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第3話 手


昼過ぎ。


山神村の入り口。雪に埋もれかけていた木製の道しるべを、村長代理のダンがグッと力強く雪から引き抜き、深く立て直していた。


そこへ、清瀬村での仕事を終えた補修屋のエルフ、グレンが雪を踏みしめてやってくる。背中に大工道具の袋を担ぎ、息を白く吐き出した。


「おや、村の顔役が自ら見回りか?」


「へへ、帳簿係が増えてな。俺の仕事が浮いたんだよ」


ダンが鼻をこすって笑う。


「そりゃあいい。じゃあ、俺の手伝いにも人を付けてくれ」


「そりゃそうだ。よし、一緒に行くか」


二人並んで、冬の静かな村の中を見て回る。


道すがら、グレンが清瀬村の様子を語った。木場の桟橋、水車、上下ノコは概ね修復が完了。川を渡る筏頭いかだがしらの猛訓練も、さすがに寒さが限界で冬じまいになったという。


「ヨダ爺さまから『山神村の皆へよろしく伝えてくれ。春が楽しみじゃ』とさ」


ダンは嬉しそうに頷いた。


例年より一段と深い雪だ。道沿いに並ぶ家々を眺めながら、二人は冬の点検を続ける。


折れかけた家の囲い。凍りついた支線水路――そこではすでに数人の村人たちがつるはしを振るい、氷割りをしていた。


ダンが作業の様子を眺め、声を張る。


「氷を割るのはいいが、といまで叩いて傷めないでくれよ!」


「分かってるよ!」


がぁん、がぁん、とツルハシが響く。


グレンは眉を寄せ、ダンは苦笑した。


今度は頭上の屋根を見上げた。

大きな雪庇がせり出している。


「……あの屋根、そろそろ雪を落とした方がいいな」


「そうだな。午後から気温が少し上がる。今夜また凍りついたら厄介だ」


ダンが「念のため井戸も見ておこう」と言い、二人は村の中央へ向かう。案の定、井戸屋形いどやかたを支える太い柱にみしみしと痛みが走っていた。


「……まったく、休む暇もないな」


グレンが肩をすくめてぼやいた。



道すがら、メリーとその兄たちが二頭の馬の引き綱を握り、散歩させていた。


「馬がいれば、いよいよ山神号も岩ノ山が引かなくて良くなるな」


ダンの言葉に、グレンは額を押さえた。


「あの大荷車か……。砦の戦いで、あのバカ(岩ノ山)が無茶苦茶に突っ込ませたおかげで大修理だ」


ダンが笑いながら、メリーたちに声をかけた。


「お前ら、悪いがあそこの屋根の雪下ろし、手伝ってくれんか?」


「ええ、任せてください」


兄たちは爽やかに胸を叩く。


「さすが羊族だな。高いところもへっちゃらか」


「ダン、そりゃ山羊ヤギだ」


グレンが間髪入れずに突っ込む。


メリーは中腰で、馬の蹄の雪を藁の束でパッパッと払う。


「さすが山は雪が深いですね」


「まあな。でも、ほら、あそこ見てみろ」


ダンはこの辺りで一番高い峰を指さす。


切り立った山頂には、黒々と土が見えた。


「昔から、あの峰だけは雪が積もらん。学者さんの言うには、地面が温かいとかなんとか」


「ひえー。火山じゃないんですよね?」


見れば薄っすら湯気らしいものも見える。


「さぁ、年寄りからはそんな話は聞いたことは無ぇなあ」


話し込んでいるとグレンが咳払いをし、ダンの話を切った。


「っと、すまんな。時間を取らせた」


「いえいえ!楽しかったです」


メリーは馬の鼻ぐりを撫でながら、手を振った。


「私は馬房に新しい藁を足しておきますねー!」


馬を連れて去っていくメリーと、屋根へ登っていく兄たち。


ダンとグレンはその背中を静かに見送った。



林のほうに目をやれば、立ち枯れの木々の合間から炭焼きの白い煙が細く上がっていた。


「トビー爺さんたちか。精が出るな」


さらに林の奥からは、カーン、カーンと乾いた斧の音が聞こえてくる。

パン…、パン…と山刀を振る音も、まるで合いの手のように響く。


小柄なエルフと若ドワーフが、息を合わせて間伐に励んでいるのだろう。


「研ぎ直してやった斧が、仕事をしているようだな」


グレンは斧と山刀の音に耳を澄まし、目を細めた。



工房へ足を進めながら、グレンがダンに告げる。


