第6話 それぞれの領分
◇
一本の川をめぐる大仕事に、
それぞれの者たちが取り掛かり始めてから数日。
領主館の執務室には、朝から書状が積み上がっていた。
清瀬村からの返書。
山神村からの報告。
ベルグへの書状の写し。
商人たちからの見積書。
装飾の施された書簡筒。
一つ片付けば、また一つ届く。
机に向かったまま、セドウィックは小さく息をついた。
「始めるより……回す方が難しいな」
机の上で、形のそろわない紙を重ねてみる。
束ごとに並べ直し、
また分ける。
紙が擦れあう音が執務室に静かに響いていた。
その時、控えめなノックが響く。
「若様。黒熊屋でございます」
◇
黒熊屋が算盤を懐へしまう頃合いを見て、
セドウィックが温かい茶を差し出す。
黒熊屋は両手で受け取り、
ふうと息を吹きかけた。
黒熊屋は一口、茶を啜り、
カチャリとテーブルへ湯飲みを置いた。
「……若様。
どういう風の吹き回しで、うちへお声が?」
セドウィックは口をつけかけた湯飲みを受け皿に戻す。
黒熊屋は続けて肩をすくめる。
「領主館が動かなくとも、こちらで細々と始めるつもりではありました」
「山神の塩、それと毛ウサギ」
「少しずつ商いを育て、
十年ほどかければ、形になるか、と」
セドウィックは湯飲みに視線を落としたが、
すぐに顔を上げた。
「最初は領都で一番の大店、
三又商会を訪ねました」
セドウィックは受け皿の上で、
湯飲みの取っ手の向きを変える。
「すると、山なら黒熊屋だ、と」
その名を聞き、黒熊屋は目を細めた。
「……あの人らしい」
黒熊屋が湯飲みに手を伸ばす。
セドウィックもゆっくりと茶に口を付けた。
◇
黒熊屋は懐から、一冊の帳簿を取り出した。
深い飴色の革表紙を開く。
セドウィックは思わず身を乗り出す。
帳簿をのぞき込み、首を傾げた。
「……品目の隣に、値段がありませんが」
黒熊屋は笑った。
「ええ。
値は水物、端紙に記せば十分です」
黒熊屋は一つの行に指を置く。
「この筏頭はヨダ爺の紹介です」
「川筋は、あの古老ほど詳しい者はおりません」
一枚めくる。
「こちらの木挽きはダン殿から」
「山仕事は、やはり山の者の差配に任せるのがよいかと」
さらにページを送る。
「ベルグの港はエイラ様」
「苗木は街のガラドン種苗店」
セドウィックは帳簿を見つめたまま、唸った。
黒熊屋は帳簿を閉じると、
その表紙にそっと指を置く。
「私は。
皆さんの仕事を、
一つの商いにまとめるだけでございます」
◇
黒熊屋は、ふと窓の外へ目をやった。
「もっとも……」
秋の陽が、傾き始めている。
「戦が、このまま終われば、です」
落ち葉を巻きあげた風が、
窓のガラスを揺らす。
カタカタ……。
カタ…。
セドウィックは机の隅に置かれた書簡筒に目を落とす。
『宛 グラキア、差出 バレント』
停戦にこぎつけた隣領の名。
グラキア。
窓を揺らす風が今は止んでいる。
書簡筒が鈍く光っていた。
◇
しばらくして、資金の話に移った。
「不足分は流域債を出そうかと」
セドウィックが言うと、
黒熊屋は算盤をパチパチと指で弾く。
「良いですな。
御貴族さま、街の店たちも参画できましょう」
セドウィックは息をつくと、
続けて尋ねる。
「海運までお願いできますか」
パチリ、と、
算盤を弾く指が止まった。
「うちは山屋でございますから……」
黒熊屋は首を横に振る。
「海は大店の三又商会さんがよろしいかと」
セドウィックは苦笑した。
「……、それぞれの領分がある、と」
黒熊屋は、
つるりと頭を撫でながら答える。
「……そんなところです。
よそ様が儲かれば、いずれはうちも儲かります」
パチリパチリと指が仕事を続ける。
セドウィックは黒熊屋を見て、
それ以上の言葉を飲みこんだ。
「若様……、
流域債が出るときは、
一枚乗らせてくださいな」
セドウィックは椅子に座り直す。
「ええ。もちろんです」
算盤を弾く音と、
ペンを走らせる音が部屋に満ちる。
机の隅では書類の束が、
広げられていた流域の地図の上を少しずつ埋めていった。
◇
第三部 流域編
第7話 に続く




