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山神 ~相撲取り里守異聞録~  作者: よもぎ
第一部 山神村編
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3/4

第3話 宿の昼


昼を少し回った頃。


宿の食堂はようやく

静かになっていた。


オルガは腰を叩きながら、

空になった鍋を覗き込む。


「……今日はよく食ったねぇ」


パンもほとんど残っていない。


ため息をつきながら、

布巾を桶へ放り込んだ時だった。


「邪魔するよ」


戸口から女が入ってきた。


日に焼けた腕。

頭には手拭い。

片腕には赤ん坊。


ダンの妻、エマだった。


「ああ、あんたかい」


「昼の差し入れ。

 あの人、また飯忘れてる」


籠をどん、と机へ置く。

オルガは吹き出した。


「またかい」


「また」


エマは疲れた顔で頷く。


「今朝もねぇ、

 “今日は早ぇからもう行くぞ”って、

 湯しか飲まずに出てったよ」


「碌でもないねぇ」


「ほんとに」


二人同時だった。



赤ん坊が、

ふにゃあと声を出した。


オルガが覗き込む。


「おや、起きたかい」


「最近すぐ起きるんだよねぇ」


エマは慣れた手つきで

赤ん坊を揺らす。


その顔を見ながら、

オルガがぼそりと言う。


「……ダンに似てきたね」


「でしょ?

 上の子たちがあたし似だから」


「はっ、言うじゃないか」


二人が笑う。


「この子の為にも

 村を良くしなくちゃね」


「塩坑がもうすぐ直るさ」


その間にも、エマは自然に

机の汚れを拭いていた。


宿に来る女達は、

だいたい勝手に手を動かす。


小さな仕事でも誰かがやる。


山神村はそういう村だった。



「で?」


オルガが腕を組む。


「例のデカブツ、どう思う」


エマは少し考えた。


「怖い」


即答だった。

オルガが片眉を上げる。


「正直だね」


「だって怖いよ。

 熊みたいじゃない」


「旅人も山の恵み、だろ」


「人は山を超えてくる」


「旅人は山神さまと思え、か」


「山神さまは皿洗いしないよ」


「それは余計怖い」


思わず二人で吹き出した。



しばらくして、

エマが少し真面目な顔になる。


「でもさ」


「うん?」


「あの人、

 子供の前で怒鳴らないね」


オルガは口元に指をあてた。


「転びそうなココに

 腕を伸ばしてたねぇ」


「……ダンが気にするの分かる」


窓の外では、

夏の風が木を揺らしていた。


オルガはしばらく外を見ていたが、

やがて鼻を鳴らした。


「気にするも何も」


「?」


「あのバカ、

 もう拾う気だよ」


エマが苦笑する。


「あー……」


「ほんっと、

 昔っから放っとけない病だ」


「オルガもでしょ?」


「私は宿屋だよ」


「同じようなもんじゃない」


返す言葉がなく、

オルガは桶を引き寄せた。


「働き手が増えるのは

 いつ以来かね……」


二人は視線を合わせなかった。


オルガは

今は広すぎる食堂を見回した。



その時だった。


遠くで、かすかに半鐘が鳴った。


カン、カン――。


二人の顔から、笑いが消える。


良くない音だった。


エマが赤ん坊を抱き直した。

オルガは立ち上がる。


強く開けた扉の先に、

山を睨む岩ノ山が見えた。


「塩坑で何かあったんだ!」


オルガの叫びが岩ノ山を叩く。


瞬間、


岩ノ山の視界から色が消える。


巨体が飛ぶように駆け出した。



第一部 山神村編


第4話 へ続く


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