第20話 異常個体
─ゲートを通り、探索開始からすでに三十分が経過していた。
通路は石造りで、ところどころにヒビが走っている。
苔むした壁。点滅する照明。空気は冷たく、時折、何かが這うような音が奥から響いてくる。
「……静かすぎるな」
凪人が呟くと、隣の春日も頷いた。
「うん。通常なら、小型モンスターがちらほら出るはずなんだけど……反応が薄いんだよね。レーダーにも引っかからない」
『……距離、およそ三十メートル。反応は静止中。』
Orisの無機質な声が頭に届いた。
「……静止?」
春日が小声で問いかける。
「動いてないってことか?」
「いや、わからない。――何か、待ち伏せしてるようにも思える」
凪人は視線を前方に向けたまま、ゆっくりと息を吐く。
(空気が変わった……この感覚、ただのモンスターじゃない)
春日は額に汗を浮かべながらも、端末に指を滑らせる。
「僕の《スタティック・バインド》……すぐ展開できるようにしておくね」
「頼んだ。俺が前に出る。発動は俺の合図を待って」
「……わかった」
ふたりが踏み出すと、空間に微かな揺らぎが走った。
直後――
「っ!」
――ズズッ……ガァアアアッ!!
通路の奥、闇の中から現れたのは、異様な形をした“獣型”の個体だった。
骨と金属が融合したようなその体躯。
皮膚は破れ、剥き出しの筋肉に紫色の光が脈打っている。
左右非対称の四肢、そして人間のように赤く光る瞳――
(……明らかにおかしい)
「こいつ……本当に、モンスターか?」
呟く凪人の前で、異常個体が咆哮を上げて突進してきた。
「春日、今だッ!」
「うんっ――!」
シュウウウウッ――!
春日の周囲に淡い光のリングが展開される。
そこから生まれた薄紫色のフィールドが、敵の動きを包み込む。
《スタティック・バインド》──動作遅延領域。
敵の脚がもつれたように鈍り、凪人の前で動きがわずかに止まった。
(今だ――!)
凪人が一気に距離を詰める。
足元の岩を蹴り、加速。敵の右側に回り込むように身をひねりながら、拳を突き出した。
──ズドッ!!
正確に、関節の隙間を狙った一撃がヒットする。
金属音と骨の軋みが同時に響いた。
「ぐ……!」
だが、異常個体は一瞬ひるんだだけで、再び雄叫びを上げて暴れ出した。
バインド効果が破られるのに、時間はかからなかった。
「クソ……再生が速い……!」
肉が再結合し、砕けた腕が元通りになっていく。
「凪人くん、離れて!もう一度展開する!」
「――まだだ、こっちから仕留める」
凪人は深く息を吸い、スキルを構える。
(Oris、次の動き……)
『敵個体、次行動:左下から跳躍→上段打撃。回避角度、右後方五度――』
その声に反応し、凪人の体がわずかにズレる。
ドッ!! ギィン!
敵の重い打撃が空を切り、壁を砕いた。
春日が驚きに息を呑む中、凪人は流れるように背後へ回り込む。
「……これで、終わりにする」
右手の銃に魔力が集中する。
青白い光が銃身を走り、Orisの声が静かに響いた。
『──スキル展開、《ライン・ブレイク》』
凪人は呼吸を止め、わずかに膝を沈める。
「貫け──」
──ドンッ!
光を纏った一撃が放たれた瞬間、周囲の空気が震えた。
銃口から撃ち出された魔力弾が、一直線に敵の頭部を貫通する。
敵の体が硬直し、背後の岩壁ごと爆ぜた。
「……!」
春日が目を見開く。数秒後、異常個体は地に崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。
──それは、圧倒的な一撃だった。
「……すご……」
春日が、呆然としたように呟いた。
凪人は銃を下ろしながら、まだ警戒を解かない。
「まだだ……何か残ってる気がする」
ゆっくりと敵の亡骸へと歩み寄る。
頭部の装甲が砕け、内部の組織が露出していた。
その中で、異様な“光”が目に留まる。
「……これ……」
割れた骨格の奥、脳に近い位置──
そこに埋め込まれていたのは、鈍く光るマイクロチップのような構造体だった。
金属光沢のプレート。魔術回路のようにも見えるが、明らかに“工業的すぎる”。
凪人は無言でOrisに問いかける。
(Oris、これは……?)
