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第7話 帳面


街からの旧街道を一人の旅人が歩く。


「十里目、と。

 あれが山神村だな」


街道の幅、一里塚の形、

川の流れ、山の稜線。


手早く何かを書き込む。


「ふむ」

満足そうに頷いた。


背中には大きなリュック。


爪はインクで黒くなっている。


酒焼けした赤鼻の男だった。


村への入口は一本の木橋。


傍らには苔むし、

丸くなった境界碑が立っている。


「こっからが村、ってことかね。

 変わった風習だぁ」


赤鼻の歩調に合わせて、

橋がギシギシと鳴いた。


橋を渡り切ると男は足を止めた。

また帳面にペンを滑らせる。


「さて、どんな村かなぁ」


旧街道は村を走り、

山へ向かっている。


赤鼻はそれに沿って

歩幅を小さくして歩く。


雨が乾いた土の匂いがした。


家の煙突からは

ところどころ煙が漂っている。


畑ではおばちゃんたちが

野良仕事をしている。


赤鼻は村人と目が合えば

笑顔で手を振る。


村人達も笑顔を返す。


「人懐こいねえ」


その横を子供達が

棒を振り回しながら駆けていった。


「日も高いが、

 今夜の寝床の確保だね」


赤鼻は、

鼻歌混じりに歩く老人に尋ねる。


「もし、村に泊まれるところはありませんかね」


老人は野菜籠をおろす。


赤鼻を一瞥すると笑顔を向けてくれた。


「お仕事かね。

 この先に行くと、

 山神の宿ってのがあるよ」


「あと、若衆頭のダンってのに

 顔見せておくといいぞ」


「ダンさんね。助かりました」


返事を聞くと、

老人は籠を背負い去っていった。


赤鼻はリュックを背負い直す。


村の外れまでくると、

大きな建物が見えてきた。


ツギハギの増築跡。


高く積まれた薪。


二本の煙突。


そして、

年季の入った看板が見えた。


「山神の宿、ここだね」


玄関前では

娘が花に水やりをしている。


まだ幼さが残る。


「いらっしゃい。旅人さん?」


「ええ。

 今夜は部屋空いてるかね?」


パッ、娘の顔が明るくなった。


「はい、いつでも!」


パタパタと娘は玄関をくぐっていく。


「オルガさーん!

 お客さーん!」


赤鼻はなぜかバツが悪く苦笑した。


すり減った石階段を上がり

玄関をくぐる。


「ごゆっくり」


娘はジョウロをもって

横を過ぎていった。


食堂の奥から中年の女が出てきた。


エプロンで手を拭いている。


細い指にあかぎれや火傷の跡。


「いらっしゃい」


「一晩お願いできるかな」


「おかけなさいな。

 湯を持ってくるね」


女は厨房へと下がった。


赤鼻はリュックを降ろし、

首をぽきぽきと鳴らした。


「はいよ。

 宿帳は書けるかい?」


テーブルに湯の入ったカップと

宿帳が置かれた。


「うん、書くのが仕事だから」


インクで黒くなった指を踊らせて見せた。


赤鼻は湯をすする。


ほんのりと

ハチミツの香りと甘みがあった。


ぺらり、

と宿帳をめくる。


「前のお客は、イワノヤマさん?」


「まだウチにいるよ。

 村で見たら一発でわかるよ」


ぺらり、ぺらり。


「その前は……。

 随分、日が飛ぶねえ……」


「戦も終わるんだろ?

