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第1話 雪解け、終わる季節


ドドォ……。


遠く、山のどこかで雪崩の音がした。


道端に、萌え出たばかりの小さな緑の葉が一枚、風に震えている。


バレント領の山神村から、グラキア領国境へと向かう橋。


雪解け水を含んだ川が、いつもより一段と激しい音を立てて流れていた。


その岸辺で、木造の仮設橋が、少しずつ石の橋へと姿を変えていく。


カチッ、カチッ、コン。


石工のドワーフたちの玄翁の音。


ガラガラ、と石を積んだ荷車の車輪が軋む。


岩ノ山は額に汗を浮かべ、その喧騒の中にいた。


大きな石を肩に担ぎ、橋脚の傍らへと運んでいく。


ドスン。


石が据えられるたび、地面が小さく揺れた。


「間もなく完成だな」


村長代理のダンが、うれしそうに呟いた。


「山砦の連中がよ。宿舎貸してくれたから捗ったぜ。足場に、石の切り出し。まったく、たっぷり働かせやがって」


ドワーフの親方が、誰へともなく言う。


岩ノ山は袖で汗を拭い、ふと山の方へ目をやった。


眼前にそびえる山々は、まだ白い雪を分厚く纏っている。


だが、鋭く尖った最高峰の頂だけは、黒い土肌を剥き出しにし、薄く湯気を立ち上らせていた。


「山頂だけは雪が積もらん、とヤール婆さまが言ってたな」


岩ノ山のつぶやきに、ダンが頷いた。


「来週には、要石かなめいしをはめられるな」


ドワーフの親方が、二人の間に割り込んでくる。


そして、にやりと笑った。


「誰がいれるんだ? ありゃ、一番の功労者が入れるのが習わしだ」


親方の言葉に、脇で測量糸を片付けていたグレンも手を止め、静かに岩ノ山へ視線を送る。


ダンもまた、岩ノ山を見た。


岩ノ山は太い指で髷をさすり、ゆっくりと首を横に振った。


「……ダンしか、いないだろ」


ダンの目が丸くなる。


岩ノ山は言葉をつづける。


「最初から、村のために動き回っていたのはダンだ。俺は手伝っただけだ」


グレンが、目を細めた。


ダンは何も言わず、しばらく空を見上げていた。


「……要石を入れるまでは、お前が手伝ってくれよ。俺だけじゃ、腰やっちまう」


ダンが岩ノ山の腹をポンと叩く。


「留めの木づちは、お前が打てよ」


グレンがダンに言う。


岩ノ山は、黙って頷いた。



翌週。


川のせせらぎと増水音が交じる橋のたもとは、押し寄せた群衆の熱気に包まれていた。


橋の竣工式に参列したセドウィックの横には、胸甲を磨き上げた近衛兵の一団が整列し、華を添えている。


山砦の常駐兵たちも、槍を携えながらやって来た。


いつの間にか黒熊屋の大きなのぼりが立ち並び、香ばしい肉の焦げる匂いが立ち込めていた。


「美味しいね!」


村の子供たちには串焼きが配られたようで、屋台の周りが賑わっていた。


対岸、グラキア領側には、久しく交流の途絶えていた隣村の人々が、大勢集まっている。


「見覚えのある顔が見えるのう」


ヤール婆がつぶやく。


「はい。あいつら、相変わらず憎らしいツラですよ」


ダンが顔を緩めながら言った。


セドウィックが一歩前へ出て、式典の挨拶のために口を開こうとした、その時。


隣村の人垣が、ざわりと割れた。


山神村の者たちが、怪訝そうに目を細める。


ザッ、ザッ、ザッ。


軍靴の音が、地面を叩きながら近づいてくる。


黒い金属鎧を纏った一団が、隊列を組んで姿を現した。


グラキアの正規軍。


かつて、バレント領とベルグ領の連合軍と長く争った、精強な軍勢。


講和が成ったのは、この冬の終わりのはずだった。


その場の空気が、一瞬で張り詰める。


増水したゴウゴウという川の音だけが、やけに大きく響いた。


