第7話 橋
◇
崩れ落ちた石橋の断崖に、
谷底からの風が吹き上がっていた。
ゴー、と深い川音が谷間に響いている。
対岸までは、目が眩むほどの距離があった。
崖の淵では、背の低い男たちが数人、
地面に膝をついて縄と杭の準備を始めている。
そこへ、足音を殺して二つの影が近づいてきた。
「……遅ぇ」
頭に手ぬぐいを巻いたドワーフの親方が、
振り返りもせずに吐き捨てた。
使い込まれた鉄の玄能で、
地面の岩を小さく叩いている。
岩ノ山は太い首をすぼめた。
「……すまん」
「反対側に渡るのに、丸二日歩いたぜ」
親方が崖の下を顎でしゃくった。
横に立つグレンが、背の弓を直しながら口を挟む。
「橋が掛かりゃ、その苦労もなくなる」
「耳長はいちいちうるせぇ」
親方はフンと鼻を鳴らすと、
残った橋脚を見下ろした。
◇
「……春まで待て」
親方は石の割れ目を指先で撫でながら、
素気なく言った。
「本格的な石組みをやるなら、
雪が解けて水が引いてからだ。
今やったって川にさらわれる」
「……急ぎ、渡れるようにしてほしい」
岩ノ山が静かに言った。
親方は立ち上がり、見上げるように岩ノ山を睨む。
「無理だ」
「一回だけでいい」
「理由は?」
岩ノ山は大きな口を閉ざした。
「……今は言えん」
「おいおい、デカいの。
そりゃ義理に欠くぜ」
親方の声が硬くなる。
岩ノ山はそれ以上弁明せず、
ただ巨躯を僅かに折り曲げ、頭を下げた。
「……頼む」
沈黙が降りた。
聞こえるのは、
谷底を渡る激しい川音だけだ。
そこへ、脇からグレンが歩み出た。
「……仮設橋でいいよな」
グレンは小石を蹴飛ばし、
谷底へ落とした。
「大の男が……。
これだけ頭下げている」
じっと親方を見据える。
「これ以上はそれこそ義理に欠ける」
グレンは親方から視線を外すと、
岩ノ山に向き合った。
「木の橋なら俺がやる」
「……事情はそのうち話せ」
親方はしばらく二人を見つめ、
それから低く息を吐いた。
「……しゃーねぇ。
乗った!
お前らに乗るぜ」
親方はガシガシと顎髭を掻いた。
「エルフに義理語られちまった。
まったく、ドワーフの名折れだぜ」
「おい、デカいの。
ツラあげろ、次いくぞ!」
男たちは谷あいを進んでいった。
◇
ギィと縄をなう音と、
丸太のゴロンと転がる音が谷間に響き出す。
「石切り場は?」
親方が測量用の糸を引っ張りながら尋ねる。
「山砦の連中に聞いてきた。目と鼻の先だ」
グレンが答える。
「よし、あとで見に行くか」
ピチィッ……。
墨つぼの糸が弾ける乾いた空気を割いた。
作業の手を動かしながら、
若いドワーフが汗を拭う。
「難民キャンプから連れ出されてよ
……いきなりこんな大仕事が回ってくるとはよ」
「荷運びよりいいだろ」
グレンが丸太の端を持ち上げながら言う。
若いドワーフは、
足元に転がる石を愛おしそうに拾い上げた。
「石に触れられるなら、
俺たちは地の果てでも行くぜ」
「当分は通いだなあ」
別の若者が呟く。
岩ノ山がその横顔を見下ろした。
「村に空き家がある。ダンが手配してくれた」
若ドワーフは目を丸くした。
「……気が早ぇ村だな」
◇
「あれ?」
作業の途中で、若ドワーフの手が止まった。
「どした?」
親方が振り返る。
「板材が……少し足りねぇような。
昨日、受け取ったときは確かにそろってたはずですが」
親方は運ばれてきた木材の束に目をやった。
削られたばかりの木の断面。
板の一枚一枚に指を置く。
一瞬の沈黙。
「……まさかな」
親方は短く呟くと、
すぐに何事もなかったかのように視線を外した。
「村に追加頼んどけ。
手を止めるな、日が出ているうちに組み上げるぞ」
職人たちは「おう」と短く返し、
作業に戻った。
◇
谷の縁に、
仮設の足場が組み上がり始めていた。
丸太が組み合わされ、
太い縄がギチギチと音を立て引き絞られていく。
石が運ばれ、木が通り、人が動く。
崩れていた橋が、
ほんの少しだけ向こう岸へ向かって針を進めていた。
作業の喧騒から少し離れた場所。
岩ノ山は、
己の足元に転がっていた小さな石を見つめていた。
足の指先で、突く。
……からん。
石は音を立てて転がった。
その爪先からの感触を確かめるように、
また別の石を蹴る。
……ころん。
「………」
岩ノ山は、
静かに息を吐いた。
頭上では、職人たちが組み上がりつつある木の骨組みを見上げ、
威勢の良い声を掛け合っていた。
谷底から吹き上げてくる風が、
川音とともに橋の上を吹き抜けていくだけだった。
◇
第三部 流域編
第8話 に続く




