11 侍女レオナの使命?
自分の支度をある程度済ませたレオナは、普段アリエッタの世話をしていたという女中に早速話を聞きに行った。
屋敷に到着するまでの間に夫妻から、アリエッタの身の回りに関することはその女中から話を聞くようにと言われたからだ。
貴族出身の多くは、直接両親から身の回りの世話をしてもらうことが少ない。大半は召使いに任せきりで、深く関わるタイミングは食事の時間か、家族で出かける時くらいのもの。
あくまでレオナが知る範囲内の話だが、面倒事は雇っている従者に任せる家庭が多かったと聞く。
そして女中に聞いた話から考えるに、アリエッタの家庭もどうやら例外ではないらしい。
「また何かありましたら遠慮なくどうぞ」
「ありがとうございます、ロマーニさん」
今日は太陽の日、休日ともなれば家族で過ごすのが一般的だ。学校もサービス業以外の仕事も基本的には休みになるが、クリサンセマム家にとって今日は登城を命令された日。
他に予定を入れることはないと思っていたが、父親は貿易商勤務のせいか太陽の日であろうと出勤することが多いらしい。
屋敷に帰るなり後のことは家に残る者に任せ、自分はそのまま所有する馬車に乗って出勤してしまった。母親ももちろん、すでに屋敷を出た後である。
不安がすっかり拭い去られ普段の生活にすぐさま移行した両親に、レオナはむしろそれくらい楽観的である方が都合がいいと考えた。
これで両親の目を気にすることなく、レオナは早速自分の本来の職務を全うするためにアリエッタの部屋へと向かった。
***
アリエッタの部屋のドアをノックして、声をかける。
しかし中から声どころか、物音すらしない。家族と共に屋敷に帰ってから、ロマーニと揃ってアリエッタを出迎えた女中と共に部屋へ着替えに戻ったと、そう思っていた。
それからレオナは自分の部屋へ案内される前に使用人たちに紹介と挨拶をしていたので、多少時間を消費している。
その間にアリエッタが着替えを済ませ、屋敷内のどこか。あるいは庭へ出ている可能性もなくはないが……。
廊下の窓から外の様子を見るに、雲間からわずかに太陽の光が差している。それでも基本的には未だに曇り天気で、あまりすっきりとしない状態だ。
こんな天気にわざわざ庭へ出て遊んだりするものだろうか。仮に出歩いたとして、召使いの一人も付けず四歳の女の子が一人で屋敷を出ることを許可するとはさすがに思えなかった。
耳を澄ませながらもう一度ドアをノックし名前を呼んでみると、今度はパタパタと駆けるような音が聴こえたので、部屋に誰かがいることは確認できた。
これがもし召使いであるなら、きっと返事をするはずだ。となれば、先ほどの足音の持ち主はアリエッタ本人である可能性が高い。
しかしここまでして返事の一つ禄に返してもらえないところから、故意にレオナのことを避けているようにさえ感じる。
思えば馬車内でのやり取りも、会話という会話ができていなかった。談話室では多少の手応えがあったので、上手くやっていけそうな自信があったのだが。
しかしそこから先、どうにも警戒されているようにしか感じられない。
すぐに関係性の修復に努めなければと、レオナは大急ぎで使用許可の下りた調理場へと向かい、お菓子作りに励むことにした。
もう少し手間暇をかけた本格的なお菓子を用意したかったが、今は時間をかけている場合ではない。手早くできる焼き菓子といえばクッキーくらいだ。
途中で捉まえたロマーニにアリエッタの好物を聞いたところ、特にチョコレートが好物であることがわかった。チョコクッキーばかり作ってもいいだろうが、もしアリエッタが賢しい子供であった場合を考える。
自分のことをリサーチし、すり寄るために好物をたくさん持ってきたという腹積もりを見破られ、さらに警戒されることまで想定した。
この時レオナは、相手が四歳の子供だということをすっかり忘れていた。そこまで考える必要はなかったのだが、慎重に慎重を重ねた結果そういったことに気付かずレオナは真剣に策を練る。
あえてハーブやナッツなども加え、気持ちチョコを多めに。せめて味に変化が出るように、様々な種類のクッキーを作って焼いていく。オーブンで焼いている間に、城から持ってきた高級の茶葉を出した。
それらを手早く仕上げ、トレイに乗せるとアリエッタの部屋へ直行。改めてドアをノックして声をかけるが、……やはり返事はない。
(部屋を出ていないのは確実だから、やっぱり無視されているのかしら)
レオナがアリエッタの部屋のドア、その正面にある壁に目を向ける。わずかに天井の辺り、影になっている箇所で、小さく黒い物体がうぞうぞと動いていた。
周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから片腕でトレイを持ち直し、もう片方の手を壁際に差し伸べる。