軍勢の中から、一人の老兵が歩み出る。


「……遅くなったな」


白髪を短く刈り込んだその顔。


グラキアの将軍だった。


かつて、セドウィックと岩ノ山が、命懸けで送り届けた人物が立っていた。


「私がお呼びしました」


静寂を割って、セドウィックの傍らに立つエイラが静かに頭を下げた。


顔を上げたエイラは、小首をかしげて悪戯っぽく微笑んで見せた。


セドウィックは、堪らず頭を掻いた。


「我らも、華を添えさせて頂きたい」


将軍が、静かに告げる。


グラキア兵が一斉に腰の剣を抜き、胸の前に掲げて敬礼した。


間を置かず、バレントの近衛兵たちも整然と柄に手を当て、敬礼を返す。


「かっこいい!」


子供たちの歓声が口火となり、ワァ!と、喧騒が帰ってきた。


岩ノ山は、その光景を見ながら、頬を緩めた。



「どす、こい!」


岩ノ山の低い掛け声。


ずしり、と要石が据えられる。


すき間なく噛み合わさった石の感触を確かめたドワーフの親方とグレンが頷いた。


ダンが、両手で木づちを高く掲げ。


振り下ろした。


カツゥゥン……!


澄んだ音が、川の谷間に響き渡る。


要石が、ついに橋へと収まった。


ダンが木づちを置き、隣村の人たちをみる。


対岸の隣村の男が、恐る恐る足元を確かめるように石橋の中央へと歩み出た。


橋の真ん中で、ダンと男が向き合った。


「……おまえ、腹が出たな」


「お前だって、白髪が……」


それ以上、言葉は続かなかった。


大の男二人が、互いの肩を掴み合ったまま、その場に崩れ落ちるようにワンワンと声を上げて泣き出した。


周囲からも、ぽつり、ぽつりと、すすり泣きが漏れ始める。


岩ノ山は、その光景をしばらく見つめる。


それから静かに、橋の袂へと戻っていった。



一度渡り初めが済むと、人々は塞き止められていた水のように橋を行き交い始めた。


「橋ってやつはよ。人が渡るほど丈夫になる」


ドワーフの親方が、髭をひねり、胸を張る。


再会を喜び合う人々。


敬礼を交わす兵士たち。


その様子を、セドウィックと岩ノ山は、黙って眺めていた。


少し離れた場所で、エイラとオルガも、並んでそれを見守っている。


「……お邪魔だったかな」


グラキアの将軍が、岩ノ山に声をかけた。


「岩ノ山殿に、これを」


差し出されたのは、革紐で束ねられた羊皮紙の束だった。


「我が領にも、異邦人の伝承が残っておった」


岩ノ山とセドウィックが、顔を見合わせる。


紙をめくる。


書かれている内容の多くは、セドウィックたちが調べたものと似通っていた。


ただ、一節。


「人の願いで呼ばれ、人の願いで立つもの」


その掠れた文字だけが、腹の奥に静かに落ちた。


しばらく、その文字を見つめていた。


やがて、口を開く。


「……セドも、これに当てはまるだろ」


岩ノ山がぽつりと、しれっと口にした。


不思議そうな顔で岩ノ山は、セドウィックたちを見る。


セドウィックは呆気にとられ、隣のエイラと顔を見合わせた。


やがて将軍が低く笑い出し、セドウィックもエイラも、声を上げて大笑いした。



ドドォ……ッ!


不意に、近くで雪崩の音がした。


全員が弾かれたように、音のした最高峰を見上げる。


斜面を、白い雪煙が滑り落ちていくのが見えた。


「……あれ?」


誰かが、ぽつりと呟いた。


「てっぺんの形……あんなだったか?」


皆が、首を傾げる。


「山頂が、丸い」


自分たちが知る山頂と、輪郭が違う。


そして――


ズル……と、確かに動いた。



第五部 山神編

第2話につづく

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