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私は悪役令嬢の、ただの侍女でございます  作者: 遠堂 沙弥
第一部 悪役令嬢断罪計画
12/65

12 レオナ・サイプレス・1

 レオナ・サイプレスは孤児である。

 アンデシュダリア国の東方に位置する地域は特に貧しく、その中でもレオナが生まれ育ったサイラスの町は歓楽街として、お世辞にも平和とは言えない荒れた町だった。

 娼館で働く娼婦たちのほとんど全てが貧民街出身で、身売りしなければ稼ぐことができない女ばかりであった。


 レオナの母もしがない娼婦の一人で、何度も妊娠と中絶、流産などを繰り返していたが、ある時なんの気まぐれか。惚れた男の子供かもしれないとでも思ったのか。

 ある日突然、この子だけは産み落とすと母は娼館を出て行った。


 身重の体で向かった先は、サイラスの町でも富裕層に入る商売人の息子の元。彼はレオナの母をいたく気に入っており、三カ月前まで毎晩のように彼女を指名しては大切に抱いてきた。

 そういった経緯があったためか、突然押しかけて来た母に自分の子だと迫られても久方ぶりの再会ということもあり、冷たく追い返すようなことはしなかった。

 実際のところ、彼女のお腹の赤子が彼の子供であるかどうか不明のまま。それでも男は彼女を見受けし、赤ん坊が生まれるまでの間、男は彼女と共に暮らし始める。


 その間、二人は確かに幸せだったのかもしれない。お気に入りであった娼婦を自分のものとし、さらに彼女のお腹の中には自分の子供がいる。

 母もまた貧しい暮らしから一変。贅沢三昧とまではいかなくても、食べるものや着るものに困ることのない生活に、小さな幸福を見出していた。


 やがて産まれてきた子供の黒髪を見るや否や、彼の子供ではないことが発覚した。

 父親だと思っていた男の髪は栗毛色、母は赤毛であったため、黒髪は他の男の遺伝子を引き継いだものだと判明したのだ。

 裏切られた、騙されたと思った男は母を追い出し離縁してしまう。それまで築いてきた幸福がまるで嘘か幻とでもいうように、男の中にあったはずの愛情は一瞬で冷めきってしまっていた。

 追い出され、行く当てのない母は、男との仲を引き裂いた赤ん坊が憎くてたまらず、孤児院の前に捨て置いて、自分はそのまま行方をくらませる。


 そんな話はこのサイラスの町ではよくあることだった。だからこそこの町では身寄りのない子供が多く、最底辺の生活を強いられてきた先に待っているのは、男女ともに身売りしか選択肢がないという現実。

 それでも孤児院を運営している院長から告げられた言葉に、レオナは戸惑いと疑問を隠せなかった。


 娼婦に限らず望まない妊娠をした女の多くは、父親が誰かもわからない赤子をためらいなく産み捨ててしまうという。治安の悪い地域であるため、産み捨てたとしても捕まることがないこの町では、それが自分の将来のための選択肢のひとつとして容認されているといっても過言ではなかった。


 少なくともレオナは、生き永らえる可能性の高い孤児院に捨てられた。そのおかげでレオナは、他の産み捨てられてしまった赤子とは違い、こうして命を繋ぐことができたのだ。

 だが幼いレオナにそれを理解することは難しかった。

 孤児院といっても貧しいことに変わりはないし、食事だって町に住む数少ない善良と呼べる金持ちが恵んでくれたものだ。

 それも栄養バランスなんて度外視で、ただ人数分、朝と夜に食べられるものしか与えられない貧相な食事でしかない。

 雨風を凌げ、朝晩の食事にありつけ、着るものや寝る場所があるだけで、孤児にとっては十分すぎる恩恵なのだと、そう教え込まれて孤児たちは育っていく。


 レオナが六歳の頃、レオナの里親になると名乗りを上げた金持ちがいた。

 サイラスの町では上流階級といっていいほどの、高級なスーツを着た男の腹はでっぷりと突き出ている。ふくよかな体型から、美味い食事を毎日食べられる生活をしているのだと一目見てわかるほどの肥満ぶりだった。


