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第1話 今日はココがやる


それは、なんの脈絡もない、秋の晴れた朝のことだった。


まだ薄暗い部屋でパチッと目を覚ました。


窓の外からは、朝を告げる鳥の声が聞こえる。

まだ宿も動き出していない。


小さな胸の中に、ふつふつと、ある決意が湧き上がってきた。


(今日は、ココが一人でぜんぶやる!)


昨日誰かに怒られたわけでも、意地悪を言われたわけでもない。


ただ、領都から帰ってきたリクたちの顔が、どこか少し大人っぽく見えたからかもしれない。


昨日やってきた若様というお兄ちゃんが、なんだか難しそうな顔をしていたからかもしれない。


ココは、今日という一日を、自分の力だけで「お手伝い」してみせたかった。


ベッドから飛び起きると、いつもオルガの予備のエプロンを引っ張り出してきた。


もちろん、ココの小さな体には大きすぎる。


裾は床を引きずるし、紐を後ろで回すことなんてできない。


「よい、しょっ」


顔を真っ赤にしながら、お腹の前でエプロンの紐をぎゅうぎゅうと引っ張る。


とにかく解けないように、力任せに「固結び」を二つ重ねた。


エプロンを引きずりながら、小さな大作戦が始まった。



「……ココ、何してるんだい?」


厨房に下りてきたオルガは、腰に手を当てて目を丸くした。


まだ火も入っていない薄暗い食堂で、ココが自分よりも遥かに大きなホウキと「格闘」していたからだ。


「 お掃除はココがやる!」


エプロンの裾を踏んづけてよろけながらも、ココは箒を振り回す。


バサバサ、と大きな音が鳴るだけで、床の埃はちっとも片付かない。


それどころか、箒の柄が長すぎて、長机の脚にガンガンとぶつかっている。


「ふうん……。じゃあ、任せるね」


オルガはそれ以上は何も言わずに厨房へ引っ込んだ。


続いて、朝の荷下ろしの前に食堂へ入ってきた岩ノ山が、入り口でピタリと足を止めた。

ココは今、宿の裏手にある井戸端で、朝食に使った皿洗いに挑んでいた。


踏み台に乗って、冷たい水に小さな手を突っ込んでいる。


だが、何しろ力の加減が分からない。


木の桶に皿を叩きつけるようにして洗い、柄杓で水をすくっては、派手に周囲へぶち撒けていた。


すでにココのエプロンは、胸から裾まで水浸しで色が変わっている。前髪も水飛沫で額に張り付いていた。


岩ノ山は無言でその光景を見つめる。


それから厨房のオルガと視線を合わせた。


オルガは首を横に振り、口元に指を一本立てる。


岩ノ山は、短く鼻を鳴らすと、気配を消して大荷車の手入れへと向かった。  


畑へ向かうダンも、工房へ向かうグレンも、井戸端で水浸しになりながら「ふん、ふん」と息を荒げて皿をこする小さな背中を、遠巻きに、しかし温かい眼差しで見守りながら、静かに通り過ぎていった。



お昼が過ぎる頃、ココの「ぜんぶ一人でやる」作戦は、最初の、そして最大の壁にぶち当たっていた。


村の小さな子供たちを集めて、おやつの時間を仕切ろうとした時のことだ。


「みんな、ちゃんとならんで! ココが順番にくばるから!」


ココは干しブドウの入った器を抱え、一生懸命に声を張り上げた。


だが、下の子たちはちっとも言うことを聞かない。


「わーい!」

「ブドウだブドウだ!」


ならぶどころか、器に一斉に手を伸ばし、我先にとブドウを掴んで走り去ってしまう。


「あ、待って! まだダメって言ったのに!」


あっという間に器は空っぽになり、広場にはココだけが取り残された。


踏み荒らされた土の上に、エプロンを泥だらけにしたココがぽつんと立っている。


上手くいかない。


喉の奥が、ぎゅうっと熱くなった。


今すぐオルガのところに駆け込みたかった。


母の脚にしがみつきたい。


ぐっと唇を噛み締める。


「泣かないもん……」


それでも、胸の中のしょんぼりとした気持ちはどうしようもなくて、ココは重い足取りで、村の隅っこへと歩いていった。


誰の目にもつかない、古い木箱の裏。


そこで膝に頭をうずめて座った。



どのくらい、そうしていたときだろう。


「プイ、プイー」


小さな鼻鳴らしがすぐ近くで聞こえた。


ココがパッと顔を上げると、木箱の隙間から、もこもことした白い毛並みが覗いていた。


「あ……! 毛ウサギ!」


リク兄が懸命に街から連れてきたウサギ。


どうやら囲いの隙間から、一羽だけ逃げ出してしまったらしい。


ウサギは、ココの姿を見ると、驚いたようにピョンと跳ねて草むらの奥へと逃げ出した。


「待って! ダメだよ、そっちはお山だよ!」


しょんぼりしていた気持ちなんて、一瞬で吹き飛んだ。


ココは夢中でウサギの後を追いかける。


ウサギは切り株の裏へ、茂みの奥へと逃げ回る。


ココは何度も泥に足を滑らせ、エプロンの紐を踏んづけそうになりながらも、必死に手を伸ばす。


「おねがい、止まって……!」


ウサギが大きな岩の前に追い詰められ、一瞬だけ動きを止めた。


ココは地面に飛び込むようにして、その白い体を両手でそっと抱きすくめた。


「……つかまえたっ!」


腕の中で、ウサギの小さな心臓がトクトクと速い速さで打っている。


ココは息を切らしながらも、ウサギを驚かせないように、優しく、優しくその背中を撫でた。


「大丈夫だよ。怖くないよ」


自分がいつもオルガにしてもらうように、声をかけてあげる。


ウサギはしばらく鼻をひくつかせていたが、やがて安心したように、ココの腕の中で丸くなった。



ココは村の広場へと続く帰り道を歩いていた。


体中、泥と水と草の葉だらけ。エプロンの固結びは、もう泥で真っ黒になっていた。


腕には丸まって眠る毛うさぎ。


坂を登りきったところで、前方から二つの大きな影が歩いてくるのが見えた。


オルガと、岩ノ山だった。


「ココ……!」


オルガが駆け寄ろうとして、ココの腕の中にある白い塊に気づき、足を止めた。


岩ノ山も、目をわずかに見開いている。


「これ……ちゃんとつかまえたの」


ココは少し誇らしげに、でも少し不安そうに、ウサギを見せた。


オルガは一瞬、呆れたような顔をしたが、すぐにその表情を柔らかい笑みに変えた。


ゆっくりと近づくと、ココの頭を優しく、何度も撫でまわした。


「この子が山へ逃げ出したら、狐に食べられちゃうところだったよ。ありがとうね」


「え。……ありがとう」


ココは鼻を小さく鳴らした。


また喉の奥が、ぎゅうっと熱くなる。

でも、今度は痛くなかった


岩ノ山が、ゆっくりと腰を落とした。


ココの目線に合わせて、その大きな、熊のような手を差し出す。


「よく頑張った、えらいぞ」


岩ノ山は、ココの泥だらけの小さな手を、自分の大きな掌でそっと包み込んだ。


「さあ、帰ろう」


「今日は助かったよ」


オルガがココの反対側の手を握る。


右手をオルガに、左手を岩ノ山に握られて、ココは二人の間で小さく跳ねるようにして歩き出した。


夕暮れの黄金色の光が三人を包む。


三つの影が、長く映し出されていた。



第三部 流域編

第2話 に続く

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