第3話 手
◇
昼過ぎ。
山神村の入り口。雪に埋もれかけていた木製の道しるべを、村長代理のダンがグッと力強く雪から引き抜き、深く立て直していた。
そこへ、清瀬村での仕事を終えた補修屋のエルフ、グレンが雪を踏みしめてやってくる。背中に大工道具の袋を担ぎ、息を白く吐き出した。
「おや、村の顔役が自ら見回りか?」
「へへ、帳簿係が増えてな。俺の仕事が浮いたんだよ」
ダンが鼻をこすって笑う。
「そりゃあいい。じゃあ、俺の手伝いにも人を付けてくれ」
「そりゃそうだ。よし、一緒に行くか」
二人並んで、冬の静かな村の中を見て回る。
道すがら、グレンが清瀬村の様子を語った。木場の桟橋、水車、上下ノコは概ね修復が完了。川を渡る筏頭の猛訓練も、さすがに寒さが限界で冬じまいになったという。
「ヨダ爺さまから『山神村の皆へよろしく伝えてくれ。春が楽しみじゃ』とさ」
ダンは嬉しそうに頷いた。
例年より一段と深い雪だ。道沿いに並ぶ家々を眺めながら、二人は冬の点検を続ける。
折れかけた家の囲い。凍りついた支線水路――そこではすでに数人の村人たちがつるはしを振るい、氷割りをしていた。
ダンが作業の様子を眺め、声を張る。
「氷を割るのはいいが、樋まで叩いて傷めないでくれよ!」
「分かってるよ!」
がぁん、がぁん、とツルハシが響く。
グレンは眉を寄せ、ダンは苦笑した。
今度は頭上の屋根を見上げた。
大きな雪庇がせり出している。
「……あの屋根、そろそろ雪を落とした方がいいな」
「そうだな。午後から気温が少し上がる。今夜また凍りついたら厄介だ」
ダンが「念のため井戸も見ておこう」と言い、二人は村の中央へ向かう。案の定、井戸屋形を支える太い柱にみしみしと痛みが走っていた。
「……まったく、休む暇もないな」
グレンが肩をすくめてぼやいた。
◇
道すがら、メリーとその兄たちが二頭の馬の引き綱を握り、散歩させていた。
「馬がいれば、いよいよ山神号も岩ノ山が引かなくて良くなるな」
ダンの言葉に、グレンは額を押さえた。
「あの大荷車か……。砦の戦いで、あのバカ(岩ノ山)が無茶苦茶に突っ込ませたおかげで大修理だ」
ダンが笑いながら、メリーたちに声をかけた。
「お前ら、悪いがあそこの屋根の雪下ろし、手伝ってくれんか?」
「ええ、任せてください」
兄たちは爽やかに胸を叩く。
「さすが羊族だな。高いところもへっちゃらか」
「ダン、そりゃ山羊だ」
グレンが間髪入れずに突っ込む。
メリーは中腰で、馬の蹄の雪を藁の束でパッパッと払う。
「さすが山は雪が深いですね」
「まあな。でも、ほら、あそこ見てみろ」
ダンはこの辺りで一番高い峰を指さす。
切り立った山頂には、黒々と土が見えた。
「昔から、あの峰だけは雪が積もらん。学者さんの言うには、地面が温かいとかなんとか」
「ひえー。火山じゃないんですよね?」
見れば薄っすら湯気らしいものも見える。
「さぁ、年寄りからはそんな話は聞いたことは無ぇなあ」
話し込んでいるとグレンが咳払いをし、ダンの話を切った。
「っと、すまんな。時間を取らせた」
「いえいえ!楽しかったです」
メリーは馬の鼻ぐりを撫でながら、手を振った。
「私は馬房に新しい藁を足しておきますねー!」
馬を連れて去っていくメリーと、屋根へ登っていく兄たち。
ダンとグレンはその背中を静かに見送った。
◇
林のほうに目をやれば、立ち枯れの木々の合間から炭焼きの白い煙が細く上がっていた。
「トビー爺さんたちか。精が出るな」
さらに林の奥からは、カーン、カーンと乾いた斧の音が聞こえてくる。
パン…、パン…と山刀を振る音も、まるで合いの手のように響く。
小柄なエルフと若ドワーフが、息を合わせて間伐に励んでいるのだろう。
「研ぎ直してやった斧が、仕事をしているようだな」
グレンは斧と山刀の音に耳を澄まし、目を細めた。
工房へ足を進めながら、グレンがダンに告げる。
「明日、あの井戸屋形の柱を取り換える。岩ノ山を見かけたら、伝えておいてくれ」
「了解だ。それじゃ、俺は井戸屋形の周りの雪かきをしておくか」
ダンはスコップを手に、自分の仕事へと戻っていった。
宿の前に差し掛かると、村の子供たちがキャッキャと声を上げ、雪かき――という名目の雪合戦に興じていた。
◇
一方その頃。
山のさらに上、塩坑までの点検をひと通り終えた岩ノ山は、一人、山神の祠に佇んでいた。
積石のケルンも白い雪をかぶり、静かに冬の眠りについているように見える。
岩ノ山は祠の裏手の深い林へと足を踏み入れた。
そびえ立つ一本の杉の大木。
岩ノ山はおもむろに、厚手の手袋をした右手をその幹へと添えた。
カカカ……、ヒッヒ……と、ルリビタキの鳴き声が聞こえる。
ぐっ――と、全身の質量を足裏から叩きつけるように力を込める。
バキバキバキッ――ガラガラゴォン!!