「うんうん、確かにこの地域では珍しい黒髪だねぇ。なんて美しいんだろうか! 君はこの私がたっぷりと可愛がってあげるから、安心しなさいねぇ、デュフ……デュフフフ」

「……は、はい」


 孤児に選択権はない。孤児院としてもそれなりの金を支払ってもらえた方が、運営が成り立つものだと考えている。よって、相手の素性などを一切気にすることもない。

 その相手が明らかに評判の悪い人物であろうと、残虐非道で有名だとしても、小児性愛者という噂が立っていたとしても、孤児院が満足するだけの金さえ出せば子供が簡単に手に入る。

 それがこのサイラスという町の当たり前だった。


 レオナは手を引かれ、馬車に乗せられ、真向かいに座った里親に、頭の先から足の先まで舐めるように見つめられる。

 がたがたと悪路を走る馬車は、気兼ねなく走り続けた。やがてにまにまといやらしい表情でレオナの黒髪を、頬を、唇を、指や手の平で滑るように撫で、その手はゆっくりと下へ向かって行った。


「……っ!」


 正直、気持ちが悪い、の一言でしかないレオナであったが、拒絶する気概がない。

 自分の素性もさることながら、孤児院での貧しい生活は耐えがたかった。どの孤児も似たような境遇であるにも関わらず、極端に感情の乏しかったレオナだけ誰もが忌み嫌って仲間外れにしていた。

 悪口なんて痛くも痒くもないレオナに対して、手や足が出るまでさほどの時間はかからない。ただでさえ質素で少ない食事を奪われ、ありもしない嘘でナニーにレオナの悪評を植え付けられるなど。

 不公平な扱いを受け、蔑まれ、見下され、ゴミ虫のようにあしらわれてきたレオナ。そんな環境と出自によって、彼女の感受性は失われていた。

 感情を昂らせたところで状況が変わるわけでもない。自分が弱い存在であることを理解し、生きるためにどうしたらいいのか思考するだけの屍同然であった。


 里親の屋敷に到着するまでの道程の間に、レオナはその男の手によって穢された。

 薄汚れたボロ布同然の、白いワンピース一枚だけのレオナが馬車から降りた時、彼女の太ももから血が滴り落ちる。


 何も考えられなかった。考えたくなかった。ただ生きるために、生にしがみつくだけで精一杯のレオナに、反抗や抵抗といった気力はすでに失われていたのだから。

 ぱんぱんに張ったお腹を揺らしながら、里親となった男が馬車を降りた時だ。


 ――ゴツッ。


 鈍い音がしたと同時にレオナが振り向くと、後方でどさりと音を立てて地面に倒れ伏した男の姿を目撃する。頭から血を流し、身体はぴくぴくと痙攣していた。

 何が起きたのかわからず、数秒の間レオナはじっと倒れた男を見つめる。そしてゆっくりと、視線を動かしていく。

 倒れた男のすぐ側で、第三者が立っていることにようやく気が付いた。


 まだ年若い男だった。若いといってもレオナより十は離れていそうな、精悍な顔つきをした男だ。彼はレオナが乗っていた馬車の御者をしていたことを思い出す。

 男の手には警棒のようなものが握られている。ぽかんとした表情で男を見つめるレオナ。

 あまりに反応が薄いので、若い男の方から話しかけて来た。


「怖がることはない。俺は奴の御者として、一時的に雇われているふりをしていただけだ。本当は聖教会の使いでこの町に来た審問官、名をベリルという」


 ベリルと名乗った男は、レオナの白い足を伝う血を見て痛々し気な表情をし、それから汚物を見るような眼差しで里親を一瞥すると、手のひらを下に掲げ「不浄なるものよ、燃え尽きて塵と化せ」と呟いた。

