第6話 便り
◇
バレント領主館の執務室。
机の上には、書類が積まれていた。
流域の水路改修。
清瀬村の木場復旧。
植林の苗木の発注。
新しい住人の名簿。
そして、長年争ったグラキア領との講和条約。
次期領主セドウィックは一枚ずつ目を通し、印を押していく。
コン、コン、コン。
規則正しい音が部屋に響く。
隣領からの行政官、エイラが書類箱を抱えて入ってくる。
窓の外を見る。
「……随分と、色々なことが動きましたね」
石畳を、荷馬車が行き交っている。
以前より、その数は明らかに増えていた。
「そうですね」
セドウィックも窓に目をやり、静かに答える。
それだけ聞くと、エイラは机へ戻った。
◇
書庫の奥。
エイラは古い記録をめくっていた。
山神村の長老、ヤール婆に頼まれた調査だった。
(岩ノ山が、故郷へ帰る道があるなら、示してあげたい)
ヤール婆が、杖に縋りつきながら託した願い。
古い紙には、掠れた文字が残っている。
異邦から来た者。
土地の人々が困り果てた時に現れた者。
人々を助けた者。
ある土地では山神。
別の土地では水神。
書かれていることは、どれも断片的だった。
「……呼び名は、土地によって違うんですね」
「らしいですね」
セドウィックも紙を覗き込む。
エイラの指が、ある一節で止まった。
「――故郷へ還りしと伝わる。帰った者もいるのですね」
「帰った?」
「はい」
「どうやって?」
「そこまでは、分かりません」
二人の間に、沈黙が落ちた。
エイラは紙を見つめる。
「……帰ったことを、残った人たちはどうやって知ったのでしょう」
セドウィックが顔を上げる。
「本人から、何か届いた……とか?」
「……かもしれません」
エイラは古い紙を閉じた。
「もし、そんな方法があったのなら」
◇
数日後。
「風のトーテムの応用です!」
魔術班の若い技師が、机の上に小さな装置を置いた。
木と金属でできた、妙な形の道具。
「本来は二機一組なんですが……」
「これで、遠くと?」
「理論上は!」
若い技師が、額の汗を拭いながら手身振りで説明する。
エイラがセドウィックを見る。
セドウィックも何とも言えない顔をした。
「では、試してみましょう」
セドウィックが装置に手をかざす。
しばらく、何も起こらない。
エイラも技師も黙って見ている。
セドウィックが思い浮かべたのは、雪深い山村。
大きな背中。
差し出された分厚い手。
――ぽう。
小さな水晶が光った。
「……うわ、ほんとに光った」
技師が目を丸くする。
そして、もう一機を見る。
「あれ?」
「どうしました?」
「本来、二機一組なんですが……」
「受信側は?」
「ありません」
「……」
技師が装置を覗き込む。
「おかしいな……」
エイラは光を見つめた。
「今、何を考えていらしたんですか?」
セドウィックは少し考えて、
「岩ノ山さんの故郷に届けたい、と」
と答えた。
エイラも装置を見る。
「……不思議なこともあるものです」
◇
セドウィックが机の引き出しを開けた。
そこから、一枚の絵を取り出す。
山。
宿。
たくさんの人。
その真ん中に、大きな男。
エイラが覗き込んだ。
「それは?」
「山神村の子にもらった絵です」
「……楽しそうですね」
エイラが笑う。
「それに、真ん中の人」
少し間を置いて、
「どう見ても岩ノ山さんですね」
「でしょう」
二人で絵を見る。
エイラが、装置へ視線を戻した。
「……これを送ってみましょう」
「文字より、絵の方が伝わりそうですね」
絵を装置に重ねる。
――ぽう。
先ほどより長く、光が灯った。
やがて消える。
二人とも、しばらく黙っていた。
エイラが小さく息を吐く。
「……きっと、届いた気がします」
「……そうですね」
セドウィックは絵を手に取った。
「そうだ。この一件も報告にしたためましょう」
