4.冷静じゃいけない?
話を切り出したのは、ほのかからだった。
「他に好きな人ができたの」
久しぶりに外で会おうと呼び出され、開口一番に切り出された台詞がこれだった。有り難すぎて涙が出そう。
「そう」
言うべき言葉が見つからなくて、おれは呟く。だが、彼女にはそれが気に食わなかったらしい。
「そう、って、それだけ?他に何か言うことはないの?」
「言うことって?」
「何で、とか。誰だ、とか。そういうことよ」
言いながら、気まずくなってきたのか、視線がだんだん逸れていく。そんな彼女の様子に、溜息しか出ない。
「言ってどうなるの?」
何で、と言われても困るだろ?誰、と訊いておれの知っている奴だとは限らない。それなのに、訊かなかったからと言って責められるのは理不尽じゃないだろうか。
「どうって……」
「どうにもならないだろ?なら、訊くだけ無駄じゃん」
「無駄ってっ……!遥斗くんは、いつもそうやって、冷静だよね」
「冷静じゃいけない?」
「いけなくはないけど、何か、いっつもわたしだけ熱くなってるみたいで、馬鹿みたい。そりゃ、わたしから告白して付き合ってもらったけど、でも遥斗くんは付き合ってからでも、わたしのことなんて一度も好きじゃなかったでしょ?!」
なぜ、そんなことを断言できるんだろう。そう思えた方が、自分の罪悪感が減るとでも言うのだろうか。
「好きだったよ、ちゃんと」
「嘘!」
「失礼な。好きでもない子と付き合ったりはしないよ、おれ。周りからどう思われてるかは知らないけどね。ほのかは、いつも穏やかで、怒ることが少なかったけど、そういう所が可愛くて好きだと思ってたよ」
「でも、でも、メールとか全然くれないし!」
「え、あれでも少ないの?」
「電話するのもわたしからばっかりだし」
「どういうタイミングで電話すればいいのか、よく分かんないんだよ」
「春休みだって!」
「春休み?」
「全然、会えないのに、連絡もくれなかった……!!」
えーっと。うん、まあ、それはおれが悪いんだけど。でもなあ。
「春休みは会えないって、事前に言ってたよね?」
「そうだけど」
「おれ、ほとんどニューヨークで父親の手伝いにかかりきってるから、時差とか計算して連絡取るのも多分できないって、言ってたよね?」
「そう、だけどっ!!」
「それでも、連絡してこないのは、おれがほのかのこと好きじゃないからだって思ったわけ?」
もしそうだとするならば、彼女と付き合った三ヶ月は何だったんだろう。そんなことも理解してもらえないで、おれたちは付き合ってると言えたんだろうか。
「だって――!」
言って、彼女はすがるようにおれを見る。もしかして、彼女は待っているんだろうか。今後改心するから、もう一度やり直そう、なんて言葉を。
もしそうだとするならば、やっぱり彼女はおれのことを全く分かってない。
「ほのかに、全く気持ちが通じてなかったのは、よく分かった。おれの方にいろいろ問題があったんだってことも。それなら、おれが振られるのも仕方ないよな」
おれのその言葉に、彼女の目が絶望に染まる。
「友達に、戻るってことだよな?」
確認するようにそう言うと、呆然とつぶやく。
「とも、だち…?」
「うん。もともとは友達だったんだから、それに戻るってことだよな?それとも、おれとはもう、きっぱり縁を切りたいか?」
そう問えば、彼女はゆっくり首を振った。
「じゃあ、明日からは友達と言うことで」
席を立つおれを、彼女は悲しげに見ている。
「さよなら、ほのか」
「…………さよなら、遥斗くん」
静かな声を背に受けて、おれはその場から立ち去った。
好きだと思ったのは、本当だ。可愛いなと思っていたのも、本当。
だというのに、この執着心のなさはどうしたことだろう。
だから、彼女にだってその思いを疑われる。結果、他の優しく、自分だけを見てくれる男に乗り換える。