突風が吹き抜けたかのような凄まじい肉体の一撃。
大木が根元からへし折れ、地響きとともに倒れ伏した。
驚いた冬の鳥たちが一斉に羽ばたき、チチチ!と声を上げ空へ逃げていく。
岩ノ山の背中に、背筋を凍らせるような冷たい寒気が走った。
ずきり――。
右肩の奥深くで、鈍い激痛が走る。
岩ノ山は吐息を漏らし、倒れた大木を祠の前まで引きずり出した。
腰の鉈を抜き、黙々と枝を払い、丸太にしていく。
裸になった巨木を、以前のように一人で軽々と持ち上げ――。
岩ノ山は、手をそっと下ろし、静かに思いとどまった。
「……木こりたちに頼むか」
岩ノ山は祠のケルンに向き直ると、そっと石を積み足す。
深く手を合わせた。
そして、ゆっくりと山を下りていった。
◇
宿の前まで戻ると、子供たちの元気な歓声が響いていた。
「あ! ヤマさんだ!」
「いわのやまー!」
先日、岩ノ山が子供たちと一緒に作った、見上げるような巨大な雪だるま。
その足元で子供たちが群がっている。
オルガは宿の前の雪をスコップで退かしながら、目を細めて見守っていた。
「オルガさん、私がやりますから休んでてください!」
ミリアが駆け寄り、スコップに手を伸ばす。
「はいはい。二人でやったほうが早いに決まってるさね」
オルガは笑って雪かきをつづける。
「あと! ヤマさんもですよ! ちゃんと休んでくださいね!」
「おう……」
岩ノ山は巨大な雪だるまを見上げたまま、どこか上の空で生返事をした。
そこへ、小さなココがテケテケと駆け寄ってくる。
「上に登りたい! ヤマさん、だっこ!」
ココが小さな両手を広げて見上げる。
岩ノ山は一瞬、息を詰め、広げかけた自分の大きな手を止めた。
杉の幹をへし折った感触が、まだ手のひらに残っている。
その手を隠すように、そっと腕を腰の後ろに回した。
「……ごめんな。手が、汚れているから」
「えー……」
残念そうに口を尖らせるココ。
そのやり取りを見ていたリクとミリアが、少し不思議そうに顔を見合わせた。
リクが笑顔で歩み出る。
「よし、僕が抱っこしてあげるよ!」
リクはココの脇に手を差し入れ、ぐっと持ち上げた。
「おや、リクも随分と力持ちになったねぇ」
オルガが感心したように目を丸くする。
「ヤマさんより低ーい!」
文句を言いながらも、リクの首に抱きついたココは嬉しそうに笑った。
岩ノ山はその光景を前に、静かに、本当に静かに口元を緩めた。
そして、自分を見つめるミリアとリクの視線から逃れるように、宿の中へと歩を進めた。
◇
宿の玄関。
石階段を一段、踏み上がったその刹那。
視界がぐらりと揺れ、岩ノ山の脳裏にキーンとめまいが襲いかかった。
(……ぐっ)
立ち止まり、手すりを掴む。
だが、そのめまいは数秒でスッと引いていった。
何事もなかったかのように背筋を伸ばし、岩ノ山は宿の重い扉を開けて中へと入っていく。
その腰元には、泥と雪にまみれた、一双の手袋が、ぽつんと力なく下がっていた。
◇
第四部 越冬編
第4話 に続く




