第28話 残響
《グラヴ=ノスフェイル》の残骸が蠢いていた。
肉の再生が始まっている。
黒煙が晴れるごとに、赤黒い粘液が集まり、崩れた巨体が“また”形を取り戻そうとしていた。
「……まだ、動くのかよ……」
凪人はよろけながら、ゼログリムを構える。
だが──
「……ッ!」
腕が、上がらない。
ゼログリムのインターフェースが赤く点滅し、システム負荷の限界を訴えていた。
《アストラ・ノヴァ》も、宙に浮かぶことすら叶わず、
その刃の光がふっと揺らぎ、次の瞬間、静かに“消えた”。
『凪人、限界です。適応指数低下──戦闘継続は不可能です』
(もう……ダメなのか……?)
目の前で、肉体が再構成されていく。
もう一度、立ち上がるつもりだ。
このままじゃ、殺される。
春日も、膝をついたまま立ち上がれずにいる。
音無と志村は、今も動かない。
──誰も、もう動けない。
(まずい……誰か、誰か……!)
そのとき。
「悪ィ、待たせたな」
低く、腹の底から響くような声。
「……!」
背後から、重い足音が響いた。
ゆっくりと現れたのは──堂嶋鋼一。
「……堂島さん……!」
凪人が驚きの声を上げた。
左腕は包帯で固められ、出血は止まっている。
だが、その眼には力が戻っていた。
その全身から、獣のような“圧”が立ち昇っている。
「綾瀬、ありがとうな。……お前の時間を稼いでくれたおかげで、なんとか間に合った」
堂嶋は、にやりと笑った。
「水野が止血してくれてな。なんとか右だけは動かせる。──こいつで、終わらせる」
その言葉とともに、拳が蒼く光を帯びる。
「……《重鋼装解放──Lv.3》」
その一言とともに、全身の空気が揺れた。
右腕だけが“異質”に変貌する。まるで拳そのものが“戦闘兵装”と化すかのように、圧倒的な威圧感を放っていた。
「……ここで俺が終わらせる」
その声に、凪人がわずかに目を見開いた。
ゆっくりと、一歩ずつ前へ進む堂嶋。
踏みしめるたびに足元の瓦礫が砕け、重圧が周囲を包む。
《グラヴ=ノスフェイル》は、崩れた肉体を再び立ち上がらせようとしていた。
だが、その動きは鈍い。凪人と春日の連携で与えたダメージが、確実に蓄積している。
「芯はお前が撃ち抜いたんだ、綾瀬。……十分だ」
低く唸るような声。
拳をゆっくりと引くと、蒼光が螺旋のように拳にまとわりつき、爆発寸前の圧力を帯びていく。
「──行くぞ」
力強く踏み込んだその瞬間──
「《バースト・クラッシャー》ッ!!」
蒼き拳が空気を裂いた。
音すら置き去りにする速度で振るわれたその一撃は、
《グラヴ=ノスフェイル》の中心核へと突き刺さる。
──ドオオオオンッ!!
