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第6話 便り


バレント領主館の執務室。


机の上には、書類が積まれていた。


流域の水路改修。


清瀬村の木場復旧。


植林の苗木の発注。


新しい住人の名簿。


そして、長年争ったグラキア領との講和条約。


次期領主セドウィックは一枚ずつ目を通し、印を押していく。


コン、コン、コン。


規則正しい音が部屋に響く。

隣領からの行政官、エイラが書類箱を抱えて入ってくる。


窓の外を見る。


「……随分と、色々なことが動きましたね」


石畳を、荷馬車が行き交っている。


以前より、その数は明らかに増えていた。


「そうですね」


セドウィックも窓に目をやり、静かに答える。


それだけ聞くと、エイラは机へ戻った。



書庫の奥。


エイラは古い記録をめくっていた。


山神村の長老、ヤール婆に頼まれた調査だった。


(岩ノ山が、故郷へ帰る道があるなら、示してあげたい)


ヤール婆が、杖に縋りつきながら託した願い。


古い紙には、掠れた文字が残っている。


異邦から来た者。


土地の人々が困り果てた時に現れた者。


人々を助けた者。


ある土地では山神。


別の土地では水神。


書かれていることは、どれも断片的だった。


「……呼び名は、土地によって違うんですね」


「らしいですね」


セドウィックも紙を覗き込む。


エイラの指が、ある一節で止まった。


「――故郷へ還りしと伝わる。帰った者もいるのですね」


「帰った?」


「はい」


「どうやって?」


「そこまでは、分かりません」


二人の間に、沈黙が落ちた。


エイラは紙を見つめる。


「……帰ったことを、残った人たちはどうやって知ったのでしょう」


セドウィックが顔を上げる。


「本人から、何か届いた……とか?」


「……かもしれません」


エイラは古い紙を閉じた。


「もし、そんな方法があったのなら」



数日後。


「風のトーテムの応用です!」


魔術班の若い技師が、机の上に小さな装置を置いた。


木と金属でできた、妙な形の道具。


「本来は二機一組なんですが……」


「これで、遠くと?」


「理論上は!」


若い技師が、額の汗を拭いながら手身振りで説明する。


エイラがセドウィックを見る。


セドウィックも何とも言えない顔をした。


「では、試してみましょう」


セドウィックが装置に手をかざす。


しばらく、何も起こらない。


エイラも技師も黙って見ている。


セドウィックが思い浮かべたのは、雪深い山村。


大きな背中。


差し出された分厚い手。


――ぽう。


小さな水晶が光った。


「……うわ、ほんとに光った」


技師が目を丸くする。


そして、もう一機を見る。


「あれ?」


「どうしました?」


「本来、二機一組なんですが……」


「受信側は?」


「ありません」


「……」


技師が装置を覗き込む。


「おかしいな……」


エイラは光を見つめた。


「今、何を考えていらしたんですか?」


セドウィックは少し考えて、


「岩ノ山さんの故郷に届けたい、と」


と答えた。


エイラも装置を見る。


「……不思議なこともあるものです」



セドウィックが机の引き出しを開けた。


そこから、一枚の絵を取り出す。


山。


宿。


たくさんの人。


その真ん中に、大きな男。


エイラが覗き込んだ。


「それは?」


「山神村の子にもらった絵です」


「……楽しそうですね」


エイラが笑う。


「それに、真ん中の人」


少し間を置いて、


「どう見ても岩ノ山さんですね」


「でしょう」


二人で絵を見る。


エイラが、装置へ視線を戻した。


「……これを送ってみましょう」


「文字より、絵の方が伝わりそうですね」


絵を装置に重ねる。


――ぽう。


先ほどより長く、光が灯った。


やがて消える。


二人とも、しばらく黙っていた。


エイラが小さく息を吐く。


「……きっと、届いた気がします」


「……そうですね」


セドウィックは絵を手に取った。


「そうだ。この一件も報告にしたためましょう」


