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第8話  対峙


夏の終わりの高い空から、ひんやりとした秋の風が吹き下ろしていた。


山神村の朝は、いつも通りに始まる。


ココがウサギたちに声をかけ、宿の厨房からは女将のオルガが大きな鍋を火にかける音が響く。


塩坑の入り口では男たちが静かに作業へと入っていく。


いつも通りの、ありふれた村の営み。


だが、大人たちの沈黙の密度だけが、わずかに違っていた。


今日、領主家の若様が山神村を訪れる。


子供たちに余計なことを吹き込む者もいない。


誰も口には出さない。


ただ、その来訪の知らせだけが、静かな重みを落としていた。



長老のヤール婆は、一本の古びた木杖を手に、ゆっくりと村の裏手へと歩いていく。


ヤール婆の細い足取りは、どこか危うげに見える。


その少し後ろを、村の少年リクが静かについて歩いていた。


「ついておいで」とも「来るな」とも言われていない。


ただ、「一人じゃ危ないから」というだけの理由で、リクは影のように寄り添っていた。


向かう先は、村外れの小高い丘にある、山神さまの祠。


そこは村の守り神を祀る場所。


ケルンのように小石が積まれた祠を囲むように、平らな石たちが静かにならんでいる。


リクは朧げな記憶をたどる。


幼い自分が大人たちと一緒に、あの石を運んだ日のことを、ふっと思い出した。


祠の前に着くと、ヤール婆は深く頭を下げ、しわくちゃの両手を合わせる。


何を祈っているのか、その小さな背中からは何も読み取れない。


やがて、ヤール婆はゆっくりと目を開け、深く息をついた。


振り返ったその顔には、先ほどまでの危うさはなかった。


リクは何も言わず、その大きく見える背中を見つめ、ただ一歩後ろを歩いて坂を下りた。



昼過ぎ。


旧街道の坂の向こうから、

数騎の馬の足音が響いた。


村の入り口、ヤール婆を筆頭に、村長代理ダンやオルガ、主要な村人たちが静かに並んでそれを迎える。


馬を止め、最初に降り立ったのは、旅装の上に儀礼用の外套をまとった若者だった。


次期領主候補、セドウィック・バレント。


数日前、

領都の市場の片隅で、屋台の店主たちと笑っていた青年の顔は無い。


その瞳はただ静かだった。


背後には、武装した護衛の兵が油断なく控える。


「出迎え、大義である」


「私がセドウィック・バレントだ」


若き領主候補の声は、低く、よく通った。


ヤール婆は木杖を突き、深く、一礼を返す。


「よくぞおいでくださいました」


「若様。山神村長老、ヤールにございます。


 何のお構いもできませぬが、どうぞ、この山間の地をお見知りおきくだされ」


ヤール婆が言い終えると、村人たちが静かに頭を下げる。


思わず護衛達の背筋が伸びる。


軍隊のように訓練されたわけではない。


だが、礼を通すという意思が村人を調和させていた。


セドウィックはヤール婆と視線をあわせる。


小さく頷くと、すぐに視線を村の奥へと向けた。


セドウィックは、すぐに宿へ入ろうとはしない。


「まずは、村の現状を見せてほしい」と静かに告げ、案内を請うた。


ヤール婆とダンが先導し、セドウィックは村の中をゆっくりと歩く。


彼は何も言わない。ただ、その視線が、村のあらゆる場所に注がれていた。


老朽化し、今にも崩落しそうな橋の袂。


男たちが寡黙に岩塩を掘り出す、深く冷たい塩坑の入り口。


煙の立たない煙突。


宿の前に据えられたばかりの、小さな紫安草のプランター。


セドウィックの脳裏に、領主館の机の上で睨みつけた、あの「報告書」の数字がよみがえる。


『若年労働人口、わずかに一割強』


『空き家、十四棟』


『戦死者 三十』


紙の上のただの数字が、老人たちの深い皺、子供たちの少なさとなって、静かに村に息を吐いていた。



その夜、山神の宿の食堂。


中央の長机に席を占めるセドウィックと護衛の兵たち。


オルガは、いつも通りの手付きで、湯気の立つ大皿の料理を彼らの前に並べていった。


領主様だからといって、特別なご馳走を出すわけではない。


いつも通り、

塩坑から採れた美味い岩塩で焼いた魚と、山の恵みの野菜の煮込み。


「……美味いですね」


セドウィックが、静かにスプーンを置いて呟いた。


屋敷の洗練された料理とは違う、身体の芯から温まるような美味さだった。


オルガは「宿ですから」とだけ短く答えた。


「これは……。何という魚でしょうか」


セドウィックに尋ねられたオルガは思わず盆を抱えた。


「紅葉鱒です。今が旬なんです」


「紅葉鱒……」


香ばしく焼け、赤みがかった魚をセドウィックはじっと見る。


「村の子が釣ってきたんですよ」


「子供が……」


オルガはそれ以上は何も言わず、厨房へと戻っていく。


セドウィックが食堂の隅に目をやると、熊のような巨躯の男と、子供たちが同じ卓を囲んでいた。


(……異邦の巨漢。岩ノ山)


セドは村を動かした異邦人の報告を思い出していた。


「いただきます」


巨漢に併せて、子供たちが手を合わせて祈る。


大きな手で硬いパンをちぎり、子供たちにそっと渡している。


幼子が匙を落とせば拾い、口元が汚れればぬぐってやる。


「……」


巨漢はセドウィックの視線に気が付くと、小さく礼をし、また子供たちとの食事に戻った。



静まり返った山神村の夜。


当てがわれた寝室で、セドウィックは、窓の外の暗闇に目をやった。


星の瞬きを線で結ぶ。


様々な星座は次第に村人たちの顔に代わって見えた。


長老、子供、塩坑の男たち。


セドウィックは一度目を瞑り、開けた。


窓の外に浮かぶ山の稜線の向こう。


この村の三十人が失われた山砦がある。


セドウィックは静かにその方角を見つめていた。


明日、自らの足でそこへ向かうために。



第二部 領都編

第9話につづく

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