Orisはすぐには返答しなかった。数秒の静寂。
『……構造情報、未登録。異常個体内における人工物の混入、想定外。』
(……本当に知らないのか?)
チップに触れる指先が微かに震えた。
まるで、そこに人の意志が込められているような、そんな嫌な感覚がした。
春日が背後から顔を覗き込む。
「えっ……それ、なに……?」
凪人は小さく息を吐き、答える。
「分からない。でも……少なくとも、これで分かった」
「分かった?」
「──こいつは、“自然に生まれた敵”じゃない」
──銀鷹連本部、報告ルーム。
任務を終えて帰還した凪人と春日は、ギルド内の報告端末に情報を入力していた。
春日はまだ息が整わない様子で水を飲みながら、凪人の横顔をちらりと見る。
「……あのチップ、やっぱり気になる?」
「……ああ」
凪人は短く返しながら、デバイスを操作する。
「敵の構造データは送った。でも、こっちの“あれ”は……まだ提出していない」
春日は戸惑ったように眉をひそめる。
「え、それって……いいの?」
「今はまだ判断できない。俺の勘だけど──あれは、普通のギルドには“見せるべきじゃない”気がした」
「……そんなに?」
「少なくとも、“自然発生した魔物”の体内にあるもんじゃなかった。あれは人の手が加わってる」
春日が押し黙る。
その言葉の重みが、静かに部屋を支配した。
ドアが開き、三枝が入ってくる。
「おー、おつかれ! 初任務、無事だったって聞いて安心したよ」
「まあ、なんとかな」
凪人が立ち上がると、三枝は笑みを崩さずにデバイスを覗き込む。
「へぇ、異常個体と遭遇して討伐まで行ったのか。なかなかやるじゃん。報告データはちゃんと提出してある?」
「敵の反応記録と戦闘ログは送った。戦闘映像も含めて」
「助かる。こっちで精査してエンジェルにも報告上げとくよ」
「……エンジェルにも?」
「うん? ああ、ほら。異常個体の出現記録って、中枢の観測ラインにも転送される決まりなんだよね。まあ、深く気にしなくていいよー」
凪人はその言葉に、わずかに視線を逸らした。
(……あれも“観測”されるのか)
「それじゃ、今日はもう休んでいいよ。明日は自由時間だから」
三枝がそう言って去ったあと、部屋に残ったのは凪人と春日だけだった。
「……ねえ、凪人くん。ほんとに、今日はありがとう」
「礼を言うのはこっちだ。お前のスキルがなかったら、今頃俺がやられてた」
春日は照れくさそうに笑ったあと、ふと視線を落とす。
「……でも、やっぱり、怖かった」
「そりゃ普通だ。あんなのが“普通の任務”って言われたら、たまったもんじゃない」
「うん……。でも、最後に一緒に戦えて、ちょっとだけ自信ついたかも」
凪人は小さく頷いた。
「今日のこと、忘れんなよ。ちゃんと、お前の価値は証明された」
春日は目を見開いたあと、少しだけ涙ぐんで、静かに頭を下げた。
「……ありがとう」
──その夜。凪人は、自室のベッドに腰を下ろし、ゆっくりと目を閉じた。
瞼の裏に、あのマイクロチップが浮かぶ。
不自然な光。奇妙な回路。Orisの“曖昧な返答”。
(Oris……あれ、本当にお前も知らなかったのか?)
Orisは沈黙したまま、何も答えなかった。
『──ログ、保存完了。進化因子:適応変化観測中。』
頭の奥に響いたのは、無機質で、どこか“冷たい”声だった。
(……なんだ、この感じ)
まるで、見えない誰かに“ずっと見られている”ような感覚。
それは、初めてOrisと接続したときにも似ていた。
凪人は拳を握る。
(あれが、“ただの敵”なわけがない)
(この世界には──何か、おかしい)
部屋の明かりが消え、静寂が満ちる。
闇の中、誰にも聞こえない場所で、またひとつ、歯車が音を立てて回り始めていた。




