第十九話
翌日、処は変わって宿。時刻は昼だ。昨日しっかりと言い付け通りに自主訓練に励んでいたクレアはと言うと、部分的にであれば細胞強化を発動するまでに成長を遂げていた。
まだ全身にまで発動することは難しそうではあったが、部分的にでも出来るようにさえなってしまえば後は慣れの問題。サボらずに続ければ近い内には完成するだろう。それに、『部位細胞強化』が出来たのであれば身体強化の重ね掛けで飛躍的に戦闘力は強化が見込める。
「今日は言った通り、魔導書を使って実戦訓練に移行します。さらに条件を付けますが、出来る限り細胞強化を使うこと。無理だと感じた場合、自己判断で身体強化に切り替えて結構です」
「む、わかった。……ヴァン、そのキャラはなんだ?」
「……教師っぽくやろうと思ってみた。けど辞める」
クレアに指摘されていまい、恥ずかしそうに頬を掻く。やってみた結果は言うまでもないようだ。
「じゃあ始めるか。――『開け』、『異空間』」
ヴァンが魔導書を発現する。普段からよく使用している何でも入れることが可能で、取り出す際は念じてしまえば出てくるという異次元に存在する便利な鞄。彼からプレゼントされた左手人差し指に嵌めている指輪にも同様の魔術式が組み込まれているため、クレアも頻繁に使用しているものだ。
それとは別に初めて発現した現象はなんだろうか。
彼の右側へいつもより大きな真っ黒な裂け目が音もなく現れる。二メートルはあるだろう。人が入れる程の大きさだ。
「うし、じゃあ入って」
「まさか……この中に……?」
「特別訓練室ってやつかな、っと」
ヴァンは抵抗なく裂け目へと飛び込み、姿が消える。クレアは頬をピクピクと引き攣らせながら、恐る恐るといった挙動で裂け目に触れてみる。
すると、違和感などはなく、すんなりと入ることが出来そうであった。意を決して飛び込む。
「えー……」
「あれ、不満だった?」
唖然とするクレアに尋ねる。二人の目の前には広大な草原が延々と広がっており、所々背の高い木々が生えている。頭上には燦燦と輝く太陽が存在していて、時折吹き抜ける風は非常に心地良く、気温も暑すぎない程度の適温だ。
ふと奥を見渡すと狼型の動物か魔物かわからないが、仲良く群れでかけっこをしている所まで発見してしまった。
「完全に現実世界じゃないか……」
「ちょっと夜なべして張り切っちゃった。時間軸までは創造の仕方がよくわかんなくて普段通りだから現実世界と一緒に日が沈むし、それ以外でもし気に食わないなら設定変えられるよ? 気温も天気も何でも来い!」
「いや、これで大丈夫だ」
はあ、と盛大な溜め息を吐き、気を取り直す。ヴァンと居る限り想定外のことは驚くだけ無駄だと割り切り、一旦身体を伸ばした。
「この空間をフル活用して残り二週間、実戦だらけの訓練開始な」
「ヴァンはその間、何をしてるつもりなんだ?」
「魔導書の実験とかクリムの謎解明とかかな。あとは良い感じに仕上がったら俺もクレアの相手するし」
「む、それは楽しみだ」
余程実践が待ち遠しかったのだろうか、クレアの瞳が爛々と輝きに満ちている。
「じゃあまずは……コイツだな」
ヴァンが言うと同時に、クレアの前方へ紫光が集まる。それはみるみる大きさを増していき、『何か』を形作る。
シルエットから想像するに十メートル程の巨躯。
さらに光が収束すると、現れたのは四足歩行で一本一本の脚は筋骨隆々。大きな翼を持ち、長く太い尻尾。凶悪な顔付きに獰猛そうな双眸がまるで『本物』のように鮮明に形作られる。灰色の鱗は見るからに重厚で、生半可な刃では傷一つ付かないことが想像できる。
「……ヴァン。コイツはなんだ?」
「え、ちょっと改造したファフニール。龍族だし強いから気をつけてね? あ、魔法も使っちゃって良いから!」
「倒したあとはどうすれば良い?」
「自動で魔物のオンパレードですね」
クレアは今にも襲いかかってきそうなプレッシャーを体でひしひしと感じ、緋色の瞳をスッと細め、腰に差している黄金の剣を抜き放つ。
自身の全身に薄く張っていた身体強化を全力で発動。身に纏う白銀の鎧が太陽光を反射し、きらきらと輝く。
――その時だ。
ヴァンが離れると、大地が揺れたのかと錯覚する程の雄叫びを挙げ、その巨躯に偽りない膂力でクレアに肉薄する。ぞくりと背中に戦慄が走った。
凶悪な鋭い前足の爪が振り下ろされる。それをサイドステップで躱し、すれ違いざまに振り下ろされた前足を斬り上げる。しかし、ファフニールの異常な反射神経によって、バックステップで回避されてしまった。
回避した状態から間髪入れず、大きな翼で空に浮かび上がる。
「――強い」
知らず知らずの内、時間にするとたかだか数秒の間に相手の実力がわかった。
「厄介な……。『転移』」
無属性上級魔法である転移を使い、滞空するファフニールの背後へ飛ぶ。飛んだ瞬間に右翼を全力で斬りつけるが、翼の中程まで食い込んだだけで両断できなかった。
唸るファフニールは無理矢理に巨躯を翻し、大きく息を吸い込んだ。
「――『転移』!」
刹那。クレアへ向き直ると、焼き尽くさんとばかりに大きな口から灼熱の炎が噴き出した。ギリギリ所を転移で回避する。少し遅れていれば炭と化していた程の熱量。
噴き出した灼熱に手応えがないことに気付くと、傷付いた右翼を庇うように地面へ降り立つ。
次の瞬間。息付く間もなく凄まじい勢いで突撃に転じ、クレアは必死に身体を捻って避ける。
何度も自身の猛攻を避けるクレアに対し憎悪に満ちた視線を向けるファフニール。
「心許ないが……」
未だ全身に発動することが出来ない『細胞強化』を出来うる限り緻密に右腕へ発動。明らかに今までとは違う腕の軽さを感じる。
さらに身体強化を両足だけの部分強化へ変更し、速度の底上げを図る。剣の柄をギュッと握り直すと、勢い良く駆け出した。
その突撃はまさに閃光。然しものファフニールも、急激に素早くなったクレアの動きに反応が遅れ、回避のために巨躯を動かそうとするが時既に遅し。
クレアは巨躯の一歩手前で思い切り踏み込むと、大きくジャンプする。そのまま重力に従い、右腕に発動した細胞強化を維持したまま、太い首を両断するように振り下ろした。
金属が噛み合うような耳障りな音が響き、激しい血飛沫が上がる。
「これが『細胞強化』なのか」
クレアが見下ろす場所には、今までの剣戟がほぼ効かなかったファフニールの亡骸。
細胞強化を発動した右腕の膂力は、全力の部分強化とは比較にすらならず、金属並みの硬度を保つ重厚な鱗を貫き、まさに一刀両断。
「どうだった?」
事切れたファフニールが紫光の粒子となり、姿を消し始めると同時にヴァンが駆け寄り、尋ねる。
「右腕だけでも細胞強化が出来ていなかったら死んでたぞ?」
「でも怪我すらしてないな。クレアの力に拮抗するくらいで創造したのに」
むう、見誤ったか、とヴァンが唸る。
「よし、じゃあ次行こう」
クレアの疲れなど露知らず、本気で倒れるまで実戦させる魂胆だった。




