10.ま、頑張ろうぜ?
『本当はさ、今度のデートの時に、言おうと思ってたんだ。だから、今日のあれはフライングってことで、聞かなかったことにしといて』
あの後、先輩はそんなことをさらりと言ってのけ、さらさらとデートの日程、待ち合わせ時間と場所を決めてしまった。息も絶え絶えだったわたしは、もはや頷いていたのみだ。
そして決められた今日が、デート当日である。
待ち合わせより少し早く着いたので、どこで時間をつぶそうかと、思案してたら。
「中、原――?」
こちらもまた、早めに来ていた先輩がいた。
白のTシャツに、ネイビーのパーカーを羽織り、首元はシンプルなペンダント。ボトムはベージュのパンツという私服姿の先輩は、いつも以上に眩しい。どっからどう見ても、爽やか系イケメンである。だが、そのイケメンはわたしを見て驚愕している。
「え、と、中原、だよな?」
何で疑問形なのか、理由は自分でも分かっている。
今日のわたしは、擬態をしていないからだ。
長めの前髪は編み込みにして、サイドに流して一つにまとめている。勿論、伊達眼鏡も今日は出番なし。服装だって、白地に黒で花柄を描いたワンピースに淡い黄色のボレロ。足元は白のサンダル、と可憐な良家の子女風コーデだ。ちなみに、見立てたのは頼りになる親友ちえである。昨日から泊まり込んで、今日の髪のセットまでやってくれた友にはただただ感謝するしかない。
「おはようございます、結城先輩?」
にっこり笑って、手を振ってみれば。
先輩の顔が、綺麗に赤く染まった。うわあ、こっちまで照れる。
「お前は、朝から、本当に心臓に悪い――」
口元を手で覆って、そんな失礼なことを言われた。デートだというからお洒落してきたのに、そんなこと言うなら反撃するよ?目を潤ませて、言っちゃうぞ?
「せっかく可愛くしてきたのに、駄目ですか?」
必殺の上目づかいで、言ってやったら、先輩は、見事に撃沈してくれた。
ふふふふふ。結城先輩に、初めて勝ったぜ。
「ほんと、勘弁して、中原」
「素直に褒めないからですよ、先輩。女子がお洒落してきた時は、ちゃんと褒めるのが鉄則です」
冷静にそう突っ込めば、がばりと顔を上げられた。
「んじゃあ、全力で褒めても逃げないんだろうな?!」
あ、やばい。これ、墓穴掘ったやつだ。ここは大人しく謝るに限る。
「すいません。多分、先輩に全力で褒められると、ダッシュで逃げます。ごめんなさい」
「あー、うん、やっぱり中原だわ。ちょっと安心した」
なぜかさらに失礼なことを言ってのけた先輩は、そこで初めて、嬉しそうに笑った。
「いや、でも、ちょっと衝撃的な可愛さだな。おれ、今日一日ヤローどもの嫉妬の視線浴びまくりだろうなあ。楽しみ」
楽しみなのか、そこ。そう突っ込みたかったけど、その前にやっぱり逃げたくなった。これでも全力で褒めてるわけじゃないって、ホントこの人のイケメンスキル、どんだけ……。
「じゃ、行くか」
気を取り直した先輩はそう言うと、当然のようにわたしの手を取った。
「え、うええ?!」
しかも、きっちりカップルつなぎされてる!何でだ!!
「だって、今日はデートでしょ?嫌なら振り払ったらいいよー」
にこにこと、そう言い放つこの人は、本当にイイ性格をしている。できるわけないじゃん!
そして、先輩が連れて行ってくれたのは水族館だった。
結論から言っておく。
水族館デートは、想像以上に楽しかった。
イルカショーに喝采を送ったり、でかいエイをまったり眺めてみたり、水槽のトンネルに圧倒されてみたり。
ひとしきり堪能して、お昼を食べて、お土産ショップをのぞいて。そんなことをして、一日過ごした夕方、わたしたちは近くの海沿いの公園にいた。
今日一日、楽しくてあっという間だった。先輩は、手を繋ぎはしても、それ以上ことさらにわたしを彼女扱いするわけでもなく、ただいつも通りだった。いつも通りに接してもらえるだけで、わたしは十分楽しめるんだと思い知った。
「中原」
つないでいた手を引いて前を歩いていた先輩が、くるりと振り返る。いつも余裕を讃えているその顔が、若干強張っている。
「今日一日、ありがとう。おれはすっごい楽しかった」
おれは。慎重な限定に、思わず苦笑する。分かってると思うんだけどなあ、この先輩なら。
「わたしも、楽しかったですよ?」
わたしが、楽しくもないのに笑って見せるほど、いい子じゃないってことくらいは。だから、わたしが今日一日どんな顔をしていたか、で分かるはずだと思うのに。
「良かった」
言って、先輩はまたふわりと笑う。駄目だよ、先輩。それは反則だって。
そんなわたしの考えを読んだように、先輩はゆっくりと笑顔を仕舞った。
そして。
「ちゃんと、言ってもいいか?」
そう、口火を切った。静かで真っ直ぐな眼差しに、わたしはただ、頷くしかない。
「中原人魚さん。おれは、君が好きです。おれと、付き合って下さい」
その真っ直ぐな視線と同じくらい、直球で飾り気のない言葉だった。
その言葉を受けるのが、どうしてわたしなんだろう。そう思うくらいの、率直さだった。
先輩はそれ以上言葉を続けることもなく、わたしは声が出ない。
しばらく、そこにある沈黙を見つめてから、わたしは一つ息を吸った。
「ずっと、考えていたんです」
そう切り出すと、先輩は黙って視線だけで続きをうながしてくれた。