「明日、あの井戸屋形の柱を取り換える。岩ノ山を見かけたら、伝えておいてくれ」


「了解だ。それじゃ、俺は井戸屋形の周りの雪かきをしておくか」


ダンはスコップを手に、自分の仕事へと戻っていった。


宿の前に差し掛かると、村の子供たちがキャッキャと声を上げ、雪かき――という名目の雪合戦に興じていた。



一方その頃。


山のさらに上、塩坑までの点検をひと通り終えた岩ノ山は、一人、山神のほこらに佇んでいた。


積石のケルンも白い雪をかぶり、静かに冬の眠りについているように見える。


岩ノ山は祠の裏手の深い林へと足を踏み入れた。


そびえ立つ一本の杉の大木。


岩ノ山はおもむろに、厚手の手袋をした右手をその幹へと添えた。


カカカ……、ヒッヒ……と、ルリビタキの鳴き声が聞こえる。


ぐっ――と、全身の質量を足裏から叩きつけるように力を込める。


バキバキバキッ――ガラガラゴォン!!


突風が吹き抜けたかのような凄まじい肉体の一撃。


大木が根元からへし折れ、地響きとともに倒れ伏した。


驚いた冬の鳥たちが一斉に羽ばたき、チチチ!と声を上げ空へ逃げていく。


岩ノ山の背中に、背筋を凍らせるような冷たい寒気が走った。


ずきり――。


右肩の奥深くで、鈍い激痛が走る。


岩ノ山は吐息を漏らし、倒れた大木を祠の前まで引きずり出した。


腰の鉈を抜き、黙々と枝を払い、丸太にしていく。


裸になった巨木を、以前のように一人で軽々と持ち上げ――。


岩ノ山は、手をそっと下ろし、静かに思いとどまった。


「……木こりたちに頼むか」


岩ノ山は祠のケルンに向き直ると、そっと石を積み足す。


深く手を合わせた。


そして、ゆっくりと山を下りていった。



宿の前まで戻ると、子供たちの元気な歓声が響いていた。


「あ! ヤマさんだ!」

「いわのやまー!」


先日、岩ノ山が子供たちと一緒に作った、見上げるような巨大な雪だるま。


その足元で子供たちが群がっている。


オルガは宿の前の雪をスコップで退かしながら、目を細めて見守っていた。


「オルガさん、私がやりますから休んでてください!」


ミリアが駆け寄り、スコップに手を伸ばす。


「はいはい。二人でやったほうが早いに決まってるさね」


オルガは笑って雪かきをつづける。


「あと! ヤマさんもですよ! ちゃんと休んでくださいね!」


「おう……」


岩ノ山は巨大な雪だるまを見上げたまま、どこか上の空で生返事をした。


そこへ、小さなココがテケテケと駆け寄ってくる。


「上に登りたい! ヤマさん、だっこ!」


ココが小さな両手を広げて見上げる。


岩ノ山は一瞬、息を詰め、広げかけた自分の大きな手を止めた。


杉の幹をへし折った感触が、まだ手のひらに残っている。


その手を隠すように、そっと腕を腰の後ろに回した。


「……ごめんな。手が、汚れているから」


「えー……」


残念そうに口を尖らせるココ。


そのやり取りを見ていたリクとミリアが、少し不思議そうに顔を見合わせた。


リクが笑顔で歩み出る。


「よし、僕が抱っこしてあげるよ!」


リクはココの脇に手を差し入れ、ぐっと持ち上げた。


「おや、リクも随分と力持ちになったねぇ」


オルガが感心したように目を丸くする。


「ヤマさんより低ーい!」


文句を言いながらも、リクの首に抱きついたココは嬉しそうに笑った。


岩ノ山はその光景を前に、静かに、本当に静かに口元を緩めた。


そして、自分を見つめるミリアとリクの視線から逃れるように、宿の中へと歩を進めた。



宿の玄関。

石階段を一段、踏み上がったその刹那。


視界がぐらりと揺れ、岩ノ山の脳裏にキーンとめまいが襲いかかった。


(……ぐっ)


立ち止まり、手すりを掴む。


だが、そのめまいは数秒でスッと引いていった。


何事もなかったかのように背筋を伸ばし、岩ノ山は宿の重い扉を開けて中へと入っていく。


その腰元には、泥と雪にまみれた、一双の手袋が、ぽつんと力なく下がっていた。



第四部 越冬編

第4話 に続く

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