13 レオナ・サイプレス・2
ベリルに連れられてやって来たのは、アンデシュダリア王都。広大な土地には荘厳な王城、その隣には静謐さを讃えたように静かな輝きを放つ教会が立ち並ぶ。
王城と教会のある場所を土地の最奥とし、貴族街、市民街、貧民街という順で扇状に広がっていた。わかりやすい構図で区画された造りは、この国の縦社会を彷彿とさせる。
貧民街といってもサイラスの町のような荒み切った様子はあまりなく、農業や畜産を中心とした職業を生業とする者が住む地域として、最も広大な敷地を有していた。
王城から市民街までの土地面積を足しても、広大な農場には遠く及ばない。王都に住む人々全ての食を担う場所なのだから、それも当然のことだ。
サイラスの町は歓楽街で、酒場や娼館といった店がほとんどだった。レオナは初めて人として真っ当に生きられる環境を前に、今まで自分が生まれ育ってきた場所との格差に複雑な思いを抱く。
レオナの心境を察してか、王都へ向かう馬車はすでに乗り換えていた。ベリルがサイラスに来た時に使用していた馬車へ二人で乗り込み、ここまで数日かけて走ってきたというわけだ。
「アンデシュダリア国はいわば宗教国家だ。といっても教会が全ての実権を握っているわけではなく、あくまで主権は王族にある。威厳を保つために教会が寄り添っているようなものだよ」
町の大通りを抜けながら、ベリルが簡単に説明する。
レオナが身を置く場所は主に教会、そこで今まで受けられなかった教育を受けることになるらしい。住む場所も見習い神官たちと同じ寮となるため、あくまで最初の内は「見習い神官」という体で住みつくことになるそうだ。
「そこで最低限の生活力、礼儀作法などを身に付ける。それをクリアすれば次は女中となって、住み込みの城仕え。全ての役割を一人でこなす雑役婦レベルに達すれば、その後は俺たちと同じ宿舎での生活が待っている」
ベリルは教会の審問官だが、同時に王家が所有している暗部にも所属しているそうだ。
レオナが最終的に身を置く場所は教会ではなく、この暗部となるらしい。
大通りを走っている間、暗部という名称は伏せていた。それだけ闇深い組織ということだと、レオナは暗黙のまま察した。
教会に連れて来られ最初に向かった場所は、ベリルが同席した状態での、枢機卿との面談だった。
無表情で人を何人も殺してきたような冷酷な顔に、しかしレオナはそういったものを多く見て来たせいか怯える様子を見せなかった。
それが枢機卿の機嫌を良くさせたらしい。レオナに性を与え、歓迎する態度へと一変した。
「東の人間の多くは、独特な魔力を有すると聞く。この娘ならば優秀な魔性使いになれるやもしれん。――ベリル」
「はっ」
「この者に魔性の術を与えよ。できるだけ多く、死なん程度に。……そうだな、十体くらいは宿せるようにしておきなさい」
「……本気ですか、枢機卿!? 魔性の術は宿主の肉体を蝕みます! 宿す数が多いほど、それだけ魔力を消費してしまうのですよ」
暗い個室での問答。
レオナはただじっと椅子に座り、二人の話を聞くしかやることがない。
難しい話をしているせいで、内容はやはりさっぱりだった。
しかしこの枢機卿と呼ばれている男がレオナにさせようとしている行為は、どうやら人命に大きく関係するらしいことだけは理解できた。
精悍、かつ冷静な表情をあまり崩すことのないベリルがこれほど動揺しているのだ。
無理難題を突き付けられ、それに反論しているということだけはレオナに伝わっていた。
「この地域の人間の、特に魔力値の高い者ですら、魔性をその身に宿すことができる数は三体まで。それ以上は魔力が枯渇し命を落とすか、正気を失い発狂するか。ましてやこの娘はまだ六歳……」
「だから神官見習いとして魔力値を高める訓練を死ぬ気でさせるんだろう」
押し黙るベリルに、さらに地に響くほどの低く昏い声で枢機卿は畳みかける。
「東の異国イーステッドの血が混じっているのなら、この国出身の者よりよほど期待ができるというものだ。いいか、今回のテーマは史上最凶の悪女だ。その存在を作り上げるためには、それ相応の実力を持った人物が当たらなければならない。『悪役令嬢の育成係』は、それだけ重要な役割を担っているのだ!」
