彼女が真っ直ぐこちらを見てくれるのが嬉しい。
捕まえる気満々で、彼女にゆっくりと顔を近づけて、囁く。
「意味、分かんない?まあ、分かるように言っても良いけど?」
内緒話でもするように、こっそり言ったのも勿論わざと。そんな近い距離のまま彼女の顔を覗き込むと、彼女は面白いくらいに固まってくれた。
きっと頭の中で、今のおれの言葉の意味を高速で考えてるんだろうな。だが、ここで手を緩めてやる気はさらさらない。フリーズしている彼女に、にっこり笑って駄目押しする。
「予定がないんなら、いいだろ?」
それに、反射的に彼女は頷く。頷いてから、ようやく我に返ったらしいが、もう遅い。
そしてそのまま、おれは、掻っ攫うように彼女を連れ出したのだった。
* * * *
正直に言おう。
おれは浮かれていた。
いやでも、浮かれるのも当たり前だと思う。
だって、好きな女の子と二人で夏祭り。しかも、食べ物をシェアするのに全く抵抗も見せないし、始終すっげえ楽しそうだし、これで浮かれない奴がどこにいる?
次の約束まで取り付けて、そりゃもう、地に足つかないくらいには浮かれていた。
そして今、見事にそのツケを払わされようとしている。
発端は数分前である。
浮かれたおれの発言に中原が逃亡した後。一人になった絶妙のタイミングで、後ろから声がかかった。
「遥斗くん?」
聞き覚えのある声に振り返ってみると、そこにいたのはほのかだった。彼女も制服姿のままだから、クラブの帰りに寄っているのかもしれない。
「おお、三木か。偶然だな。お前も来てたの」
そう言うと、彼女は一瞬目を曇らせる。理由も、分かっている。別れてから、おれが一度も彼女の名前を呼ばないせいだ。三木、と呼びかける度に彼女の何かを傷つけていることは分かっている。でも、彼女は別の男と付き合っているのだから、これはおれなりのけじめだった。
今なら、解る。
あのころの彼女が、おれに何を求めていたのか。どういう感情を向けてほしがっていたのか。
中原を好きになった、今なら。
そして、どう頑張っても、ほのかの思いには応えられなかったのだということも。
それが解って、ほのかへの態度が少し優しくなっていたかもしれない。多分、罪悪感のせいで。だが、それが大きな間違いだったと思い知るのは、この直後。
「遥斗くんは、生徒会の帰り?一人、じゃないよね?生徒会の子と一緒?」
「うん、そう。後輩と一緒に、今日は当番だったからさ」
「女の子?」
「そうだけど」
「その子と、付き合ってるの?」
いつの間にか、ずいぶん近くまで来た彼女が、意を決したようにおれを見上げる。だが、その質問は今のおれにはちょっときつい。
「いや、付き合ってないよ」
答えが、舌に苦い。まったく、浮かれてる場合じゃないということを思い知らされる。
そんなおれの苦々しい感情など気付きもせず、ほのかはさらに一歩、おれへ近づくと、ぎゅっとおれのシャツを握った。
「え、ちょ、三木?どうした?」
慌てて彼女を引きはがそうと、肩に手をかけたところで、彼女の低い声がそれを止める。
「付き合って、ないんなら」
「え?」
「今、付き合ってる子がいないんなら、遥斗くん!わたし、わたし――」
「何やってんだよ」
唐突に遮られた声に、ほのかがはじかれたように声の主を振り返る。
そこにいたのは、ほのかの今の彼氏である、バスケ部の早川。
さて、状況を整理しようか。
いい感じに日も暮れた、神社の夏祭りの一角。元カレのシャツを握りしめている女の子と、その子の肩を抱く(ように見える)元カレ、そこへ遭遇した今カレ。
修羅場じゃん。
まぎれもない修羅場じゃん、これ!
何でこうなった!!
取りあえず、おれのシャツを握って離さないほのかを引きはがそうとして……ふと、気付いた。
ほのかが、一瞬、笑ったことに。
その、してやったりといわんばかりの笑みを見て、一気に頭が冷えた。
こいつ、もしかして狙ってやってんのか?
ほのかが、おれとよりを戻したいのか、それとも彼氏に焼きもちでも焼かせたいのか、どっちなのかは判らない。でも何となく、後者ではないような気がして、おれは彼女への罪悪感を綺麗さっぱりかなぐり捨てた。
「いい加減にしろよ!」
そう、早川が叫ぶ。その声に、何事だと周囲の視線を集めるのが、いたたまれなくてしょうがない。しかも、言ってこられるのが明らかな言いがかりである。
「ほのかをつけてたんだろ」
そう断定されて、思わず吐き捨てる。
「やるかよ、そんなこと。そこまで暇じゃねえよ」
言って、ちらほらとこちらを注視している人の中に、中原が紛れ込んでいるのも見つけた。あ、い、つ、は!!何で野次馬に混じってやがるんだ!