壁からレオナの指、腕へと這いずるように移動したそれは、大きな目玉を上下左右にくるくると回転させている奇妙な生物だった。
影の中にいた際には全身が黒く、白い壁へ移動したら全身が白へ。そしてレオナの肌へ移動した時には、レオナの肌の色へと変化させていく。目玉は眼窩から飛び出すように突き出ており、左右別々に動き、ほぼ全体を見渡せる構造だ。
レオナはこの生物をカメレオンと呼んでいる。
(この子がずっとお嬢様の部屋の前で監視していたのだから、出て行った形跡は確実にない)
レオナがカメレオンの口元に軽くキスをすると、カメレオンは満足そうに目玉をギョロギョロさせながら、再び壁の天井付近へと戻って行った。
それを見送ったレオナは気を取り直して、再度ドアをノックする。今度は強硬手段に出てみた。
「アリエッタお嬢様、レオナでございます。失礼ですが入りますよ」
かちゃりとドアノブを回し、ゆっくりとドアを開けた。
中を見渡すと、年頃の女の子らしいインテリアがまず目に入る。花柄の壁紙、愛らしい意匠の衣装ダンスにドレッサー、勉強机に天蓋付きのベッド。
金持ちのお嬢様なら誰もが持っていそうな家具一式、その部屋のカーテンの裾から見える小さな足。
レオナは安心したように鼻で笑うと、丸テーブルの上にトレイを置いてお茶を淹れる準備に取り掛かった。
「さぁさぁ、今からレオナ特製のおいし~い紅茶が飲めますけど。このお部屋のご主人様は一体どこへ行ってしまったんでしょうか」
大きな独り言をアリエッタに向けて話しながら、紅茶のかぐわしい香りが少しずつ室内に広がっていく。
「焼きたてのクッキーもとっても美味しそうですけど、どうやらこの部屋のご主人様はいらっしゃらないようなので、私が全部いただくとしましょうか」
いたずらっぽく挑発するように、大きくはっきり告げるレオナ。カーテンが揺れる。
「あらあら、びっくり! このチョコクッキー、ケーキ屋さんで見かけるクッキーのチョコよりずっと大きくって、とっても美味しそうですよ」
「たべる! あたちもたべるから! ぜんぶとらないでっ!」
甘いお菓子を餌にして、釣れない子供などいない。
表情はいつも通りに。
しかし内心では「よし!」と勝ち誇っていたレオナであったが、カーテンの向こう側から出てきたアリエッタを見て、すぐさま自分の不甲斐なさに心の中で舌打ちした。
出て来たアリエッタは、登城した時のドレスを着たまま……。
あまりにゴテゴテしているので、てっきり帰ってすぐ動きやすい服に着替えているものとばかり思っていたが。
そんなアリエッタを目にした瞬間、レオナはカツカツと靴音を鳴らして直進していく。
そしてアリエッタの目の前でひざまずき、謝罪した。
「申し訳ございません、アリエッタお嬢様。気が付かなかったレオナをどうぞお許しください」
突然の謝罪に戸惑うアリエッタ、思わず反射的に首を縦に振ってしまう。
それを目で見て確認したレオナは、すぐさまクローゼットを開けて何着もの愛らしいドレスが並ぶ中、アリエッタに意見を促す。
「さぁ、どれに着替えますか」
アリエッタが一向に部屋から出て来なかった理由。
それは「豪奢なドレスを自分一人で脱いで着替えることができなかった」から。
チャックは背中にあるし、ぴったりと密着したタイツを爪でひっかいて破ってしまわないよう脱ぐことも困難。
助けを呼ばなかったのはなぜか。
もしかしたらこんなに派手な格好をしている自分を、他の人間に見られたくなかったのかもしれない。
母親の言葉にも「内気で引っ込み思案な性格」だと事前に聞いていた。
いつもと違う着飾りすぎた姿を見られるのが恥ずかしかったため、誰にも手伝いを頼めなかったのかもしれない。
レオナはアリエッタの行動ひとつひとつを見逃さないように、アリエッタが出しているサインを見落とさないように、注意を怠るべきではなかった。
クローゼットの前でそんなことを思いながら、自分の不甲斐なさを痛感する。
アリエッタはゆっくりとクローゼットに近付いて行き、ハンガーにかかっているドレスではなくレオナを見上げた。
レオナのエプロンの裾をきゅっとつまみ、化粧で塗りたくられた瞳が真っ直ぐレオナを見つめる。
「あのね? レオナはわるくないからね? だから、かなちまないでね?」
目の周りをアイシャドウでゴテゴテに塗りたくられた瞳の奥、キラキラとした純粋な眼差しがレオナの心をとらえた。
小さな身体に、小さな手、柔らかみを帯びた丸い輪郭、どれをとっても自分と同じ人間とは思えない。
小さな子供という、得体の知れないか弱い生物を前に、レオナは激しい動悸に襲われた。
(この感覚は……、一体なんなのかしら……?)
