第21話 疑問
─銀鷹連・休憩スペース。
凪人と春日奏汰は、ギルド本部の中にあるラウンジの片隅で、並んで座っていた。
壁際には、光を帯びた自販ユニットが静かに稼働している。
春日が手にしているのは、温調式のボトル飲料──「バランスコーヒー」とラベルに表示された、人工調整飲料だ。
「……あの異常個体、強かったな。でも……あんな一撃で倒すなんてさ」
春日が一口飲みながら、ぽつりと感想を漏らす。
「たまたまさ」
凪人は自分のボトルを開けながら、乾いた声で答えた。
「《ライン・ブレイク》が綺麗に通っただけ。タイミングが良かったんだと思う」
「でも、それってちゃんと“狙ってた”ってことでしょ? 普通ああいう場面で焦るって……僕だったら、多分あそこで固まってたかも」
春日は感心したように笑うが、凪人は返さなかった。
缶の縁──いや、人工合成素材の飲み口を指先でなぞりながら、ふと、心の奥に言葉が引っかかる。
(……たまたま、か)
(そうやって言い聞かせてるのは、きっと俺自身なんだろうな)
「あ、でもさ──」
春日が話題を変えるように口を開いた。
「ギルドの評価システム、やっぱちょっと厳しいよね」
「……ああ?」
「僕さ、今回けっこうスキル使ってがんばったつもりだったけど……戦闘ログ、ほとんど“補助行動:参考”で片づけられてた」
苦笑しながら春日は端末の画面を見せる。
そこには、“戦闘参加:確認済/討伐貢献度:保留”の文字が表示されていた。
「支援系って、どうしても“倒したかどうか”で評価されにくいんだよね。止めただけじゃ、数字にならないってさ」
「……ふざけてるな」
「え?」
凪人の声色に、春日が驚いて振り向く。
「お前が止めてくれなかったら、俺は《ライン・ブレイク》を撃つ余裕なんてなかった。
それが“参考扱い”? そんなの、納得できるかよ」
言い終えたあと、凪人は少し口を噤んだ。
言葉にしたことで、よりはっきり感じるようになった。
(俺たちは……“評価”されるために戦ってるのか?)
(エンジェルの基準が、正しいって誰が決めた?)
春日は少し困ったように笑った。
「でも、それが今のギルドの仕組みだからさ。あんまり逆らえないんだよ、きっと。
俺はせめて“迷惑はかけない”ようにって思ってるだけで……」
「……違うと思うけどな」
凪人は、淡く光る天井を見上げながら呟いた。
「お前がいなかったら、俺も死んでた。
それを“数字にできないから無意味”って言うなら──この世界、やっぱおかしいよ」
春日は目を伏せ、言葉を返さなかった。
──ふ、とポケットの端末が震える。
凪人が取り出すと、Orisからのシステム通知が表示されていた。
【戦闘記録、同期完了】
【適応率:18.4%に上昇】
【分類:小規模進化】
【進化因子の応答反応を確認──継続観測中】
目の前で流れる文字。
(また“進化”かよ)
“観測”“分類”“応答”──まるで、
自分の人格や感情が“実験素材”として記録されていくような違和感。
凪人は、端末をそっと伏せた。
「悪い。今日は、もう帰るわ」
「うん、わかった。僕もそろそろ休むよ。……気をつけてね」
小さく手を振る春日に背を向けて、凪人は静かにラウンジを後にした。
──どこか、世界の音が遠のいているような気がした。
──都市の夜。
凪人は無言のまま、ギルドからの帰路を歩いていた。
空にはホログラム広告が浮かび、整備された街路には、AI案内が流れる静かな音声が重なっている。
『市民の皆さまへ──今日も安全な一日をお過ごしいただき、ありがとうございます』
『冒険者ランキングの最新更新は23時を予定しております──』
「……安全な一日、ね」
凪人はポツリと呟いた。
誰もが当たり前のように享受している“管理された安心”。
けれど、それが本当に“自由”と引き換えではないのか──そんな思いが、胸を重くする。
(春日の評価が残らない。支援しても“数字”にされない)
(Orisは、俺の感情や判断すら“進化因子”として記録していた)
(……何かが、おかしい)
ビルの谷間に吹く風が、ひときわ冷たく感じた。
──帰宅。
凪人の部屋。人工照明の明かりだけが、無機質に照らす空間。
制服を脱ぎ、ベッドに身を投げる。