爆発的な衝撃とともに、異形の身体が内部から“砕けた”。
肉塊が四散し、骨ごと吹き飛ぶ。
霧が押しのけられ、世界の色が一瞬、白く塗り替えられた。
そして、沈黙。
中心にあった“心臓”のような核は、完全に破壊されていた。
堂嶋は拳を下ろし、わずかに息を整えると、
振り返らずに呟いた。
「終わったぞ、綾瀬。──よく粘ったな」
凪人は、黙って頷いた。
その背中を、心に焼きつけるように
しかし、次の瞬間。
堂嶋の身体が、ふらりと前に傾いた。
「……っ、堂嶋さん……!」
凪人が慌てて駆け寄ると、包帯で巻かれたはずの右腕から、再び赤黒い血が滲み出していた。
「腕が……! まだ出血が……!」
「……問題、ねぇよ……ちょっと……張り切っただけ、だ……」
その言葉を最後に、堂嶋の膝が崩れた。
「──堂嶋さんッ!」
凪人がその身体を支える。
重い。
巨体から、ずっしりと熱と疲労が伝わってくる。
「堂嶋さん、しっかりしてください!」
そのとき。
「どいてください!」
駆け寄ってきたのは水野だった。
手には応急処置用のパッチと蘇生キット。
「止血します! 救急隊がすぐ来る!」
「っ……頼む……」
凪人が身を引くと同時に、水野が堂嶋に処置を始める。
直後、通路の奥から足音が近づいてくる。
「《第七支援医療班》です! 対象者はどちらですか!?」
「ここです! 重傷者三名──堂嶋さん、志村さん、音無さん。それと中等度が二名!」
水野が手を挙げて叫ぶ。
春日は壁にもたれ、呼吸を荒くして座り込んでいた。
凪人も同じく、膝をついたまま動けないでいた。
「綾瀬くんも搬送対象だ、今すぐストレッチャーを!」
「ぼ、ぼくは……っ、大丈夫……!」
春日はか細く言ったが、医療スタッフのひとりが即座に判断した。
「意識はあるが極度の魔力枯渇。搬送を優先してください!」
「わかりました!」
テキパキと担架が運び込まれ、志村と音無はすぐに運び出されていく。
堂嶋はパッチ処置が終わったところで、意識を取り戻しつつあったが──
「……悪い、俺も……さすがに、もう……休ませて……もらうぜ……」
そう呟いて、意識を落とす。
「堂嶋さん! すぐ搬送します、気道確保!」
凪人はそれを見届けながら、自分の視界がじわりと滲んでいくのを感じていた。
「綾瀬くん、君も!」
「……わかった、行くよ……」
もう、立っていられなかった。
そのまま倒れた。
* * *
白い光のなかで、誰かの声が聞こえた。
それは、遠く、優しく、けれどどこか“人間らしくない”音だった。
『あなたは……“』
声が、そこで途切れる。
次に続くはずだった言葉は、まるで誰かに遮られたように、
あるいは──凪人自身が、それを拒絶したように、消えていった。
(……誰だ、お前は……)
問いかけようとしたそのとき、視界が反転する。
まぶたの裏に、ぼんやりとした光が差し込んでくる。
まぶたを開くと、そこには真っ白な天井があった。
「……っ……」
喉が乾いている。頭の奥がズキリと痛んだ。
体を起こそうとして──鈍い痛みが肩から腰にかけて走った。
「動かない方がいいよ」
ふいに、声が聞こえた。
ゆっくりと視線を横に向けると、そこには春日がいた。
少し疲れたような表情で、でも安心したように微笑んでいた。
「起きたんだね。よかった……」
「……ここは……?」
かすれた声で問いかける。
「病院だよ。君も、あのあと意識を失って倒れてた。搬送されてから、ずっと眠ってたんだ」
「……そうか……」
ようやく、記憶が少しずつ繋がっていく。
ダンジョンの奥で、異形と戦ったこと。春日と共に、命を賭けた戦いをしたこと。
「……堂島さんや、みんなは?」
春日は少しだけ顔を曇らせ、それでも静かに答えた。
「堂島さんは……運ばれてすぐ、緊急手術を受けたよ。
左腕は……もう、戻らないって。だけど──命は、なんとか助かった」
「……そうか」
凪人は拳を強く握った。
あの場で、誰より前に出て、命を懸けて戦っていた背中を思い出す。
「右腕だけでも、動いて本当に……あのとき、あの一撃がなかったら……」
春日は、遠くを見るような目で呟いた。
「志村さんも、音無さんも、今は集中治療室にいる。命は助かったけど、しばらく動けそうにないって。
水野さんは……怪我は軽くて、今も手伝ってくれてるよ。君の手当てとか、ずっと気にしてた」
「……そうか」