そっとアリエッタの柔らかく艶やかな髪に手を差し伸べ、優しく撫でる。そうすることでアリエッタは安心したように無邪気な笑顔を向けた。
「えっと、まだじぶんでいってなかったからいうね? あたちのなまえはアリエッタでつ。よろちくね、レオナ」
(はうっ!?)
思いがけない自己紹介に、レオナの心臓は締め付けられた。それはやがて痛みとなり、さらなる動悸の原因となり、呼吸までが乱れていく。
次第に全身が熱を帯びたように火照っていき、目の前の少女が自分をこんな状態にさせていることを、この時初めて自覚した。
レオナが感じたそのままの気持ちを、惜しみなく心の中で叫ぶ。
(か、可愛いが過ぎるっ!! ……天使っ!?)
レオナは腰が抜けたように、へなへなとその場にくず折れた。
目の前にいる地上のものとは思えない可愛いの権化に向かって、レオナは半ば無意識に、半狂乱といってもいいほどに錯乱しながら口走る。
「アリエッタお嬢様は私が一生お守りいたしますわっ! この命に代えてでもっ!」
「え……?」
あぁ可愛い、可愛すぎる、見ているだけでこんなにも心が癒されるなんてどういうこと?
こんな下品なケバイ化粧をした愚か者を今すぐぶち殺してやりたい。
絶対にすっぴんの方が愛らしいに決まっているのに。
だってこんなに綺麗な瞳をしているのよ?
こんな無邪気な瞳、見たことがない。
柔らかそうな頬も、細くて艶やかな髪も、すべすべとした若々しい肌も。
何もかもが可愛すぎます!
あぁ止まらない、私は今この世で最も可愛い存在に触れている!
正気でいられるはずがないじゃない!
国王命令? 国の安寧?
なにそれ可愛いの? どうでもいいわそんなもん。
本音という名の思考が駆け巡る。
レオナはこの瞬間、アリエッタの可愛さに翻弄され、完全に心を奪われていた。
レオナという少女の悲惨な出自、そして才能を見出されたことによって特殊な訓練を受けた日々。
生きることで精一杯だった人生の中で、レオナが唯一心癒される瞬間は「自分にない可愛さをもつものを愛でる」ことのみだった。
そう、レオナは可愛いものに目がなかった。
可愛いこそ正義だった。
可愛いというジャンルに程遠い自分の容姿では、可愛いもので自分を飾ったところで、それは真に可愛いものへの侮辱にしかならない。
可愛さへの愛執、可愛さへの妄執。
だからこそ可愛いものに対する執着心は、レオナの正常な判断を狂わせた。
教育係のベリルですら、レオナの狂気的ともいえる執着心ばかりは、矯正することがついぞできなかった。
それほどレオナにとって可愛いものという存在は自分の命以上の、神の言葉以上の重みがあった。
だからこそレオナは自分に与えられた使命に逆らってでも、天使のようなアリエッタにその全てを捧げる決意が今できてしまった。
たとえこの国を、世界の全てを敵に回してでも……。
自分の冷めきった心に、最高の癒しを与えてくれたアリエッタのことを一生守っていくと。
レオナは心の底から一方的に誓っていた。




