第4話 家族
◇
小雪がちらつく山神村。
宿の離れの二階にある岩ノ山の部屋は、男ひとりで暮らすには少しばかり広すぎた。
普段から無造作に二つ並べられている木枠のベッド。
その一方には、顔を真っ赤にしてだるそうに吐息をこぼすオルガが横たわり、もう一方には、額にびっそりと汗を浮かべた岩ノ山が横たわっていた。
「……ヤマさん。大丈夫かい……?」
熱で潤んだ目を向け、オルガが気だるげに尋ねる。
岩ノ山は見開いた目で、ただ天井を見つめていた。
ゆっくりと両手を持ち上げ、己の大きな手のひらを視界にかざす。
「……いや。何でもない」
岩ノ山は短く答え、手のひらを握り直してから、静かに横を向いた。
そこへ、階段を上ってくるいくつかの小さな足音が。
ドアが勢いよく開かれ、ココが飛び込んでくる。
ミリアとリクは手にはタオルと、湯気の立つ桶。
「こら、ココ。静かにしなくちゃ」
オルガと岩ノ山はベッドから身を起こす。
ギュー、ポタポタ……。
湯を絞ったタオルをリクは二人に手渡した。
「ふたりとも、やっぱり動いちゃダメです」
「少し休めば治るわよ」
「うむ」
オルガはタオルで首筋を、岩ノ山は顔をしごきながら言う。
ミリアは大人二人からタオルを取り上げ、桶に放り込んだ。
リクがまた、ギュー!っとタオルを絞り、二人にそれを黙って押し付ける。
ミリアが腰に手を当て、扉の前に立ちはだかった。
「宿のことは、私たちがちゃんとやりますから!」
ベッドに押し戻された二人は、黙って頷くしかなかった。
大人が二人同時に倒れた宿は、静かだった。
ミリアはエプロンの紐をキュッと固く結び直し、炊事場へと向き合う。
包丁を握る手にいつも以上の力が入り、湯を沸かすかまどの前で何度も額の汗を拭う。
リクは何も言わずに裏手へ回り、薪割り台に立った。
吹き付ける北風が冷たい。
襟巻を口元まで引き上げ、薪割りの斧を握り直す。
ココは、二人の後ろをバタバタと追いかける。
「お掃除と、それから。えっとえっと……」
自分にできることに奔走した。
◇
お昼過ぎ、ヤール婆さまが杖を突きながらやってきた。
玄関先で頬被りを脱ぎ、肩口の雪をパッパッと払った。
二階の寝室をのぞき、二人の寝息を確認すると、婆さまは何も言わずに一階の厨房へと下りていった。
「ミリア、かまどを借りるぞ」
ヤール婆さまは背中を丸めながら、慣れた手つきで鍋に刻んだ塩菜を放り込む。
午後になると、岩ノ山とオルガが倒れたという噂を聞きつけた村人たちが、続々と宿に集まってきた。
「ヤマさんたちが倒れたって!?」
「オルガの奴、風邪かい? これ、乾物持ってきたよ」
エルフたちが差し出す薬草茶葉。
ドワーフの男たちは、壺に入った特製の滋養酒を重そうに運び込んできた。
おばちゃんたちは腕まくりをして厨房へ上がり込み、「炊事ならあたしらがやるよ、ミリアちゃんは休みな」と手際よく鍋を突き始める。
おじちゃんたちは裏手へ回り、「雪かきは俺たちの仕事だ」「薪運びも任せとけ」と、岩ノ山が普段ひとりで片付けていた力仕事を、笑い合いながら分担し始めた。
いつの間にか来ていた村長代理のダン、補修屋のグレンも手を動かした。
ヤール婆さまが皆をじっと見る。
「……」
黙って雑炊をかき回した。
かまどから上がる白い湯気と雑炊の優しい香りが、先ほどまで静まり返っていた宿の中にゆっくりと広がっていった。
◇
仕事が一通り片付き、一階の食堂で村人たちが温かい茶をすすっていたときだった。
「ヤマさんが直ったら、街道の雪かき頼まにゃな」
「ああ、あいつは早いからな」
「オルガの飯も、早く食いてえねえ」
お茶を運んでいたミリアの足が、ぴたりと止まった。
ミリアは盆を強く握りしめ、うつむいたまま。
静かに口を開いた。
「……皆、うちの二人を頼りすぎだよ……」
絞りだした声は小さかった。
食堂の空気が、凍りついたように静まり返った。
大人たちは杯を手に持ったまま、かける言葉を失ってミリアを見つめた。
カツン。
ヤール婆さまが、床板に深く杖を響かせた。
「……ミリアの言う通りじゃ」
深く刻まれた目元の皺をさらに深め、ダンを含めた大人たちを見回す。
大人たち、ハッと息を飲み、じわじわと顔を赤らめた。
「……すまんかった」
誰かがぽつりと頭を下げた。
大人たちは申し訳なさそうに身を縮める。
各々が持ってきた薬草や壺、干し肉や薪の見舞い品をテーブルや土間にそっと並べ置いた。
大人たちは静かに、一人また一人と宿を後にしていった。
一番最後に店を出ようとしたラング爺さんが、通り際、ミリアの肩のあたりに視線をやった。
「お前さんも、無理せんようにな。……早めに寝るんじゃぞ」
ミリアは小さく「はい」と頷いた。
◇
夕刻。
リクは積み上がった薪と満たされた水瓶を確認し、長く息を吐いた。
ミリアとココも、明日のパンの仕込みを終え、ようやく一息ついたところだった。
「ヤール婆さまの雑炊、温め直そうか」
三人は疲れ切った体に鞭打ち、夕食の準備をしようと厨房へ向かった。