力強く語るその言葉に、ベリルはすっかり威圧され言葉を失っていた。
やがて枢機卿の口撃相手が部下から少女へと移り、両肩を掴み顔を近付け脅すような形でレオナに詰め寄る。
「いいか、お前がここへ連れて来られたのは神の思し召しでも、偽善から来るものでもない。ましてや孤児を集めて敬虔な神官を集めるためでもない」
ギョロつかせた目は真っ赤に充血し、その迫力は彼の持つ目力だけではなく昏い声からも放たれていた。
「お前はここで自身の魔力を高め、自在に操る術を身に付け、魔性をその身に宿すこと。もちろん王家や私に逆らうことは万死に値するとして、それがお前に課せられた使命であることを理解しなさい」
あまりの威圧感にレオナは初めて恐怖という感情が芽生えた。これまで孤児院でどんなにいじめられようと、孤独な環境を強いられようと、ナニーや他の大人たちの圧力でねじ伏せられようと。レオナはそれを諦念したように受け流してきた。
そんな状況下で辛い、耐えがたいといった思いはあっても、恐怖といった感情は不思議と芽生えなかった。ふらりと町に出れば大人たちに乱暴に扱われ、蔑んだ目で見られ、まるで自分が汚物のような存在であるかのようにあしらわれた人生。
厳しい境遇であったからこそ、レオナは心を固く閉ざし、これ以上心が傷付いてしまわないように、壊れてしまわないように、感情という人間らしい心を胸のずっと奥に隠してしまった。
それからどんなになじられようと、手酷い目にあっても、自分なんてこんなものなんだと諦めがついたし、心が痛むことも不公平に感じることも、理不尽だと思考することも捨てられた。
そうやって幼少期に植え付けられたレオナの心は、豊かさを失い成長を止めてしまう。
ただ「生きる」という目的だけで今まで過ごしてきたレオナが、枢機卿というこれまで見たこともない驚異的で圧倒的な存在を前にして確かに怯んでいた。
「魔性を宿せなければ死、逆らっても死。お前がやるべきことは、死ぬ気で課せられた使命を全うすることのみだ。今ここで辞退しても、我々に関する情報を得たお前に待っているのは死のみ! 慈悲深いベリルはお前に選択肢を与えたのだろうが、私がお前に与えるのは命令だけだ。絶対服従以外、私は認めない。わかったらさっさとその身を清めてくるがいい」
歓迎していた様子は、今は微塵もない。あるのは反論を許さないこと、逃げ出すことは不可能だということ。レオナに残された道は、もはやひとつしか残されていなかった。
話は終わったのか、ベリルに後を引き継ぎ枢機卿はレオナを一瞥することなく部屋を出て行く。その背すら冷酷というオーラをまとっているようで、逆らう意思を奪ってしまうようだ。
枢機卿の言葉と勢いに完全に呑まれたレオナに、ベリルは厳しい口調でついて来るよう促した。そこには先ほどまであった善良そうな顔はなく、ただ枢機卿の言葉に服従するだけの部下という顔しかない。
表情を消し、命令に従うだけの機械人形のような態度を貫いたまま、ベリルはレオナの教育係に就任した。
***
レオナが枢機卿に与えられた性は、サイプレス。
教会上層部が隠語で使う言葉で、その隠された意味は「死」や「哀悼」、「絶望」といったものだ。
それをレオナに与えたということはつまり、レオナがいずれ自らの手で陥れ、処刑台へ導くことになる憐れな少女にとって、そういった存在になれという意味を含んでいたことに、少しずつ知識と教養を身に付けていったレオナは気付く。
しかしそれを断ればレオナに待っているのは死のみ。やはり選択肢などレオナに与えられることはない。産まれ落ちた時と同様に、流れに身を任せるまま、レオナ自身で選ぶ権利などない人生。
それでもレオナは、自分が死ぬという選択だけはできなかった。陰湿であり、あからさまでもあったいじめから逃れるために、孤児院を出るという選択肢もあったはずだ。
選ばなかったのは、残った方が確実に生きられるからという理由以外ない。
