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第5話 森のエルフ


岩ノ山は一人、深山へと足を踏み入れていた。


人の入らぬ原生林に見えて、道はある。


獣道ほどに細いその道は、落ち葉の下まで丁寧に踏み固められていた。


落ち枝を組んだ小さな目印。


枝に掛けられた蔦細工。


道脇に積まれた石。


どれも森を傷つけぬよう、人知れず手を入れた跡だった。


岩ノ山は歩みを止める。


足元の土を踏みしめ、苔むした石積みへ目を留める。


新しいものではない。


長い時間をかけて積み重ねられてきた手入れだった。


岩ノ山は何も言わず、小さく頷く。


そして、その手入れの跡をたどり歩き出した。



木々の梢を渡す回廊の先に、森エルフの営地が姿を現した。


円錐形の天幕が、大小入り交じって点在している。


いくつかの天幕からは細く煙が立っていた。


営地を見下ろす木の上から誰かが声を掛ける。


「客人だ」


しばらくして、


年配のエルフがゆっくりと岩ノ山の前に歩み出てきた。


「待っておったぞ」


岩ノ山は一礼すると、

背負っていた荷を、のそりと降ろした。


布をほどくと、中から現れたのは、山神村で長く使われていたトーテム、刃こぼれを研ぎ直した鉈、そして以前譲り受けた薬草への礼として持参した岩塩の小壺だった。


長老が皺だらけの手で小さなトーテムを包み込む。


「ここまで使ってくれたか」


鉈を手に取った別の老人も、刃先を光へかざして目を細めた。


長老は静かに頷いた。


「昔は人間も、エルフも、ドワーフも、

 この山で道具を貸し借りしながら暮らしておった」


長老がそっと目をつむった。


その様子を、少し離れた場所から若いエルフたちが見つめていた。


誰一人、近寄ろうとはしない。


岩ノ山も視線に気付き、会釈だけ返した。


しかし返事はない。


長老が苦笑する。


「若者は人間も、ドワーフも、話でしか知らん」


岩ノ山は頷いた。


「俺も同じだ。」


「だから来た。」


長老は目を細めた。


岩ノ山は続ける。


「植林を教わりたい。」


「そのあと谷のドワーフにも会う。」


長老は老人たちと静かに視線を交わし、


岩ノ山を見据える。


「ならば、まずは一緒に働くことじゃ」


岩ノ山は力強く頷いた。


「よろしく頼む」


若いエルフたちはまだ何も言わない。


だが、一人の背の高い若者の足だけが、人知れずに歩み出ていた。



岩ノ山は集落に留まり、

翌朝から彼らの作業へ加わった。


道に横たわる腐りかけの木に岩ノ山が腕を伸ばすと、

若いエルフがその太腕にそっと手を乗せた。


「それは残そう、虫の家となる」


岩ノ山は頷くと、腕を下ろした。


若いエルフがまだ葉をつけた倒木を指さすと、

岩ノ山は黙ってその倒木へ向かった。


日が高くなる頃。


岩ノ山は膝まで川に浸かっていた。


時折、赤や黄の葉が流れていく。


冷えた水に腕を差し入れ、川底の砂利をならす。


幾度も繰り返すうち、袖は肩口まで濡れていた。


息をつく岩ノ山の脚元を鮮やかな鱒が登っていく。


共に川に浸かっていたエルフがつぶやく。


「今年も来てくれたようだ」


鱒の背びれが遠ざかるのを眺めていた岩ノ山が言葉を返す。


「来年も来てもらうのだな」


エルフも鱒の行方を見ながら頷いた。


「少し休もう。身体が冷えすぎた」


川岸へ上がり、丸い石に腰かける。


二人で流れる紅葉を眺めていると、


エルフが小さな葉を岩ノ山に差し出した。


同じ葉をエルフは口に放り込み、噛む。


岩ノ山も倣って葉を噛んだ。


少しの苦みと、心地よい清涼感が吹き抜けていった。


すっかり日が落ちる頃。


岩ノ山は森から貰った倒木を携え、

大きめの天幕をくぐった。


吊るされた灯のトーテムが、

柔らかな柿色に天幕の中を照らしていた。


木を削る音の中、

岩ノ山は静かに倒木を隅に置いた。


エルフの老人がチェスの駒ほどの木彫りを手に取っている。


チリチリ、と火花がその火のトーテムの先から散る。