 すると里親の全身を青い炎が包み込み、音を立てて燃えていく。初めて目にした火を操る魔法に、レオナの瞳に光が満ちる。

 数分と経たず、レオナを穢した男はベリルの呪文通り塵と化し、風と共に散っていった。

 肥満で大きかった男が目の前でじりじりと焼かれる光景を、レオナは脇目も振らず凝視していた。まるで人間が燃え尽きる一部始終を、その目に焼き付けるように。


 ベリルは馬車の荷台にしまっていたブランケットを取り出して、それをレオナに掛けてやった。それからベリルは、まるでレオナを品定めするように髪の毛一本から爪の先までじっくり観察していく。

 だが不思議とその目つきをレオナは気持ち悪いと感じなかった。里親に舐め回すように見られていた時は、全身が粟立つほど不愉快極まりなかったはずなのに。


「漆黒の髪にツリ目、瞳の色はアーモンド色。肌の色は我々と違い、少し黄みがかっている」


 レオナの外見的特徴を口にしながら、ベリルはあごに手をやり考え込むような仕草で独り言を続けていた。


「ここからさらに遥か東方、異文化を持つ種族と同じ系統だな。瞳の色はこちらの人種と交わったからか……? それでも潜在能力は東方の者と同等かもしれないな」


 わけのわからないことをぶつぶつと呟きながら、やがてベリルは里親のことなど何もなかったかのように馬車へ乗るようレオナに指示した。


「先ほどの下衆に買われ、そいつがいなくなった今。君を縛るものは何もない」


 そう言われ、レオナは自分がもうどこにも属さない放浪者となったことを理解した。

 孤児院の保護から抜け、里親となるはずだった男はもうこの世にいない。行く当てのなくなったレオナはもはや自由であり、同時に生きるための拠り所を失った流れ者でもあった。


 生き抜く術を持たぬ流れ者に待っているのは、つい先刻、里親にされたようなことを自ら進んで奉仕する娼婦か、犯罪に手を染めるしか方法がない。

 途方に暮れるレオナに、ベリルが首を左右に振ってその不安を払拭させようと彼の本来の目的を話して聞かせた。


「さっきも言ったが、俺は聖教会より派遣された審問官だ。本来は犯罪者を取り締まる役目だが、今回は別件でこのサイラスの町に足を踏み入れた」


 それからレオナの前に片膝をつき、同じ高さの目線にまで合わせると、ベリルは真剣な表情でレオナに告げる。


「この国の未来のために、その役割を果たす覚悟のある人物を探しに、俺はここまで来た。レオナ、君は今自由となったが寄る辺がない。俺について来れば、住む場所を、朝昼晩の食事を、季節ごとの衣服を、金銭を与えると約束しよう。人間らしい生活を与えてやる」


 これから先どうしたらいいのかわからないレオナにとっては、これ以上ない誘いの言葉であったが、しかしベリルは世の中そんなに上手いだけの話はないことを続けて教えた。


「その代わり、君は君の意思を、感情を、人として当然ある心を殺さなければいけなくなる。君に背負わせようとしている役割は、今の君と同じくらいの年齢の少女を将来的に破滅させること。それがどういうことかわかるかい」


 ――今の私と同じくらいの女の子を、破滅させる?


 心苦しそうに、ベリルはレオナに選択を迫る。これを引き受けなければ、ベリルは次なる対象を探すためにレオナを捨て置くつもりだとにべもなく語った。

 話の全てを理解したわけではないが、今の自分の状況が良くなるというならそれでいいじゃないか、と心の中にいるもう一人のレオナが囁いた。

 顔も何も知らない赤の他人を不幸にすることと、今の自分が人間らしい生活を手に入れることと、天秤にかければ答えはわかりきっている。


 極端な二択を迫られようと、了承しない理由はない。

 レオナは首を縦に振って「ついて行く」という選択を選ぶ。


「君に課せられる教育は過酷だ。しかし別に死ぬわけじゃない。このままここに残っても、飢え死にするか、生き抜いたとしても地獄が待っているのみだろう。それに比べれば……」


 ベリルは言葉を切って、無理やり笑顔を作った。

 彼の苦々しい笑顔の意味をレオナが理解することになるのは、この出会いからおよそ八年後のことである。

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