天井を見つめながら、静かに端末を起動する。
画面に浮かぶ、青白い文字。
『Oris:接続確認。観測を再開します』
「……ひとつ、聞きたい」
声を出すと、室内にOrisの返答が響いた。
『どうぞ』
「あの異常個体にあった“チップ”──お前は知らなかったのか?」
『該当構造体に関する情報は、登録されていません。判断:保留。』
凪人の眉がわずかに動く。
「お前、なんでも知ってるんじゃなかったのかよ。
俺を“観測”してるくせに、あんな目の前の物体すら解析できないって……」
『Orisは、観測と解析を通じて進化します。
あなたの経験は、Orisにとっても学習因子となります』
「……つまり、“今まで知らなかった”ってことか」
返ってくる言葉は、あくまで論理的。冷たい。
けれど──それが一層、違和感を際立たせていた。
「……なあOris、俺の感情ってさ。お前にとって何なんだ?」
『解析対象です。記録、観測、分類──すべて、あなたの進化因子として処理されます』
「じゃあ……怒りも、悔しさも、不安も、全部“データ”扱いってことか」
『感情は適応の起点となります。Orisは、それを否定しません』
「……はぐらかすなよ」
凪人は、画面を見つめながら呟いた。
「俺は、人間だ。
誰かの都合で分類される“素材”じゃない」
画面は何も言わない。
まるで、聞き流すかのように──沈黙だけが返ってきた。
「……もういい」
そう言って、凪人は端末の電源を切った。
その瞬間、室内に静寂が落ちる。
壁際のAI音声も消え、ただ、風の通る音だけが聞こえていた。
……だが、知らぬ間に。
部屋の外の“どこか”で、別のシステムが静かに起動していた。
──ログサーバー・アクセス開始
──対象:綾瀬凪人
──情動データ:怒り/困惑/微弱な不信
──分類:進化過程における精神的裂隙
【観測対象への干渉は現在許可されていません】
【ただし、継続観測を強化中】
── Orisは、まだ黙っていた。
だがその“観測の目”は、
確かに凪人の揺らぎを捉えていた。
─翌朝、通学路。
早朝の光が差し込む坂道を、凪人はゆっくりと歩いていた。
制服の襟元に朝の風が吹き込み、どこか懐かしい匂いが鼻をくすぐる。
けれど、胸の奥に漂うのは、懐かしさではなかった。
(……ずいぶん久しぶりに来た気がする)
ギルドで過ごす時間に慣れはじめていた自分と、
こうして学校へ向かう自分との“距離”。
同じ時間に目覚め、同じ制服を着て、同じ道を歩いているはずなのに──
今この世界が、ほんの少しだけ“偽物”に見えた。
(……いや、違うな。俺が、変わったんだ)
校門を抜け、靴を履き替え、教室へ向かう。
廊下を歩く音、隣のクラスから漏れる笑い声、チャイムの音。
どれもが確かに“日常”のはずなのに──
少しだけ、遠い。
ガラリ、と教室のドアを開けると、最初に気づいたのは、元気な声だった。
「おーっす! 凪人! なんか久しぶりだな!」
手を振ってきたのは、陽気な男子──ゆうま。
彼の隣には、いつも通りの真壁カズキが座っていて、
その後ろで控えめに微笑むのは、玲奈。
「お、おはよう……凪人くん」
玲奈が少し恥ずかしそうに声をかけてくる。
凪人は少し間を置いてから、静かに笑みを返した。
「おはよう」
「ってかさ、お前最近ギルド入ったんだろ? どうだったよ?」
と、カズキが身を乗り出す。
「まあ……いろいろあったよ」
「お、意味深〜! いいじゃん、経験値貯めてんじゃん」
ゆうまがニカッと笑い、玲奈はホッとしたように表情を緩めた。
ああ──この空気だ。
“何も起きていない”日常の匂い。
戦いも、ランキングも、進化も、誰も知らない場所。
(……なのに、俺だけが、あっち側を知ってしまった)
ほんの数日前までは、ここにいた。
彼らと一緒に、同じ景色を見ていた。
だけど今は──
(この世界も、いずれ影に飲まれるかもしれない)
そのときになって、彼らを守れる自分でいたいと──
今、初めて本気で思った。
チャイムが鳴る。
始業の音が、朝の空気を割って響く。
凪人はゆっくりと席についた。
(……俺はもう、戻れない)
でも、それでいい。
そう思えるくらいには、もう“引き返せない場所”にいる。