いつもいつも、その繰り返し。
恋とは執着することだ、といつかの彼女が言っていた。だから、執着心のないおれの思いは恋じゃないんだと、言われた。
そんなことを言われても、おれにはどうすればいいか分からない。
分かるのは、きっと自分が冷たい人間なんだろうということだけ。
冷たい人間だから、彼女たちを傷つけてしまうのだろうという、ことだけ。
ほのかのこともまた、それを証明することにしかならなかった。
そう思い知って、自分に対する嫌悪だけがつのっていく。
鬱々とした気分を抱えて、おれはそのまま家に帰った。
翌日も、暗い気分は晴れず、そのまま生徒会室へ行く。やらなきゃならんことが溜まっていて、欝な気分がさらに加速されていく。
行ってみれば、いるのは中原一人だけだった。
「お疲れ様でーす、先輩」
おれを認めて、そんな軽い挨拶が出てくるくらいには、中原も生徒会に慣れてきていた。
挨拶をしながらも、彼女の手は動かしたままだ。
プリントをまとめ、ホッチキスで留める。その繰り返しの単純作業が、恐ろしく速い。
見るともなしに眺めていると、最後の一部を留めた瞬間、壁にかけてある時計をふり仰ぐ。その時間を確認すると、何やら満足げににんまりしている。一体何してんだ、こいつは。
「時間に何か意味あんのか、中原?」
「あ、気付かれちゃいました?実は一人でタイムアタックしてたんですよ。このプリントの束、まとめきるのに十五分でできるかって」
単純作業をする時、結構やるんですよー、とのたまう彼女に、素朴な疑問をぶつける。
「楽しいか、それ?」
「楽しいですよ?単純作業なんて、ダラダラやればやるだけ、増えるのは徒労感だけですからね。目標時間を決めて、達成したら嬉しいって言うゲーム感覚でやるんです」
「ふーん……」
自分から訊いたくせに、気のない返事をするおれに、中原こだわりなく笑いかける。
「ところで先輩、甘いモノ、お好きですか?」
「甘いモノ?」
「ええ。うちの近所のケーキ屋さんで、クッキー売ってるんですけど、それ、今日持ってるんですよ。良かったらどうですか?」
言って、差し出されたのは大ぶりのクッキー。別に甘いモノが特別好きなわけじゃないが、ここで断るという選択肢は勿論ない。男子高校生の胃袋を舐めちゃいけないのだ。
「サンキュー」
一つ取って、かじる。ナッツがふんだんに入ったそれは、甘すぎなくて美味い。
「美味いな、コレ」
「でしょ?菊川先輩たちがここでよくお茶会するから、その時のためのお茶菓子にしようと思って、持って来てたんですよ」
さらりと告げられた言葉に、違和感を覚える。
持って来てた?今日初めて持ってきた、ではなく?
ふと、その言葉に何か違和感を感じたけれど、それがなんなのか自分でもよく分からない。とりあえず、おれは当たり障りなく話を続けた。
「中原の好きな店なの?」
「はい。正直、ケーキは今一つの味なんですが、クッキーは美味しくて。大好きな店なんです」
「甘ったるくなくて、確かに美味いわ」
「そうなんですよ、甘さ控えめが良いんですよ!美味しいモノっていいですよねー。食べると元気になれます」
会話だけ聞けば、それは何でもない、普通の会話。なのに、さっきの疑問の答えをさらりと提示された気がする。
参ったなあ。何で、こいつはこんなに聡いんだろう。
「おれ、そんなに酷い顔してた?」
確認のために紡いだ声は、自分でも驚くほど穏やかだった。
心が晴れたわけじゃない。
けど、何でもないことのように差し出されたそのクッキーが、嬉しかった。気を使ったのだとおれに気付かせないように、日常の行動のフリをしてくれた、そのことが。
そして、それにおれが気付いても、中原は認めなった。
「そんなこと、ないですよ?」
わざと不思議そうに、でも耳に残る深い声で、中原はそう告げた。
彼女は本当に、できた後輩だった。