孤児院に残った方が、少なくとも着るもの、住む場所、食べ物を与えてもらえる。いじめに耐えさえすれば、それが確実に手に入るのだ。
だからレオナは保身を選んだ。孤児院に残ることで、それらが与えられるから。
里親が現れ孤児院を出た時も、心身ともに苦痛を与えられても抵抗する、逃げるという選択を選ばなかったのもレオナだ。
あのまま里親に抵抗し逃げ出したとして、その先に何が待っているのか。
里親は孤児院に直訴するだろう。今まで世話になった孤児院に恩を仇で返すことになるだろうが、自分のことしか考えられないレオナにとって些細なことだ。
一番の問題は里親が裕福であり、力や権力があったこと。それを使ってレオナをどこまでも追いかけ、連れ戻そうとするかもしれない。下手をすれば里親に逆らった罰として、殺されるかもしれないという可能性の方が怖かった。
どちらにしても、レオナにとって「生き抜く」ということは何より重要で、「死んで楽になる」という選択だけはなぜかどうしても選べなかった。
運良くこの世に産まれたこの命、生を繋ぎ止めたことをなかったことにしたくない。
ならば自ら死を選ぶことなどできるはずもなかった。
レオナは生きる。醜く生にしがみつく。赤の他人に迷惑をかけようと、誰を犠牲にしてでも、どんな苦境が待っていようとも、命を手放したくないのがレオナという少女だった。
そんな生への執着が、レオナに本来ある実力以上の力を発揮させたのかもしれない。
誰よりも記憶力が良く、手先も器用で、相手の快不快を察知する能力に長けていたレオナは、みるみる内に同期であった神官見習いを追い越し、わずか一年で見習いを卒業した。
東の異国イーステッド出身の顔つきは、この国の者と少し違うらしい。レオナに自覚はなかったが、どうやらレオナの生まれついた顔つきはこの国の人間にとってはとても美しく、神秘的に映るようだ。
そんな神秘的かつ魅惑的な、年齢より大人びた雰囲気が司祭や司教に気に入られる要因とされ、同期の見習いや神官職に就いている者たちはレオナを快く思っていなかった。
そんな連中からのレオナの扱いは、孤児院にいた時とさほど変わらない。レオナには自分の命に関わるほどに重要な使命があったので、そんなやっかみに応じてやるほど心の余裕はなかった。
それこそ死に物狂いで物を覚え、訓練に励み、枢機卿や教育係であるベリルが望むレベルの実力を習得しなければならないという使命を何より優先させなければならない。
周囲の誰とも異なる状況下だったからこそ、レオナは誰よりも成長が早かった。静謐さを宿したような佇まいが、所作のひとつひとつに上品かつ優雅さを与えた。荒んだ環境で育ったとは到底思えないほどの立ち居振る舞いに、誰もがレオナを只者ではないと感じる。
神官見習いもまた、王都の貧民街にある孤児院から入信することが多かった。そこで働き、どの職業よりも薄給で労働し、俗世から一線を引いた生活を強いられる。
才ある者は聖職者として上級職に就いて行くこともあるにはあるが、それには多大な貢献を必要とし、あるいは人並み以上の魔力を有する者しか上に上がれないシステムだ。
誰もがレオナにその資格を見出していたが、彼女の行く先はすでに決定している。
ほどなくして、レオナは王家直属の組織『シャドウハイド』へ所属することとなった。
王家の闇、汚れ仕事の代名詞。
表向きは王城で働く住み込み女中として、召使いとしてのいろはを習得しつつ、裏では悪役令嬢の専属侍女となる訓練を行なった。
表と裏、その両方の生活を強いられる中で会得したもの。
それは笑顔という名の仮面だった。
感情がすっかり死んでしまったレオナにとって、この仮面は何より役立つ武器となる。
自分の命は常に死神の大鎌を突き付けられた状態だ。いつその大鎌が振り下ろされてもおかしくないような状況で、レオナはある日突然出会うこととなる。
王都でレオナと共に働く女中たち。
彼女たちとの閑談の中で現れたその存在に、レオナは生まれて初めて心の安らぎがどういうものなのか、その意味を知った。




