44「為さねばならない」
冷たい牢獄の中で一人、アリエッタは鉄格子の窓の隙間から見える夜空を眺めながらこれまでの人生を振り返っていた。
改めて思えば不思議な人生であったと、まるで他人事のように受け止めている自分。
レオナに出会い、悪役令嬢断罪計画というよくわからない計画の一員にされ、家族をまるごと人質に取られながら悪役を演じ続けるという人生。
「どうして、私でなくちゃいけなかったのかしら……」
何度もそう思ってきた。
その度にアリエッタが信じる唯一の味方、侍女レオナは誇らしげに、さも当然のように豪語する。
『それはアリエッタお嬢様がこの国でただ一人、最も相応しい人材だったからです』
演技力が素晴らしかったから。
希有な才能に恵まれていたから。
そのようにおだてられ、説得され、今までずっとレオナの言うとおりに悪役令嬢を演じてきた。
幼い少女が悪者を演じるためにモデルにしたのは、大好きな絵本に出てくるヴィランであった。
どんな性格をした人間が、みんなの目から悪く見えるんだろう。
どのように振る舞えば、みんなから嫌われるんだろう。
いくつもの本を読み漁り、悪役とは、嫌われ者とはどういった人間が当てはまるのか。
そういった人物像を模索し続け、研究し続け、今の人格に至った。
高飛車で、傲慢で、他人のことなど眼中になく、自由奔放に振る舞う女の子。
自分のことが大好きで、自分にあまりにも正直で……。
いつしか自分で自分のことがわからなくなってしまったが、今なら少し自分のことがわかるかもしれないと、アリエッタは瞬く星々を見つめながらぽつりとつぶやく。
「まるで正反対だったのね……、私たち……」
本当の自分は内気で、臆病で、他人の目ばかりを気にするような女の子だった。
自分に自信がなくて、本当の気持ちすら口にできないような……。
嘘だらけの人生の中でようやく見つけた、本当の自分。
演じ続けることで見失っていた、本当の性格。
もしかしたら自分ではない誰かを演じ続けることに、本当は気持ちが良かったんじゃないだろうか。
そんな風にさえ思ってくる。
自分にできないことをやってしまえる、ある意味で自分の理想だった強い女の子。
彼女の仮面をかぶることで本来の自分をひた隠し、実は偽りだらけの人生を謳歌していたんじゃないだろうか。
ため息をこぼし、窓から視線を外す。
今さらそんなことに気付いたところで何になるというのか。
私は処刑される。
明日? それとも明後日?
これまでの悪行に対する刑として、殺される前に拷問でもされるんだろうか。
身震いがした。
こうして一人になると、ゆっくりと考える時間が長いと嫌な想像ばかりしてしまう。
誰かが見ている間は気丈に振る舞えたというのに、見張りの騎士の姿が見えなくなるとつい臆病なアリエッタが顔を出して……。
「え……?」
そういえばいつからだろう、とふと気付く。
つい先ほどまで見張りの騎士は鉄格子の前でずっと睨みをきかせていたはずだ。
木の板でできた薄っぺらい椅子から立ち上がり、鉄格子の内側から見える範囲で窺う。
「誰も、いない?」
見張りを交代する時も、食事の時も、アリエッタの一挙手一投足全て見逃すまいと監視していたはずの見張りが姿を消していた。
冷たい石壁にかけられたろうそくの明かりだけが、弱々しく狭い範囲をうっすら照らすのみ。
その明かりの頼りなさに、急に薄ら寒い恐怖が沸き起こってくる。
前代未聞の悪人だと罵られた。
過去に類を見ない非道さだと。
そんな犯罪者を一人残して、誰も監視せずに放っておくなんてことがあるだろうか。
アリエッタは戸惑う。
相談したくとも、今は誰もいない。
レオナも、精霊も……。
「アリエッタお嬢様」
安心する声が地下牢で響いた。
透き通るような、しかし意思の強さがはっきりしている凜とした声が。
鉄格子の隙間から顔をねじ込むようにのぞき込んでも、上階から地下牢へつながる階段は見えない。
しかし確かにコツコツと、靴音がこちらへ向かって鳴り響いている。
それほど静かで閑散とした地下牢。
この階には今、アリエッタとこちらへ近付く声の主しかいないとわかる。
「レオナ? レオナなの!?」
聞き間違えるはずがない。
ランタンの明かりがすぐ近くまで来た時に、ようやく見えた。
クリサンセマム家で仕えていた時にずっと来ていたメイド服、長い黒髪を後ろに編み込んだ眼鏡の女性が笑みひとつなく立っている。
そんなことは些細なことだ。
レオナはいつだって笑顔の少ない女性、それでも心の内はわかっている。
アリエッタのことを心の底から大切にしてくれる、唯一の理解者。
アリエッタは鉄格子を両手でつかみ、どうしたのか疑問を口にした。
どうしてここに?