「はい」


エイラが微笑む。


「岩ノ山さんも、クスッとしてくれるでしょうね」


こうして、絵は手紙に同封された。



吹雪が明けて、数日。


山神村を包んでいた分厚い雲が割れ、透き通った冬の光が差し込んでいた。


宿の食堂。


長机の上に、一通の封書が置かれている。


その周りを、岩ノ山とミリア、リク、ココが静かに囲んでいた。


オルガが封書を手に取った。


「若様からだよ」


蝋の封を切る。


紙を広げる音。


五人の視線が集まった。


オルガが読み始める。


領都の仕事。


清瀬の復旧。


森のこと。


そして――


「グラキアとの講和も、無事に成立したってさ」


「そうか」


岩ノ山が頷いた。


「それから……」


オルガの目が、紙の上で止まる。


「山神さまについて、古い記録が見つかったらしいよ」


岩ノ山は動かない。


「昔にも、異邦から来た人がいたんだって」


「そうか」


「土地によって、山神とか、水神とか……呼び方も色々だったみたいだね」


オルガは、次の行へ目を移した。


「困った土地に現れて、人を助けた者もいたらしい」


薪が、ぱち、と鳴った。


「……それから」


オルガの目が紙面の一箇所で止まった。


「帰ったとされる人も、いたらしいよ」


オルガの手に、わずかに力が入る。


紙がかさり、と鳴った。


岩ノ山は黙っている。


ミリアが目を伏せる。


リクがココを見る。


ココは、オルガの口元をじっと見ていた。


誰も何も言わない。


オルガは続きを読む。


通信の魔法を調べていること。


試作機が不思議な反応を示したこと。


届いたかどうかは分からないこと。


そして――


「絵を送ってみたって」


オルガが封筒の中を探る。


一枚の紙が出てきた。



手紙を読み終える。


しばらく、誰も話さなかった。


ココはオルガのエプロンの端をギュッと握る。


オルガもココの手に掌を添えた。


暖炉の薪が、小さく鳴った。


ココが堪らず口を開いた。


「……帰っちゃうの?」


岩ノ山は、きょとんとした。


「帰る?どこに?」


ココが俯き、絞り出すように声を続ける。


「ここじゃないお家……」


大きな手が、ココの頭に乗る。


ゆっくりと撫でる。


「ここがお家だよ」


低く、太く、暖かい声だった。


ココは岩ノ山に飛びつき、顔を埋める。


「……アンタ。そういうことはもっと早く言いなさいな」


オルガが腕を組み、白んだ目を向ける。


「言ってなかったか?」


「このバカ!」


同封されていた絵が、岩ノ山に投げつけられた。


ミリアも、リクも笑っていた。


岩ノ山は髷をさすりながら、絵を拾う。


ココがくしゃくしゃになった顔を上げ、覗き込む。


「それ、ココが描いた絵だよ……」


山。


宿。


みんな。


真ん中に、大きな自分。


そして、その下。


小さな文字。


岩ノ山の目が、その文字を追った。


一つ。


「……きょう、も」


また一つ。


「……やま、がみ」


ミリアが岩ノ山を見る。


そして最後。


「……たのしかった」


静かな声だった。


誰も何も言わない。


岩ノ山は、絵を見つめていた。


ほんの少しだけ、口元が緩む。


「……きっと、絵は届いたさ」


少し間を置いて、


「だから、もう大丈夫だ」



岩ノ山が立ち上がった。


「ヤール婆さまのところに行ってくる」


「……そっか」


オルガが厨房へ目を向ける。


「ミリアの育てた紫安草のお茶っ葉、持っていっておくれ。腹に良いんだ」


「ああ」


岩ノ山が茶を受け取る。


戸が開く。


雪解けの匂いが、冷たい風に乗って流れ込む。


戸が閉まる。


岩ノ山の足音が、雪を踏みしめながら遠ざかっていった。


宿の中に、また暖炉の音だけが残った。


オルガは机の上に残った絵を見る。


山。


宿。


大きな男。


その周りに、小さな人影がいくつも描かれている。


オルガは、ほんの少しだけ笑った。



第四部 越冬編 了



第五部 山神編

第1話へつづく

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