「いい加減にしてほしいのは、こっちの台詞だよ、三木。お前、こいつに一体何を吹き込んでんの?こいつがおれに嫉妬して、一体何の得があんの?」
中原への憤りもまとめて、ほのかをねめつける。
「おれは、三木の当て馬に使われてやる気はさらさらない。そう言うことがやりたいんなら、他を当たれよ」
おれのその言葉に青くなったほのかとは対照的に、早川が真っ赤になる。バスケ部だけあっておれよりも上背があるが、胸ぐらをつかまれたところで怖くも何ともない。おれは、せいぜい挑発するように、せせら笑った。
「殴んの?ここで暴力沙汰起こしたら、部活停止だぜ?おれ、一応生徒会長なんだけど」
「は、遥斗くんっ……!」
おれの名を呼ぶほのかの声に、猛烈に苛立った。何、その悲劇のヒロインぶったツラ。だが、おれはお前のくだらない作為に乗せられてやるほど、お人好しじゃないんだよ。
だからこそ、おれは苦しい体制のまま、彼女を振り返ってその名を呼ぶ。
「中原!!」
「えええ、はいっ!」
素っ頓狂な返事をした彼女は、あたふたと前に進み出る。
「そこで関係ないふりしてないで、ちゃんとこっちに来い!」
そうして現れた中原に、早川は一気にトーンダウンした。それで綺麗にまとまると思ったのに、それをぶち壊したのはまたもやほのかだった。
「こんな子と?!」
「三木。お前が何をどう思おうが勝手だが、その台詞は中原に失礼だろ。謝れ」
反射手に怒鳴りつけようとしたが、それを何とか抑えて言ったおれに、何故かフォローの言葉をかけたのは中原だった。
「ああ、いや、良いですよ?言いたい気持ちは解るんで」
「良いわけあるか!」
「いやあ、こんなイケメンと圏外女子が並んでたら、そう言いたくもなるってもんです。あ、別に自分を卑下してるとかそういうつもりもないですよ?客観的事実ってやつです」
ね?と首をかしげる彼女が、可愛いけど本当にムカつく。何が客観的事実だ、馬鹿者。目の前のおれが、どれだお前に堕とされてると思ってんの?
「自分が口説き落とそうと思ってる子をけなされて、怒るのはおかしなことか?」
ムカつきすぎて、いっそ淡々とした声で出てきた台詞に、周囲が固まるのが分かる。ああもう、こんなふうに言ってしまうつもりじゃなかったのに!
だがまずは、要らん二人を追っ払うのが先。
「というわけだから、お前が言ってきてるのは、完璧な言いがかり。おかげで、せっかくのいい雰囲気も台無しにされたおれが本気でキレないうちに、帰ってくれる?」
にっこりとっておきの笑顔で威嚇したら、二人は物も言わずに逃げ去った。
ついでに、中原も一緒になって逃げだそうとしたので、こちらは捕獲。
「ここで帰って、何かいいことあるかい?中原」
おれのその言葉に、ふるふると首を振る。うーん、これはまた、怖がらせたかなあ。でも、もうおれ自身が限界だった。
「さっきの台詞を撤回する気はないんだけど」
そう口火を切ると、彼女ははじかれたように顔を上げた。その瞳に、嫌悪や恐怖が浮かんでいないことに、ほっとする。とりあえずまだ、忌避されてはいないらしい。
「ただ、本当はさ、今度のデートの時に、言おうと思ってたんだ」
どれだけ、先輩として距離が近づいても、おれが欲しい関係とは違う。おれは、当たり前におれの隣にいてくれる中原が欲しい。だから、デートときちんと断ったうえで連れ出して、そこでちゃんと告白しようと思ったんだ。だと言うのに、まさかこんなことを頼む羽目になるとは。
「だから、今日のあれはフライングってことで、聞かなかったことにしといて」
情けないけど、今ここで唐突に答えを出されるより、もう一回チャンスが欲しい。こんななし崩しの告白で終わりたくない。
そんなおれの気持ちが届いたのか、中原は仕方ないなあ、というように笑ってくれた。
「デートの約束は続行でいい?」
「ていうか、わたしに拒否権なかったですよね、先輩」
笑い交じりの彼女の言葉に、おれはにやりと笑ってみせる。
「まあな。で、八月までは予定ないんだよな?来週の水曜でどう?」
「水曜ですね。良いですよ」
言って、見せられた彼女の笑顔を、おれはしばらく忘れられないだろうと、思った。