岩ノ山は宿で見たものを思い出す。

この火のトーテムは、先が少し欠けていた。


老人は小刀を持つと、

歪な部分に刃を当てる。


ショリ…、ショリ…。


岩ノ山はこぼれる木屑を何度も目で追った。


老人が小刀をおくと、

トクサでトーテムをかけ、

最後に香油の染みた布で磨いた。


老人は光沢のある焦げ茶のそれを岩ノ山に手渡す。


チリ…、ポッ、とトーテムの先に火がともった。


「……直すのだな」

岩ノ山が太い声で言うと、長老は小さく笑った。


「欠けても、割れても、手を加えれば直るもの」


山神村から返された道具の中には、

使い込まれて親指の先ほどに縮んだトーテムもあった。


老人は「ここまで使い込んでもらえれば本望」と微笑み、

岩ノ山にその小さなかけらを握らせた。


「明日植える苗木の隣へ添えてやってくれまいか」


岩ノ山は大きな掌でそっと包み込むと、

ゆっくりとうなずいた。



数日たったある日。


川の浅瀬で、流木と土砂を浚渫する作業中のことだった。


水路の中央に、人の身丈ほどもある巨石が座り込んでいた。


上流からの水流を遮り、泥を溜め込ませている。


エルフ達が巨石の周りの流木や泥をさらう。


「また溜まる頃に浚いに来るしかあるまい」


作業着を濡らした若いエルフが、汗を拭いながら巨石を見上げた。


「この頑固な石は春じゃな」


巡回に来た長老が静かに裁定を下す。


岩ノ山は抱えていた流木を脇へ置き、その場へ歩み寄った。


巨岩を見下ろし、ぬかるみに足を据える。


「……試しに」


岩ノ山は、濡れた岩肌に両の掌を当てた。

背を丸め、ただ腕の力だけで押し込む。


ズ……。


ズズズ……。


重厚な石が、水底の砂利を押し潰しながら、滑るように岸へと動いた。


作業していた若いエルフたちが、息を呑んで立ち尽くした。


静寂が川面に広がる。


「……?」


岩ノ山が、虚を突かれた顔で巨石を見上げる。


長老は、動いた巨石を見ていなかった。


岩ノ山の足元――泥の中に沈んだその足先を、食い入るように見つめていた。


「手だけで……腰すら落とさずに動かしたか」


「なんという剛力じゃ……」


「……いや」


岩ノ山は己の掌を見つめた。


力を込めた感覚すらなかった。


まるで、熟した実を枝から摘み取ったかのような手応えの無さ。


胸の奥に、冷たい一滴のような違和感が落ちた。



山を下りる朝。


集落の広場に立った長老が、後ろに控える若いエルフたちへ視線を送った。


「岩ノ山よ。植林が始まる頃になったら知らせておくれ」


「若い者を何人か山神村へ送ろう」


若いエルフたちは顔を見合わせた。


「我らも人の中で共に働く、若者には良き学びになろう」


沈黙の後、背の高い若いエルフが一歩前に出た。


「……私も、行きたいです」


長老は穏やかに笑う。


「春になったらな」


若いエルフは静かに一歩下がり、

岩ノ山を見た。


「はい」


岩ノ山は深く頭を下げた。


「……助かる」


新たに預かった欠けた刃物や、

直されたトーテムの入った荷をまとめる。


小柄な若いエルフの一人が、

黙って薬草を荷へ添えた。


岩ノ山はその荷を背負い直す。


改めて一礼をし、

森を下って歩き出した。



落ち葉が積もる山道を、岩ノ山は一人で下っていた。


道端に、拳大の平たい石が転がっている。


歩行の邪魔になると、

岩ノ山は何気なくつま先で横へ押し払った。


カツン、と軽い音が響くはずだった。


だが、蹴られた石は猛然と加速し、

乾いた音を立ててはるか先の藪の奥深くまで弾け飛んでいった。


岩ノ山は足を止め、自分の爪先を見つめる。


「…………」


しばらくの静寂の後、男はふっと苦笑いを浮かべ、頭を掻いた。


再び歩き出す。


振り返れば、鮮やかな紅葉に包まれたエルフの森が広がっていた。


しかし、岩ノ山の胸のうちには何か灰色のものが、

ぽつんと置かれているようだった。



第三部 流域編

第6話 につづく

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