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第4話 家族


小雪がちらつく山神村。


宿の離れの二階にある岩ノ山の部屋は、男ひとりで暮らすには少しばかり広すぎた。


普段から無造作に二つ並べられている木枠のベッド。


その一方には、顔を真っ赤にしてだるそうに吐息をこぼすオルガが横たわり、もう一方には、額にびっそりと汗を浮かべた岩ノ山が横たわっていた。


「……ヤマさん。大丈夫かい……?」


熱で潤んだ目を向け、オルガが気だるげに尋ねる。


岩ノ山は見開いた目で、ただ天井を見つめていた。


ゆっくりと両手を持ち上げ、己の大きな手のひらを視界にかざす。


「……いや。何でもない」


岩ノ山は短く答え、手のひらを握り直してから、静かに横を向いた。


そこへ、階段を上ってくるいくつかの小さな足音が。


ドアが勢いよく開かれ、ココが飛び込んでくる。


ミリアとリクは手にはタオルと、湯気の立つ桶。


「こら、ココ。静かにしなくちゃ」


オルガと岩ノ山はベッドから身を起こす。


ギュー、ポタポタ……。


湯を絞ったタオルをリクは二人に手渡した。


「ふたりとも、やっぱり動いちゃダメです」


「少し休めば治るわよ」


「うむ」


オルガはタオルで首筋を、岩ノ山は顔をしごきながら言う。


ミリアは大人二人からタオルを取り上げ、桶に放り込んだ。


リクがまた、ギュー!っとタオルを絞り、二人にそれを黙って押し付ける。


ミリアが腰に手を当て、扉の前に立ちはだかった。


「宿のことは、私たちがちゃんとやりますから!」


ベッドに押し戻された二人は、黙って頷くしかなかった。


大人が二人同時に倒れた宿は、静かだった。


ミリアはエプロンの紐をキュッと固く結び直し、炊事場へと向き合う。


包丁を握る手にいつも以上の力が入り、湯を沸かすかまどの前で何度も額の汗を拭う。


リクは何も言わずに裏手へ回り、薪割り台に立った。


吹き付ける北風が冷たい。


襟巻を口元まで引き上げ、薪割りの斧を握り直す。


ココは、二人の後ろをバタバタと追いかける。


「お掃除と、それから。えっとえっと……」


自分にできることに奔走した。



お昼過ぎ、ヤール婆さまが杖を突きながらやってきた。


玄関先で頬被りを脱ぎ、肩口の雪をパッパッと払った。


二階の寝室をのぞき、二人の寝息を確認すると、婆さまは何も言わずに一階の厨房へと下りていった。


「ミリア、かまどを借りるぞ」


ヤール婆さまは背中を丸めながら、慣れた手つきで鍋に刻んだ塩菜を放り込む。


午後になると、岩ノ山とオルガが倒れたという噂を聞きつけた村人たちが、続々と宿に集まってきた。


「ヤマさんたちが倒れたって!?」

「オルガの奴、風邪かい? これ、乾物持ってきたよ」


エルフたちが差し出す薬草茶葉。


ドワーフの男たちは、壺に入った特製の滋養酒を重そうに運び込んできた。


おばちゃんたちは腕まくりをして厨房へ上がり込み、「炊事ならあたしらがやるよ、ミリアちゃんは休みな」と手際よく鍋を突き始める。


おじちゃんたちは裏手へ回り、「雪かきは俺たちの仕事だ」「薪運びも任せとけ」と、岩ノ山が普段ひとりで片付けていた力仕事を、笑い合いながら分担し始めた。


いつの間にか来ていた村長代理のダン、補修屋のグレンも手を動かした。


ヤール婆さまが皆をじっと見る。


「……」


黙って雑炊をかき回した。


かまどから上がる白い湯気と雑炊の優しい香りが、先ほどまで静まり返っていた宿の中にゆっくりと広がっていった。



仕事が一通り片付き、一階の食堂で村人たちが温かい茶をすすっていたときだった。


「ヤマさんが直ったら、街道の雪かき頼まにゃな」


「ああ、あいつは早いからな」


「オルガの飯も、早く食いてえねえ」


お茶を運んでいたミリアの足が、ぴたりと止まった。


ミリアは盆を強く握りしめ、うつむいたまま。


静かに口を開いた。


「……皆、うちの二人を頼りすぎだよ……」


絞りだした声は小さかった。


食堂の空気が、凍りついたように静まり返った。


大人たちは杯を手に持ったまま、かける言葉を失ってミリアを見つめた。


カツン。


ヤール婆さまが、床板に深く杖を響かせた。


「……ミリアの言う通りじゃ」


深く刻まれた目元の皺をさらに深め、ダンを含めた大人たちを見回す。


大人たち、ハッと息を飲み、じわじわと顔を赤らめた。


「……すまんかった」


誰かがぽつりと頭を下げた。


大人たちは申し訳なさそうに身を縮める。


各々が持ってきた薬草や壺、干し肉や薪の見舞い品をテーブルや土間にそっと並べ置いた。


大人たちは静かに、一人また一人と宿を後にしていった。


一番最後に店を出ようとしたラング爺さんが、通り際、ミリアの肩のあたりに視線をやった。


「お前さんも、無理せんようにな。……早めに寝るんじゃぞ」


ミリアは小さく「はい」と頷いた。



夕刻。


リクは積み上がった薪と満たされた水瓶を確認し、長く息を吐いた。


ミリアとココも、明日のパンの仕込みを終え、ようやく一息ついたところだった。


「ヤール婆さまの雑炊、温め直そうか」


三人は疲れ切った体に鞭打ち、夕食の準備をしようと厨房へ向かった。


しかし————ドアを開けるより早く、