「はい」
エイラが微笑む。
「岩ノ山さんも、クスッとしてくれるでしょうね」
こうして、絵は手紙に同封された。
◇
吹雪が明けて、数日。
山神村を包んでいた分厚い雲が割れ、透き通った冬の光が差し込んでいた。
宿の食堂。
長机の上に、一通の封書が置かれている。
その周りを、岩ノ山とミリア、リク、ココが静かに囲んでいた。
オルガが封書を手に取った。
「若様からだよ」
蝋の封を切る。
紙を広げる音。
五人の視線が集まった。
オルガが読み始める。
領都の仕事。
清瀬の復旧。
森のこと。
そして――
「グラキアとの講和も、無事に成立したってさ」
「そうか」
岩ノ山が頷いた。
「それから……」
オルガの目が、紙の上で止まる。
「山神さまについて、古い記録が見つかったらしいよ」
岩ノ山は動かない。
「昔にも、異邦から来た人がいたんだって」
「そうか」
「土地によって、山神とか、水神とか……呼び方も色々だったみたいだね」
オルガは、次の行へ目を移した。
「困った土地に現れて、人を助けた者もいたらしい」
薪が、ぱち、と鳴った。
「……それから」
オルガの目が紙面の一箇所で止まった。
「帰ったとされる人も、いたらしいよ」
オルガの手に、わずかに力が入る。
紙がかさり、と鳴った。
岩ノ山は黙っている。
ミリアが目を伏せる。
リクがココを見る。
ココは、オルガの口元をじっと見ていた。
誰も何も言わない。
オルガは続きを読む。
通信の魔法を調べていること。
試作機が不思議な反応を示したこと。
届いたかどうかは分からないこと。
そして――
「絵を送ってみたって」
オルガが封筒の中を探る。
一枚の紙が出てきた。
◇
手紙を読み終える。
しばらく、誰も話さなかった。
ココはオルガのエプロンの端をギュッと握る。
オルガもココの手に掌を添えた。
暖炉の薪が、小さく鳴った。
ココが堪らず口を開いた。
「……帰っちゃうの?」
岩ノ山は、きょとんとした。
「帰る?どこに?」
ココが俯き、絞り出すように声を続ける。
「ここじゃないお家……」
大きな手が、ココの頭に乗る。
ゆっくりと撫でる。
「ここがお家だよ」
低く、太く、暖かい声だった。
ココは岩ノ山に飛びつき、顔を埋める。
「……アンタ。そういうことはもっと早く言いなさいな」
オルガが腕を組み、白んだ目を向ける。
「言ってなかったか?」
「このバカ!」
同封されていた絵が、岩ノ山に投げつけられた。
ミリアも、リクも笑っていた。
岩ノ山は髷をさすりながら、絵を拾う。
ココがくしゃくしゃになった顔を上げ、覗き込む。
「それ、ココが描いた絵だよ……」
山。
宿。
みんな。
真ん中に、大きな自分。
そして、その下。
小さな文字。
岩ノ山の目が、その文字を追った。
一つ。
「……きょう、も」
また一つ。
「……やま、がみ」
ミリアが岩ノ山を見る。
そして最後。
「……たのしかった」
静かな声だった。
誰も何も言わない。
岩ノ山は、絵を見つめていた。
ほんの少しだけ、口元が緩む。
「……きっと、絵は届いたさ」
少し間を置いて、
「だから、もう大丈夫だ」
◇
岩ノ山が立ち上がった。
「ヤール婆さまのところに行ってくる」
「……そっか」
オルガが厨房へ目を向ける。
「ミリアの育てた紫安草のお茶っ葉、持っていっておくれ。腹に良いんだ」
「ああ」
岩ノ山が茶を受け取る。
戸が開く。
雪解けの匂いが、冷たい風に乗って流れ込む。
戸が閉まる。
岩ノ山の足音が、雪を踏みしめながら遠ざかっていった。
宿の中に、また暖炉の音だけが残った。
オルガは机の上に残った絵を見る。
山。
宿。
大きな男。
その周りに、小さな人影がいくつも描かれている。
オルガは、ほんの少しだけ笑った。
◇
第四部 越冬編 了
◇
第五部 山神編
第1話へつづく




