第7話 実る秋
◇
山神村を囲む険しい峰々が、わずかに黄金色を帯び始めていた。
旧街道の緩やかな坂を、大荷車――山神号がガタゴトと小気味よい音を立てて登っていた。
満載された荷物の重みで、車輪が力強く土を踏みしめている。
山神号を引き、元力士の岩ノ山と、山神村の子リクは村の手前まで帰ってきた。
その時、遥か高台の開墾畑から、澄んだ歌声が響き渡った。
――ホルディオーーー……
山々にこだまする、見事なヨーデル。
「あ……!」
山神号の梶棒を握っていたリクがパッと顔を輝かせた。
山の斜面に、鍬を杖代わりにし、体を揺らしながら声を張り上げている人影が見えた。
村の自称・ヨーデル名人のラング爺さんだ。
「よし、僕も……ホルディオ~~~――、
うわ、声、裏返っちゃった」
思わず真っ赤になって喉を押さえた。
岩ノ山はそんなリクを見て口元が緩んだ。
遠く鍬を掲げるラング爺さんに、
岩ノ山も大きく両手を振って答えた。
――ホルディオーーー……
ヨーデルが再び響く。
歌声に導かれるようにして村へ入ると、
すでに大勢の村人たちが集まっていた。
「リク! ヤマさん! よく帰ったな!」
「怪我はねえか?」
口々に声をかけてくる村人たちの顔、顔、顔。
リクも岩ノ山も、
土にまみれた足の痛みを忘れていた。
◇
山神の宿の前に山神号が停められ、
さっそく荷下ろしが始まった。
荷台の覆いが外されると、
村人たちから「おおっ」と歓声が上がる。
村長代理のダンの手が、
ずっしりと重い麻袋を撫でた。
「これだけの量があれば、東の荒れ地を丸ごと牧草地に変えられる」
「……今なら、やれるな」
ダンは静かに、しかし強く呟いた。
数年前の戦いで、村は働き盛りの人々を多く失った。
大型荷車が完成し、一度の交易でこれだけの物資を持ち帰ることができるようになった。
ダンは岩ノ山の背を強く叩いた。
岩ノ山は目を丸くしたが、
ダンの顔を見ると、ただ頷いた。
「プイ、プイー」
荷台の隅から、不思議な鼻鳴らしが聞こえる。
「わあ! 何これ! もこもこ!」
宿の末っ子、ココが木箱の隙間から覗く白い毛並みに飛びついた。
眠り草が切れたのか、
箱の中では五羽のウサギたちが目を覚まし、
鼻をひくつかせている。
「領都の種苗屋で仕入れた、モコモコ毛うさぎだよ。
良い毛がたくさん採れるんだって」
「モコモコ毛うさぎ……。
呼びづらいから毛ウサギで良いか?」
「うん、好きな方でいいんじゃないかな」
「ココはモコモコがいい!」
人の輪に笑いが広がった。
リクが説明していると、女性陣が集まってきた。
仕立て屋のエッダ婆さんがその一羽を抱き上げ、毛並みの柔らかさに目を丸くする。
「なんて細かい毛なんだい……。
これなら冬の防寒着の裏地に最高だよ。紡ぎ甲斐があるわ」
毛ウサギたちは、さっそく村の新しい仲間として、
クローバー畑が待つ、囲いへと運ばれていった。
◇
物資の仕分けが一段落すると、
山神の宿ではお土産披露が始まっていた。
「わあ、ココにこれくれるの!?」
ココは岩ノ山から渡された、リュックを背負い飛び跳ねていた。
「あれ?だいぶ大きかったかな……」
ココの体がすっかり隠れる大きさだった。
「すぐに丁度良くなるさ」
宿の女主人オルガが、腰に手を当てて言う。
ココはさっそく手あたり次第、鞄に荷物を詰め始めていた。
「これはミリアに」
「……本?」
宿の長女ミリアは、リクから手渡された古い革装丁の書物を、おずおずと両手で受け取る。
ページをめくる。
ミリアは小さく息をのんだ。
「ミリア、いつも薬草とか調べてるから、喜ぶかなって」
「嬉しい……。
図鑑なんて、村には無かったから……」
ミリアは胸に本を抱きしめた。
「で、ヤマさん。あたしには何もないのかい?」
厨房の入り口で、オルガが腕を組んでニヤニヤしながら岩ノ山を見上げていた。
岩ノ山は包みとオルガの顔を何度か見比べる。
「……これだ」
一度、鼻を鳴らすと、丁寧に布に包まれたものを取り出し、オルガの手のひらに乗せた。
深緑の縁取りがなされた、小ぶりで美しい手鏡だった。
「あら……」
オルガは一瞬、言葉を失った。
鏡を覗き込むと、自分の顔が驚くほど鮮明に映った。
領都の雑貨屋での、あの婦人とのやり取りが岩ノ山の脳裏をよぎる。
(もし、奥方様に贈り物ですの? お相手の髪色は?)