 街で宣伝しておくれよ」


ハチミツが香る湯をすする。


「湯も美味いけど、

 蜂蜜酒が欲しくなるね」


「夜には飲むんだろ?」


「もちろんさね」


赤鼻は自分の赤ら顔を指さす。

二人揃って笑った。


赤鼻が飲み終えたカップを置く。


「顔役さんに挨拶したいんだけど。

 ダンさんだっけ」


「今は山の坑道にいるね。

 夕まで待つかい?」


「ほう、坑道。

 そいつは見たいな」


それを聞くと女は

木板に炭片で地図を書いてみせた。


旧街道を上がって、

森の中の一個目の丁字路を左。


目印のケルンあり。


「こんなんで解るかね?」


「充分。これでも本職だよ」


赤鼻は小さめのカバンに持ち替え、

旧街道を山に向かった。


真新しい轍が道に出来ている。


森の丁字路に差し掛かると、

視界の端に何かが映った。


丸太が草むらの上を滑っている。


「んん?」


山のような大男が

一抱えはある丸太を担いでいる。


大男は、

赤鼻にぶつからぬよう道を譲る。


軽く頭を下げると、

村にノシノシと歩いていった。


「ありゃ確かに見たら一発だ。

 たまげた」


丁字路を曲がり、

轍に沿って進む。


杭や釘を打つ音、

荷車の音がする。


男達の威勢のよい声も聞こえる。


間もなく視界が開け坑道が見えた。


坑道前の選鉱場では、

坑夫に混じり、

女性や少年も往来していた。


「もし、旅のもんだ。

 ダンさんに会いたいのだが」


若い衆は赤鼻を一瞥し、

ダンを呼ぶ声を張り上げる。


先程の大男とはまた違う太さのある男が歩み寄ってきた。


分厚い爪と日に焼けた顔。

少し白髪が混ざる。


「若衆頭のダンだ。仕事かね」


「ええ。地図を直しててな。

 邪魔してすまんね。」


いいさ、

と言ってダンは赤鼻の隣に並び、

坑道を見る。


「岩塩かね。

 川の水が汚れてなかった」


「ああ。やっとだ」


男達が荷車を引いていく。


赤鼻は帳面に岩塩坑あり、

と追記する。


聞けば大猪が出て、

危うく閉山しかけたと言う。


「すごかったぜ。

 で、その後だね。

 すぐそこで岩清水まで出た」


赤鼻はダンに案内され、

選鉱場の隅へ向かった。


岩壁からの染み出しが、

小さな水たまりを湛えていた。


脇には木組みの祠。


そして大人の腕ほどもある牙。


「ダンさんや。

 大猪って……」


ダンがニヤリと笑う。


「デカいだろ?

 岩ノ山がやった」


赤鼻は森で見た大男を思う。


「たまげた……。

 ほんっとに」


改めて赤鼻とダンは

選鉱場をみる。


「賑やかだね」


「そうだな……。

 だが、あと三十人、ほしいな」


カーン、カーンと

玄翁の小気味の良い音がしみる。


赤鼻はまた帳面にペンを走らせる。


「あんた、もの書きかい」


「うん。

 地図を直すのが仕事さね。」


新しいページをまた書く。


「是非、街でも

 この村の宣伝してくれよ」


「宿の女将さんにも頼まれたよ」


ダンが頭を掻きながら笑う。


「今晩はこの塩、食えるかねえ」


「ああ。宿に泊まるんだろ。

 なら鱒の塩焼きが食えるさ」


「美味くてたまげるぜ」


「楽しみだね」


赤鼻はジョッキを傾ける素振りをしてみせた。



山にカラスが帰るころ、

赤鼻は宿に戻った。


靴の土を石段で落とし、

食堂へ入る。


チェスを指す老人。


香草を束ねるおばちゃん達。


仕事帰りの男衆。


宿に賑わいが出てきていた。


「おかえりなさい」


花に水をやっていた娘に迎えられ、テーブルに付く。


「早速、エールもらえるかね」


「お夕飯も出しましょうか?」


「いいね。鱒だろう?」


靴紐を緩めていると、

エールが置かれた。


「二杯目は声をかけてくださいね」


そう言われたが、赤鼻はもう一杯目を飲み終えていた。


少女は目を丸くする。


赤鼻は頭を掻きながら

ジョッキを渡した。


赤鼻が腹を擦っていると、

野太い声が玄関からした。


「ただいま」


先程の大男だ。


間近で見るとなんと分厚いことか。


腕と脚は巨木。

首と肩の区別がない。


赤鼻は唾を飲み込んだ。


「岩ノ山さん、おかえり」


「明日、薪割りたのめんかね」


「一局どうじゃ?」


赤鼻は目を丸くして、

村人をみた。


岩ノ山は一言、二言ずつ村人と言葉をかわし宿の奥に消えた。


「……また、たまげてしもうた」


呆けている赤鼻の前に

夕餉ゆうげが運ばれてきた。


「おまちどうさま」


お替りのエールも置かれる。


赤身の鱒の塩焼き。


散らされた香草の緑も良い。


赤鼻は目一杯香りを吸い込む。


鱒の身を口に運ぶと、

バターがとろけた。


「お!」


酒飲みがジョッキを持つのを忘れ、思わず二口目を口に運ぶ。


塩が美味い。


海の塩とは違う、

まろ味があった。


エールを流す。


ため息が漏れた。


「たまげたかい?」


向こうのテーブルから

ダンが声をかけてきた。


赤鼻は頷きながら、

塩を振る素振りをダンに返した。


ダンはジョッキを掲げて

背を向ける。


赤鼻はそれから存分に

塩焼きとエールを堪能した。



山陰から日が顔を出す。


赤鼻は靴紐を脛まで締め直す。


見送りに女将が出てくれた。


「悪いね。

 朝から熊が庭先で踊ってて」


中庭から四股の音が聞こえる。


赤鼻は苦笑を返した。


「今日はどこまで?」


「山の向こう砦までかな。

 そこを見たら街に帰るよ。」


赤鼻はリュックを背負い歩き出す。


「次は、蜂蜜酒を飲みに来たいね」


村人は朝から働き始めている。


赤鼻はそれを見送り旧街道へ出た。


村を振り返る。


帳面とペンを持つ。


「山神村……、」


さらさら。


さらさらさら。


パタリと帳面を閉じる。


じっと村をみる。


煙突からは煙。


「いい村だなあ」


くっ、と

ジョッキを傾ける素振りをする。


そして一人歩いていった。



第一部 山神村編


第8話 に続く

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