どうやって?
次に何かやることを指示しにここへ?
そんなことを矢継ぎ早に訊ねるアリエッタの心境は、もう限界が近かったのだろう。
焦りの色が見えていたのかもしれない。
レオナの姿を確認したことで、感情の枷が外れてしまったのか。
堰を切ったように言葉を連ねた。
だが当のレオナは静かなまま、喜怒哀楽のない淡泊な表情のまま、鉄格子の先にいるアリエッタを静かに見据えるばかりだ。
何も言わないことに、不安を覚えるアリエッタ。
いつものレオナであれば、必ず最初にアリエッタの無事を確認するはずであった。
焦ったようにまずは怪我がないか確認し、無事であることがわかれば安堵する。
それがこれまで見てきたレオナの反応だったはず。
「レオナ……?」
違和感を覚えた直後、レオナがようやく口を開いてくれた。
淡々と、感情が乗らない口ぶりで。
「悪役令嬢断罪計画、ご苦労様でした」
冷え切った口調だった。
少なくとも、今までこんな風に言われたことはただの一度もない。
アリエッタの胸の奥底で、何かがざわめく感触がした。
「今、世間ではアリエッタお嬢様の話題で持ちきりですわ。これまで私が指示してきた通り、本当によくやってくださいました」
「え、えぇ……。これで本当にお父様やお母様、お屋敷で働いてる全ての人たちが……。私に関わる大切な人たちの安全を保証してくれるのよね?」
全てレオナから聞かされた話だ。
自分が悪役令嬢として世間からの嫌われ者になり、悪役となって断罪されれば家族に手出しはしないという。
最初からそういう条件で交わされた約束事であった。
言うなれば国から脅され、アリエッタは従うしかなかったという構図になる。
アリエッタの質問に、レオナはやっと笑顔で返してくれた。
しかしその笑顔は今まで見てきた温かなものではなく、冷笑に近いものだった。
侮蔑すら込めた態度に、心の隔たりのようなものを感じる。
「もちろん。現国王陛下も、現教皇も、それを必ず約束してくださいますでしょう。全てはアリエッタお嬢様が断罪されるためにね」
「……レオナ、どうしたの? なんかいつもと様子が」
「態度が異なる、と感じますか? それはそうでしょうとも。もはや私とアリエッタお嬢様、いいえ――あなたとの間にあった主従関係は終わったも同然なのだから」
そう締めくくると同時に、レオナの表情がまるで汚物でも見つめるような、嫌悪すら込められたものへと変化していたことに気付く。
これまで見てきたことのない、向けられたことのない恐ろしい形相だった。
***
今夜、愛しいアリエッタに告白する。
レオナはずっとこの日が来ることを恐れていた。
しかしフィクスに言ったように、これは必須条件である。
何が何でも、これだけは為さねばならない最重要項目だ。
数時間ぶりに見たアリエッタは、地下牢の中にいようともまぶしく輝く天使のようだった。 鉄格子のある採光用の窓から照らし出される月明かりを受け、その輝きはさらに増してるように感じられる。
まるで妖精が羽ばたく度に舞い落ちる光の鱗粉を、全身に纏っているような。
彼女の存在そのものが神々しい。
だがそうやって見惚れている場合ではない。
レオナはこれまでにないほど、一層気を引き締めて最後の大舞台に望んだ。
「そんなに目を丸くしてどうしたの? あぁ、アリエッタお嬢様にとって唯一無二の味方である侍女レオナがそんなこと言うはずない、とでも思ったのかしら? まさにそのことなんだけど、話をちゃんと聞いていたかしら? その関係性がもう終わったんだと、そう伝えに来たのよ」
そう、アリエッタお嬢様との関係性を終わらせるために、私はここへ来たのです。
最初に出会った時に言いましたよね。
アリエッタお嬢様にとって、私はただ一人の味方だと。
今も、これからも、私はアリエッタお嬢様だけの味方ですが……すみません。
ここから先は世間からも、そしてアリエッタお嬢様本人からももう、私たちがつながっているのだと、そう思われてはいけないのです。
だからどうぞ私を心の底から嫌ってください。
裏切られたと、騙されていたと、このレオナに今まで操られていたのだと。
誰が見ても、聞いても、そう思われて当然だと。
「そうそう、これも伝えておかないといけませんね」
これは正真正銘、失敗が許されない大舞台の本番。
全ては私の演技力にかかっているけれど、存外たいしたことなかったみたい。
切り出しは、そう……悪役令嬢の裏で暗躍していた邪悪な侍女が全てを曝け出すにふさわしいものに。
「お嬢様に心当たりがない聖女への嫌がらせの数々は、全てこの私がしてきました」