「先輩のことをどう思ってるか、考えて、一番に思ったのは尊敬、でした。すごい人だと思うし、わたしよりもずっとずっと大人で、考えが深くて、絶対勝てない人だろうなって思っていて。先輩みたいになりたいとは思っても、彼女になりたいなんて思ったことはなくて、そもそもそんな対等な立場に自分が立つことなんて、想像したこともなくて」
正直に、告げよう。見栄も恥も、今は忘れて、きちんと真っ向から向きあうべきだ。
それは、ここに来るまでに持ってきていた、たった一つだけの決意だった。
どれだけ混乱していても、それだけは決めてきていた。だからこそ、今日思ったことを言葉にする。きちんと、先輩が告げてくれたように、飾ることなく。
「今日一日、すごく楽しかったです。自分で想像していたより、ずっと。同時に、一日中考えていたんです。この距離のままいられないなら、どっちを取るべきか。ううん、違うな。どっちを取りたいか」
「どっち、とは?」
「先輩、わたしが断ったらこの距離にわたしを置いてくれないでしょ?そんなつもりはなくても、絶対距離が遠くなる。逆に、彼女になるということは、この距離が近づくということですよね。その、どっちを取りたいか」
可愛がられている後輩という楽な真ん中の立場から、遠ざかるか、近づくか。わたしの選択肢はその二つ。
それを提示して、わたしは一歩、物理的に足を踏み出す。先輩の目の前へ。先輩に近づく、方へ。
「先輩、わたしはまだ、先輩のことが恋愛的に好きだとは言いきれないんです。それでも、いいですか?それでも良いって言ってもらえるなら、わたしは先輩との距離を遠ざけたくないです」
そう、要はそういうことだ。
自分の気持ちにシンプルに向きあったわたしの答えを、先輩は黙って聞いてくれていた。
聞いてくれていた、のに。
「中原」
穏やかな笑顔のままで、続けられた台詞というのが。
「前置き、長い」
「………………は?」
え、ちょっと待って。意味が分からない。わたしは必死になって答えを探して言ったのに、それに対するコメントが、それ?しかも、そんな爽やかな笑顔で?!
納得がいかなくて全力で抗議しようとしたわたしの腕を、先輩が掴む。そのまま先輩に軽く腕を引かれ、バランスを崩したわたしの体は、当然先輩の腕の中へ。
そうして、気付いたら抱きしめられていた。え、どういうこと?!
「別に良いよ、先輩として好き、をそのうち恋愛にしてくれれば。ずっと待ってられるくらい、おれは中原が好きだから」
ちょっと聞いたことがないくらい、浮かれた先輩の声がする。やばい、めちゃくちゃ恥ずかしい!何だ、このシチュエーション!!
「…………悪趣味ですよね、先輩」
思わず、そんな悪態をつく。だが勿論、そんなわたしの照れ隠しなど、この人にはお見通しだ。抱きしめていた腕をゆるめ、そりゃあもう、イイ笑顔でわたしの顔を覗き込む。
「悪趣味?まさか。こーんな可愛い子、そうはいないよ?」
……………………見事にわたしが撃沈されました。
改めて手を繋ぎなおされて、わたしは今日一日、手加減されていたことを思い知る。
どう考えても、距離が近い。そんでもって、わたしを覗き込む笑顔が甘い。…………はっきり言って、ものすごく恥ずかしい。
同時に、すごく疑問でもある。
一体、この人はわたしのどこを気に入ってくれたんだろう。自分で言うのもなんだけど、猫をかぶってないわたしは大概酷いと思うんだけど。
「どうかしたか?」
わたしの心中の疑問を読んだように、彼がわたしを覗き込む。だから、近いって!!
「あ、いや、その……」
不思議そうな彼の顔を見上げて、口籠る。うーん、何て言うべきか。
『わたしのどこが好きですか?』
って。
訊けるかああ!!!そんな台詞口に出せるような可愛い性格なんてしてないんだよ!!
「訊きたいことがあるなら言ってみなー?」
くすくす笑われて、そう言われた。何となくだけど、この人は、わたしの言いたいことに見当がついてる気がする。そこを敢えて言わせたがってる、ような。
「訊きたい、と言いますか……えっと、あの…何がそんなにお気に召したのかなあって…」
きっと、わたしの顔は真っ赤だろう。分かっているから、顔が上げられない。
というのに、だ!
「そこはさあ、『わたしのどこが好き?』とか可愛く訊くもんじゃないの?」
「訊けるかああああ!!!!」
さっきの内心の問答を、綺麗に踏襲する羽目になった。そんなわたしを高らかに笑い飛ばすと、彼はその笑みに甘さだけ残して、言う。
「ちなみに、結構前からずっと、お前のことは可愛いなあと思ってたよ」
「そりゃまた、悪趣味な」
「何でだよ。しっかり者に見せかけといて、低血圧で朝だとふにゃふにゃしてたり、結構喧嘩っぱやかったり、あと地味に不器用だったり。色々、見てて面白くって可愛い」
「………………すいません、今の、可愛い要素皆無な気がするのは気のせいですか」
「ええ、そう?」
「どこをどう考えても、わたしの嫌なとこばっかりじゃないですか!!」
腹立ちまぎれに手を振り払おうとしたのに、その手は離れてくれず、逆に引き寄せられて、抱え込まれる。
「あと、今日発見した。近づいたら顔真っ赤にするのは、可愛いよな」
「――っ!!!」
最早声も出ないわたしに、彼はさらに追撃する。
「おれは手加減する気ないから、大人しく慣れろ」
「……暴君だ…………」
息も絶え絶えで反論して、見せたのに。
「ま、頑張ろうぜ?人魚」
トドメの一言で、わたしは完璧に息の根を止められた。
そうして、新たな関係を始めたその人に、振り回される日々が始まったのだった。