しかし————ドアを開けるより早く、
厨房から芳しい雑炊の香りと、かまどで薪がはぜるパチパチという音が聞こえてきた。
子供たちは顔を見合わせ、扉をバン!と開いた。
厨房の中に立っていたのは、手ぬぐいを頭に巻いたオルガだった。
お玉を持って味見をしている。
そしてその足元では、岩ノ山が重い薪を抱え、かまどの口へとくべていた。
「「……!」」
子供たちは絶句した。
オルガが口元を抑え、小さく咳をした。
「おっと」
カラン、と岩ノ山が薪をこぼす。
ミリアが口を開いた。
「なにを、してるの……?」
オルガと岩ノ山が子供たちから目をそらす。
「そりゃ、仕事さ。
子供に世話かけられないからね」
「うむ」
ミリアが俯く。
「うむ、じゃないよ……」
胸の前でギュッと手を握った。
「何の、誰のために、私たちが頑張ったと思ってるの……」
みるみるその手が白くなる。
大人二人は言葉を飲んだ。
そしてまた手を動かそうとした途端————
「自分を大事にして!!二人とも!!」
絶叫だった。
「人には言うくせに、なんで?ねえ!なんで!?」
ポロポロと、大粒の涙がミリアの頬を伝い落ちる。
「またお母さんと、お父さんが……。いなくなっちゃうの嫌なの……」
そこから先は言葉にならなかった。
わんわんと泣きじゃくるミリアを前に、
オルガも、岩ノ山も呆然と立ち尽くした。
リクが静かに歩み寄り、ミリアの肩をそっと抱き寄せた。
泣顔を隠すようにミリアを部屋の外へ連れ出すと、リクは振り返る。
かまどの前に立つ二人の大人を見据えた。
「……いますぐ、ベッドに戻ってください」
その柔らかい声もまた、大人の胸を鋭く貫いた。
オルガと岩ノ山は顔を見合わせることもできなかった。
しぶしぶと二階へ引き返していった。
◇
ココは、トボトボと歩く二人の後ろを静かについていった。
二人がベッドに腰を下ろすと、ココはその目の前にちょこんと立った。
二人の顔を交互に見上げると、
静かに口を開いた。
「おねえちゃん、こわかったね」
オルガと岩ノ山は、小さく頷いた。
ココは二人の足元に毛布を引き寄せ、
うんしょ、うんしょ、と胸元までかけてやる。
そして、ふぅ、と息をついた。
「おねえちゃんが今日は一番、お母ちゃんだったね」
返事は無かった。
「でも、きっとご飯もってきてくれるよ」
ココはそれだけ言うと、くるりと背を向け寝室を出ていった。
階段を下りていく音が聞こえる。
トントン、トントン。
トントン……。
……。
寝室には、大人だけが残った。
「……叱られちまったねぇ」
「……叱られたな」
お互い寝返りをうつ。
顔が合ってしまった。
オルガが毛布で口元を隠す。
ケホっと、小さく咳をした。
「……腹、減ったな」
「……お腹、すいたねえ」
トン、……。
トン、トン。
先ほどより大きめの足音が聞こえてきた。
雑炊の香りも漂ってきた。
「……食べたら。寝て、治そうかね」
「……うむ。食べて、治そう」
◇
翌朝。
朝陽が部屋を照らす頃には、二人の体からはすっかり力が戻っていた。
階段を上ってきたココが、真っ先にオルガのベッドへ飛び込む。
「お母ちゃん!」
「うわっと! 元気になったよ、ココ!」
オルガはココを力いっぱい抱きしめ、頬をすり寄せた。
岩ノ山は目を細め、二人を見る。
「ヤマさんも!」
ココがベッドを飛び越え飛びついてきた。
岩ノ山はハッとしてココの小さな肩を受け止め——そっと引き離した。
一瞬、ココが寂しそうな顔をする。
岩ノ山はベッドから下り、ひざをついた。
大きな手を伸ばし、ココの脇の下にそうっと、手を差し入れた。
ずしっと、確かな重さを腕に感じた。
パッとココの顔が明るくなる。
岩ノ山はぐっと腕に力を込め、ココを持ち上げた。
「わあっ!」
一気に高くなる視界に、ココが声をあげる。
「たかい、たかーい!」
一度、ゆっくりと下ろす。
そして、もう一度持ち上げた。
キャッキャッと、はしゃぐ声が部屋に満ちた。
何度か持ち上げるうち、腕にじわりと疲れが溜まる。
岩ノ山はそのままココを胸元へ受け止めた。
ドアの口で、ミリアが腕を組んで立っていた。
少し目の周りを赤くしながらも、すっかり落ち着いた顔で二人を見ている。
「今日はまだ、大人しく寝ていてくださいね」
ミリアの言葉に、オルガも岩ノ山も、今度は同時に素直に頷いた。
「はい」
「うむ」
子供たちは満足そうに頷き合い、朝食の準備のために部屋を出て行った。
静かになった二人の寝室。
それぞれのベッドで毛布にくるまりながら、天井を見上げる。
「床ずれしちまうねえ」
「うむ」
どさり、と屋根から雪庇が落ちた。
岩ノ山は窓の外を眺める。
シュル、っとオルガの方から衣擦れの音がした。
「……ところでさ」
「?」
「なんであたし、あんたと並んで寝てるんだろうね」
岩ノ山は窓の方を向いたまま、毛布を頭からすっぽりと被り、寝たふりをした。
◇
第四部 越冬編
第5話 に続く