厨房から芳しい雑炊の香りと、かまどで薪がはぜるパチパチという音が聞こえてきた。


子供たちは顔を見合わせ、扉をバン!と開いた。


厨房の中に立っていたのは、手ぬぐいを頭に巻いたオルガだった。


お玉を持って味見をしている。


そしてその足元では、岩ノ山が重い薪を抱え、かまどの口へとくべていた。


「「……!」」


子供たちは絶句した。


オルガが口元を抑え、小さく咳をした。


「おっと」


カラン、と岩ノ山が薪をこぼす。


ミリアが口を開いた。


「なにを、してるの……?」


オルガと岩ノ山が子供たちから目をそらす。


「そりゃ、仕事さ。

 子供に世話かけられないからね」


「うむ」


ミリアが俯く。


「うむ、じゃないよ……」


胸の前でギュッと手を握った。


「何の、誰のために、私たちが頑張ったと思ってるの……」


みるみるその手が白くなる。


大人二人は言葉を飲んだ。


そしてまた手を動かそうとした途端————


「自分を大事にして!!二人とも!!」


絶叫だった。


「人には言うくせに、なんで?ねえ!なんで!?」


ポロポロと、大粒の涙がミリアの頬を伝い落ちる。


「またお母さんと、お父さんが……。いなくなっちゃうの嫌なの……」


そこから先は言葉にならなかった。


わんわんと泣きじゃくるミリアを前に、

オルガも、岩ノ山も呆然と立ち尽くした。


リクが静かに歩み寄り、ミリアの肩をそっと抱き寄せた。


泣顔を隠すようにミリアを部屋の外へ連れ出すと、リクは振り返る。


かまどの前に立つ二人の大人を見据えた。


「……いますぐ、ベッドに戻ってください」


その柔らかい声もまた、大人の胸を鋭く貫いた。


オルガと岩ノ山は顔を見合わせることもできなかった。


しぶしぶと二階へ引き返していった。



ココは、トボトボと歩く二人の後ろを静かについていった。


二人がベッドに腰を下ろすと、ココはその目の前にちょこんと立った。


二人の顔を交互に見上げると、

静かに口を開いた。


「おねえちゃん、こわかったね」


オルガと岩ノ山は、小さく頷いた。


ココは二人の足元に毛布を引き寄せ、

うんしょ、うんしょ、と胸元までかけてやる。


そして、ふぅ、と息をついた。


「おねえちゃんが今日は一番、お母ちゃんだったね」


返事は無かった。


「でも、きっとご飯もってきてくれるよ」


ココはそれだけ言うと、くるりと背を向け寝室を出ていった。


階段を下りていく音が聞こえる。


トントン、トントン。


トントン……。


……。



寝室には、大人だけが残った。


「……叱られちまったねぇ」


「……叱られたな」


お互い寝返りをうつ。


顔が合ってしまった。


オルガが毛布で口元を隠す。


ケホっと、小さく咳をした。


「……腹、減ったな」


「……お腹、すいたねえ」


トン、……。


トン、トン。


先ほどより大きめの足音が聞こえてきた。


雑炊の香りも漂ってきた。


「……食べたら。寝て、治そうかね」


「……うむ。食べて、治そう」




翌朝。


朝陽が部屋を照らす頃には、二人の体からはすっかり力が戻っていた。


階段を上ってきたココが、真っ先にオルガのベッドへ飛び込む。


「お母ちゃん!」


「うわっと! 元気になったよ、ココ!」


オルガはココを力いっぱい抱きしめ、頬をすり寄せた。


岩ノ山は目を細め、二人を見る。


「ヤマさんも!」


ココがベッドを飛び越え飛びついてきた。


岩ノ山はハッとしてココの小さな肩を受け止め——そっと引き離した。


一瞬、ココが寂しそうな顔をする。


岩ノ山はベッドから下り、ひざをついた。


大きな手を伸ばし、ココの脇の下にそうっと、手を差し入れた。


ずしっと、確かな重さを腕に感じた。


パッとココの顔が明るくなる。


岩ノ山はぐっと腕に力を込め、ココを持ち上げた。


「わあっ!」


一気に高くなる視界に、ココが声をあげる。


「たかい、たかーい!」


一度、ゆっくりと下ろす。


そして、もう一度持ち上げた。


キャッキャッと、はしゃぐ声が部屋に満ちた。


何度か持ち上げるうち、腕にじわりと疲れが溜まる。


岩ノ山はそのままココを胸元へ受け止めた。


ドアの口で、ミリアが腕を組んで立っていた。


少し目の周りを赤くしながらも、すっかり落ち着いた顔で二人を見ている。


「今日はまだ、大人しく寝ていてくださいね」


ミリアの言葉に、オルガも岩ノ山も、今度は同時に素直に頷いた。


「はい」


「うむ」


子供たちは満足そうに頷き合い、朝食の準備のために部屋を出て行った。


静かになった二人の寝室。


それぞれのベッドで毛布にくるまりながら、天井を見上げる。


「床ずれしちまうねえ」


「うむ」


どさり、と屋根から雪庇が落ちた。


岩ノ山は窓の外を眺める。


シュル、っとオルガの方から衣擦れの音がした。


「……ところでさ」


「?」


「なんであたし、あんたと並んで寝てるんだろうね」


岩ノ山は窓の方を向いたまま、毛布を頭からすっぽりと被り、寝たふりをした。



第四部 越冬編

第5話 に続く

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