第10話 橋頭防衛戦
◇
積もり始めた初雪が、
山道の石畳を白く覆い始めていた。
山砦の影が視界に入った。
バレントの若き次期当主、
セドウィックは馬上で手を上げ短く告げた。
「全員、確認しろ」
「終戦に反対する者たちが、
動いているとの報告がある」
「理由は問わん。
襲撃があっても足を止めるな 」
セドウィックは視線を巡らせ、バレント・ベルグ両領からなる護衛隊たちを見据える。
「目標は一つ!」
「山砦を抜け、将軍をグラキア国境へ送り届ける! 」
息が白い。
セドウィックは一度、奥歯を噛み言葉を続けた。
「渡河を最優先。 ……敵を倒す必要はない」
ベルグの代表行政官、エイラが前方の谷を見やった。
崖の向こう、橋の影が見える。
将軍は馬上でただ静かに前を見つめていた。
その横で、岩ノ山は無言のまま、山道の上の気配を探っている。
パッカ、パッカ⋯⋯。
カシャ、カシャ⋯⋯。
馬の蹄と帷子の擦れる音だけが、
山道に響く。
パッカ、パッカ⋯⋯。
⋯⋯。
「――伏せろ!」
ピシュッ!
ピシュッ!
ヒュン――
無数の矢が降り注ぐ。
護衛の馬が激しく嘶く。
隊列が乱れた。
「下馬! 防御陣形!」
セドウィックの怒号が飛ぶ。
白みかけた藪の奥から、
男たちが雪を蹴立てて飛び出す。
「殺せぇ!」
「兄を返せぇっ!」
白刃が雪崩込んできた。
◇
「止まるな! 押し通せ!」
セドウィックの指揮の下、直剣と曲剣を構えた混成護衛隊が左右を固める。
岩ノ山は、荷を積んだ大荷車『山神号』に手をかける。
そのまま、己の巨躯ごと前へ押し出した。
ガラガラガラ!
雪が跳ねた。
山神号が、敵陣へ突っ込む。
重い音を立てて荷車が雪を押し潰し、
迫る敵の隊列を強引にこじ開ける。
「こちらへ!」
エイラが将軍に並び、
山神号の轍に続く。
「追え! 将軍を討て!」
背後から追撃の足音が迫る。
目的地は、目と鼻の先の山砦。
◇
山砦の門前は、
すでに乱戦と化していた。
山砦の守備兵たちが、
反対派の別動隊と刃を交えている。
その喧騒の渦中から、
飛び出してきた影があった。
背に弓を刺したグレンと、
槌を握りしめたドワーフ達だった。
「仮設橋はまだ無事だ!」
グレンの叫びに、
誰もが橋を見た。
木で継がれた橋。
手すりの雪が谷へと落ちた。
エイラが即座に指令を下す。
「将軍を橋へ!」
セドウィックが刀を抜き、
橋の袂――橋頭へと踏みとどまった。
「渡り切るまで、敵を一人も通すな!」
その脇を、岩ノ山と守備兵たちが固めた。
「⋯⋯応!」
岩ノ山が腰を落とす。
一歩、前に出た。
◇
将軍の足が仮設橋へ踏み込む。
木橋がギシギシと軋んだ。
谷底を流れる川が白く泡立つ。
エイラは一度も振り返らない。
ヒュン――。
一本の矢が飛ぶ。
将軍は身に纏ったマントを翻し、
矢を受け流した。
歩みは止まらない。
「将軍を殺せぇぇ!」
反対派の鋭い突撃が、
橋頭の狭い空間に殺到した。
刃と刃がぶつかり合い、
金属音が雪山に反響する。
その混戦を縫うように、
一人の男が疾走してきた。
身の丈を超える剛刀を低く構えた、
白装束の男。
男の狙いは――セドウィック。
「くっ……!」
セドウィックが刃を応戦させようとした刹那、
横から太い腕が割り込んだ。
ガキィィン!
岩ノ山の鉄手甲が、
白装束が振るった極太の刃を真っ向から弾く。
火花が散る。
岩ノ山が一歩踏み込むと、
白装束は即座に間合いを取り直した。
互いの視線が交錯する。
岩ノ山が拳を地面につける。
次の瞬間、白装束が跳ねた。
大上段の兜割り――。
呼応し、岩ノ山は柄元まで間合いを詰める。
だが。
白装束は岩ノ山の頭上を越え、
橋へと走る将軍の首筋を目がけて飛翔していた。
(止めてくれ――!)
誰かの叫びが、
岩ノ山の心臓を叩いた。
その瞬間、
岩ノ山の世界から色も音も消えた。
地面が爆ぜる。
岩ノ山の巨躯が、間合いを無に変える。
「⋯⋯!」
白装束は咄嗟に剛刀の背に腕を添え、
身構える。
ゴォン!!
宙で鋼の剛刀が真っ二つに砕けた。
岩ノ山の額が、剛刀を打ち砕いた。
白装束の身体が折れ曲がるように、
雪煙の彼方へ吹き飛んでいった。
岩ノ山の額から、
一筋の血が滲む。
「――次が来るぞ!」
岩ノ山の世界に色と音が帰ってきた。
再び鉄手甲を構え、
群がる敵の前に仁王立ちとなった。
◇
橋の向こう側。
将軍の足が、
ついに国境線に差し掛かった。
その先に見えるのは、
グラキアの軍旗。
武装したグラキア軍の整列が待っていた。
彼らは一向に動かない。
「しまっ……! 将軍が渡り切ったぞ!」
反対派に動揺が走った。
将軍に帯同したエイラが、
セドウィックに向かって剣を掲げる。
「全隊、前へ! 捕縛せよ!」
セドウィックの号令に、
隊員たちが一斉に反撃へ転じる。
逃げ惑う敵、雪に伏せて縛につく者。
「深追いはするな!
橋を渡らせなければ良い!」
徐々に怒号は小さくなっていった。
◇
静寂が戻った橋の向こう。
歩み寄ってきた将軍が、
グラキア兵たちの前で足を止める。
兵たちが、
一斉に背筋を伸ばし整列した。
「……よくぞ耐えた」
将軍の低く重い声。
「耐えた⋯⋯?」
エイラは、
グラキア兵たちの足元に視線を落とす。
全員の靴底が、寸分違わず国境線の「こちら側」を踏み越えずに並んでいる。
停戦中に兵が国境を越えれば、
講和は崩れる。
どんなに目前で乱戦が起きようと、
命令を守り抜いた証であった。
将軍がゆっくりと振り返り、
エイラに深々と頭を下げた。
グラキア兵たちが一斉に、
無言のまま敬礼を捧げる。
エイラもまた、
静かに背筋を伸ばし、返礼した。
風がグラキア旗を翻す。
「回れ、右!」
号令とともに整然と向きを変える。
ザッザッザ⋯
ザッザ⋯
⋯
将軍とグラキア兵たちは、
雪の街道の奥へと去っていった。
雪が静かに、
その足跡へ降り積もり始める。
橋は、まだそこにあった。
セドウィックは橋を渡り、
エイラのもとへ向かう。
迎えの足音だけが谷に響いていた。
◇
第三部 流域編
第11話 に続く