凪人の胸の奥に、ずしりと重たい何かが沈む。
全員が、生きていた。
けれど、それはギリギリの代償の上にある“勝利”だった。
「春日」
凪人はベッドに腰をかけながら、ふと視線を向けた。
「……お前がいたから、俺はここにいられる。あのとき……お前が止めてくれなきゃ、きっと俺、あそこで終わってた」
春日は驚いたように目を丸くし、それから、照れくさそうに笑った。
「そ、それは……僕こそ、君が助けてくれたから──命があるんだし」
「……これからも、頼りにしてる。よろしくな、春日」
「う、うん……! 僕も、よろしく!」
少しだけ沈黙が流れてから、春日は立ち上がった。
「じゃあ……僕は、今日退院なんだ。リハビリもあるけど、とりあえず一段落ってことで……先に戻るね!」
そう言って、春日は軽く手を振って、病室を後にした。
ドアが閉まると、部屋の空気がふたたび静かになる。
ふと、思い出した。
「なぁ、オリス」
脳内に意識を向ける。すぐに、あの無機質で穏やかな“声”が返ってくる。
『……どうかしましたか?』
「前に春日と2人で行ったダンジョン……あのときも、敵の体内に“チップ”のようなものが見えたよな」
『はい。記録にあります。構造的には、外部制御に応答する簡易型の魔導装置でした』
「……で、今回の《グラヴ=ノスフェイル》にも、同じようなチップがあった。再生中、一瞬だけ──体の内部で、金属光が見えた」
そこで言葉を止める。息を整えながら、意識を深く沈めるように問いかけた。
「……あれは、同じ“もの”なのか?」
短い沈黙。
そして、オリスの声が、わずかに低くなった気がした。
『……類似性は高いものの、構造は異なります。ですが──“意図された設計”であることに、変わりはありません』
その答えに、俺は目を細める。
「つまり……」
『どちらの個体にも、人為的な“介入”があったということです』
窓の外に目をやる。青く澄んだ空が、やけに遠く感じられた。
(人為的に作られた、異形の個体……)
(じゃあ、あれらを“作った存在”が……この世界のどこかに──)
翌日。Fクラスの3人──玲奈、カズキ、ゆうまが病室に現れた。
扉がゆっくり開いて、真っ先に駆け込んできたのは玲奈だった。
「……凪人くん!!」
その後ろから、ゆうまとカズキも続いて入ってくる。
「よかった……生きてたんだ……!」
「お、おいおい……ちゃんと目開いてんじゃん! マジで心配したんだからな!」
玲奈の目は少し赤く、今にも泣きそうだった。
ゆうまはぎこちなく笑いながらも、病室の空気を和ませようとしている。
「体……痛むとこ、ない? ほんとに、大丈夫なの……?」
凪人は、少し驚いたように三人の顔を見て──ゆっくりと、微笑んだ。
「……ああ。なんとか、な」
それを聞いて、玲奈は胸に手を当てて安心したように息を吐く。
「……よかった……ほんとに……」
カズキが腕を組みながら笑う。
「にしても、さすが凪人って感じだな。どんだけヤバい敵相手だったんだよ、お前……」
その瞬間、ゆうまが思い出したようにデバイスを取り出す。
「そうだ! てか、今ぜんぶお前の話題なんだよ!! SNSもニュースも、テレビもさ!」
「“超新星・綾瀬凪人、赤点滅ダンジョン攻略”って、めっちゃ出てるよ!」
「なんかすっげぇ映像も流れてたぞ! 黒い刃がぐるぐるって回って敵ズバン! みたいなやつ!」
「もう、“伝説の新人”とか“新世代の英雄”とか……すごいことになってるよ、凪人!」
騒ぎながら囲まれて、凪人は少し戸惑い気味に首をかいた。
「いや……俺が倒したわけじゃないし。堂島さんが最後、トドメを刺したんだ。俺1人じゃ……なにもできなかったよ」
その言葉に、一瞬だけ空気が静かになる。
でも、玲奈が優しく笑った。
「でもね、あなたがあの場にいたから、みんなが生きて帰れたんだよ」
「それにさ……これはもう確実だよ。冒険者ランキング、絶対入ってくるって! 次の更新、楽しみにしてる!」
三人の明るさが、どこか眩しかった。
なのに。
俺の胸には、どうしても引っかかるものが残っていた。
(……なんで、こんなにもニュースになってるんだ?)
俺はあのダンジョンの中で、誰かに取材されたわけでも、カメラで撮られたわけでもない。
戦って、ただ、必死で──
(……まるで“あそこ”に……誰か、いたみたいじゃないか)