(……暗めの赤)
岩ノ山はふいと目を逸らし、髷を触った。
「お前が使っている銅鏡は、歪んでいたからな」
オルガは手鏡を見つめ、それから岩ノ山の大きな顔を見て、くすくすと悪戯っぽく笑う。
「ふうん。誰の入れ知恵かしら? 」
オルガはリクを横目で見る。
リクは首を振り、岩ノ山を指さした。
「……大事に使わせてもらうよ」
手鏡に映るオルガの表情は、今までよりずっと明るかった。
◇
「あ、この草……」
その日の夕方、宿の長机でさっそく図鑑を読み込んでいたミリアが、声を上げた。
「どうしたの、ミリア?」
隣でココの鞄の荷詰めを手伝っていたリクが覗き込む。
「この本に載っている『紫安草』、宿の裏山にも少しだけ生えてるの」
「冬でも枯れなくて、
すり潰すと軽い傷薬になるんだけど……。
雪に埋もれて消えちゃうのよね」
ミリアは図鑑のページを指差した。
そこには、すっと伸びた紫の花をつけた草の絵があった。
「ねえ、リク。この草、プランターに植えてみたらどうかしら。
宿の軒下なら雪もよけられるし、冬の間もいつでも薬草として使えると思うの」
「プランター? 木で箱を作るってこと?」
「ええ。土を入れて、ここで育ててみるの」
リクは身を乗り出し図鑑を見る。
「よし、明日グレンさんから、余ってる端材をもらってこよう。
僕が箱を作るよ」
「本当?ありがとう」
◇
補修屋の工房。
カン、カン、と冷たい金属音が響く。
グレンは手を止めると、作業台の上に置かれた包みを見る。
金槌を再び振るおうとしたが、それを置き包みに手を伸ばした。
油紙を剥くと、中から飾り気のないノミが現れた。
鈍い黒光りを放つ刃先。
蜜蝋が良く塗り込まれた柄。
グレンはそれを手に取り、じっと睨みつける。
親指の腹で刃先をそっとなぞる。
爪に刃先を当てる。
「……」
傍らにあった硬い樫の端材にノミを当てる。
ヌルり、と吸い込まれるように刃が入り、
美しい木屑が丸まって落ちる。
その木屑を指でつまんだ。
「……悪くない」
グレンはそっと、
ノミを腰の道具袋へ差し込んだ。
◇
少し日の経ったクローバー畑では、
子供達の元気な声が弾んでいた。
「うさぎー! ご飯の時間だよー!」
新しく作られたウサギ小屋の中では、ウサギたちが、ココが差し出した乾燥野菜を競い合うように食べていた。
「ココ、あんまりおやつをあげすぎちゃダメだよ」
リクが牧草の束を小屋の藁の上に敷き詰める。
「だって、可愛いんだもん」
「毛並みのお世話もしてあげようっと」
年長の子供が櫛をもって、一羽のウサギを抱えた。
「ほら、こうやって毛をすくと……」
プイー
「いっぱい抜けるー」
子供達は毛玉の大きさを競い合う。
風に吹かれて毛玉が転がれば、子供達が声を出して追いかけた。
その毛玉を老人たちが籠に拾い集めていく。
「今年は暖かい冬着ができそうだよ。
さっそく紡いでみるかね」
エッダ婆さんは満杯になった籠を抱え直すと、仕立て小屋に戻って行った。
秋は静かに深まっていった。
◇
それからしばらくの間、
山神村は目まぐるしい日々が続いた。
ダンは、新しく手に入れた牧草の種を、村の男たちと共に牧草地へと蒔きに向かう。
男たちは、ぼうぼうに伸びた雑草に大鎌を入れていく。
「これで来年は、家畜を増やせる」
「馬も、だろ?」
ダンも男たちも、
まだ広いだけの牧草地を眺めていた。
ダンの女房、エマをはじめとする女性たちは、冬の保存食作りの真っ最中だった。
塩坑から上がってくる岩塩を使い、肉や野菜、魚の塩漬け樽を次々と地下の貯蔵庫へと運び込んでいく。
その間にも村の薪置き場の薪は、どんどん高さを増していった。
これから来る、冬を乗り越えるために。
春を迎えるために。
◇
秋の夜長、山神の宿の長机に、村の主だった面々が集まった。
上座には、杖をもった村長のヤール婆。
「秋の祭礼の準備は、概ね順調のようだね」
ヤール婆が、ココが新しく宿帳の裏に書いた計画、もっとも半分はウサギの落書きだが…、を見ながら、満足そうに目を細めた。
「今年は塩の交易もうまくいった。
祭りに人手を回せる余裕ができた」
「これなら、
今年はまともな形で山神さまへ捧げられそうだね」
「はい」とダンが応じる。
ヤール婆はふと、壁に掛けられた
古い羊皮紙の陳情書の控えに目をやる。
色褪せた受領の印にヤール婆は眉を寄せた。
杖で床をカツン、とならした。
「ダン、皆に知らせを」
ヤール婆に促され、
ダンが懐から一通の封筒を取り出す。
封は切られていた。
「次期領主のセドウィック・バレント様が、この山神村に来る」
◇
第二部 領都編
第8話に続く




