第5話 お土産
◇
山神の宿の窓から、
柔らかな朝光が射す。
厨房の隅で女将のオルガが、
小さな銅鏡を覗き込んでいる。
使い込んだ銅鏡には、
顔がわずかに歪んで映る。
それでもオルガは気に留める風もなく、
器用に髪をまとめてピンを挿した。
「オルガさん、
今度の交易で新しい鏡、
買ってきてもらえばよかったのに」
大皿を拭きながら宿の娘ミリアが呟く。
「あいつらの荷物が増えちまう」
「皺の数がはっきり見えたって、
嬉しくないだろ?」
オルガは笑って鏡を仕舞い、
エプロンを叩いた。
ミリアは手を止め、
窓の向こうの青空を見上げる。
「リク、今頃どうしてるかな。
人の多さに、ひっくり返ってなきゃいいけど……」
「大丈夫だよ」
長机で宿帳の裏に
蝋筆を走らせていた末っ子のココが、
顔を上げて胸を張った。
「リクはね、ヤマがついてるもん。
すぐに『ただいまー!』って
帰ってくるよ」
オルガは窓の外へ目をやった。
「さて、助けられてるのはどっちかねえ」
「……そうだね」
ミリアは少しだけ
安心したように微笑んだ。
穏やかな朝は、
村のあちこちへ広がっていく。
同じ朝。
補修屋の工房では、
エルフのグレンは作業台に向かう。
愛用のノミの刃先を睨みつけている。
研ぎ石に当てようとしたが、
手を止める。
何度も研ぎ直され、
短くなった刃の鋼は、
もう限界を迎えていた。
地鉄ばかりが剥き出しになり、
研いでもこれ以上は粘りが出ない。
「……、
いよいよおシャカか」
グレンは短くなったノミを
道具箱に仕舞い込んだ。
「当分は仕事にならんな……」
グレンは煙草の煙を静かに吐いた。
◇
領都の市場は、
朝の活気に満ちあふれていた。
「大荷車は預かっとくぜ。
市場の種苗屋には話をつけてある」
そう黒熊屋に言われて山神村の子、リクと、岩ノ山は送り出された。
二人は人の波を泳ぐように歩く。
「リク。
ダンの言っていたことを、覚えているか」
人混みを見下ろすような高い目線から、
岩ノ山が静かに声をかけた。
「うん、覚えてるよ」
リクは小さく頷いた。
「山神村の岩塩は最高の宝だけど、
それだけに頼らないようにしないとね」
「畑も家畜も、
みんなが食べるだけで精一杯……」
岩ノ山は大きく頷く。
「ああ。
次の宝を持って帰ろう」
そんなことを歩きながら話していると、
リクの足がふと止まった。
露店の間に挟まれた、
小さな本屋の店先だった。
並べられた古めかしい革装丁の本を、
リクはじっと見つめる。
指先が革の背表紙をなぞる。
「……ミリア、本をお土産にしたら喜ぶかな?」
岩ノ山はリクの頭に、
大きな手をぽんと置いた。
「きっと喜ぶ」
「うん。帰り道にまた寄ろう!」
リクは嬉しそうに微笑み、
再び歩き出した。
◇
目的の種苗屋――ガラドン種苗店は、
市場の少し外れにあった。
店先には様々な乾燥植物の袋が並んでいる。
奥からは何やら言い合う声が聞こえてくる。
「学校まで出たのに、
毎日店番なんてー!」
声を上げていたのは、
獣人の娘だった。
羊らしくふわふわとした白い髪から、
巻き角を覗いている。
「馬鹿を言うな」
帳簿をめくる初老の店主が、
呆れたように鼻で笑う。
「店番のような内勤を知らん奴に、
現場の管理ができるか」
「戦も終わる。
そろそろ支店を出す頃だ」
店主は横目で羊娘を見る。
「その時はお前に現場を任せるかもしれんぞ」
「本当ですか!? やったぁ!」
「まだ選定中だから約束はできんがな」
現金に飛び跳ねる羊娘の耳が、
嬉しそうにパタパタと揺れる。
「あの……ごめんください」
リクが恐る恐る声をかける。
羊娘は「はーい!」と勢いよく振り返った。
「黒熊屋さんのご紹介で来ました、
山神村のリクです」
「牧草の種と……
その、ウサギを受け取りに」
「おぉ。お待ちしてました」
店主が奥から重い麻袋を抱えてくる。
「こいつは寒さにつよいし、
グルメな馬でも満足だ」
牧草の種の麻袋をポンと叩いて見せた。
続いて、
羊娘が店の奥から持ってきた木箱。
その隙間からのぞく白い毛並みに、
リクは思わず声を上げた。
「わ、かわいい」
「それに、思ったより大きいね」
「プイ、プイ」
箱の中から、
見たこともないほど
毛がもこもことしたウサギが、
鼻を鳴らして顔を出した。
「……かわいいな」
強面の岩ノ山までが、そう呟く。
「食べると
ちょーっと脂っぽいんですよねー」
羊娘は一羽、
よいしょとウサギを抱える。
「良い毛がいっぱい採れますよ
羊もびっくりなくらい」
「あはは。
お姉さん、羊なのに」
店内に笑い声が広がった。
「プイー」
「あ!」
抱かれたウサギが、
羊娘の腕から抜け出す。
店の外に駆け出す。
と、思われたが、
岩ノ山の足にまとわりつく。
「……ぷふ!」
羊娘は思わず吹き出す。
笑いを堪え、
ゆっくりとウサギを抱え、
箱に戻した。
岩ノ山は髷を撫でていた。
「山道を2日かけて帰るんでしょう?」
「この子たちにも大変だから。
ちょっと待ってね」
羊娘は手慣れた手つきで、
不思議なハーブの香りがする水飴をウサギたちに舐めさせた。
「眠り草よ。
村につく頃には目が覚めるわ」
リクは、へぇと声を漏らした。
「それじゃ黒熊屋さんに運んでおきますね。
まいどありー!」
「ありがとう、お姉さん!」
元気いっぱいに台車を押していく羊娘の後ろ姿を、
リクと岩ノ山は見送った。
◇
種苗屋を辞した岩ノ山とリクは、
土産を求め、雑貨商通りを歩く。
「ベスさんのおすすめの店だってさ」
リクが羊皮紙のメモを見ながら指差した先には、
大きめの雑貨屋があった。
軒先から店内まで、
色とりどりの調度品や珍しい小物が並ぶ。
「いらっしゃいませ」
二人が店をくぐると、
中年の店主が穏やかに出迎える。
村では見たこともない品揃えに、
二人は思わず顔を見合わせる。
岩ノ山は、魔獣の牙から削り出したトーテムを眺める。
リクは、何処の部族の物か判らない木彫りの面を、ひょいとかぶってみたりする。
「ヤマさん、これどう?」
「……ココが怯えそうだ」
そんなちぐはぐな様子を、
店主は目を細めて眺めていた。
「ご家族にですか?」
店主の問いに岩ノ山は一瞬言葉を飲んだ。
「ああ。
……これだけあると迷うな」
岩ノ山は苦笑した。
店主はにこりと微笑んだ。
「ごゆっくり」
軽く会釈し、
店内へ視線を巡らせた。
工具に目を輝かせるリクが目に入る。
「坊ちゃんもご家族に?」
「はい。
あと、お世話になっている工房の親方にも」
見事な装飾の工具。
リクはちらりと値札を見た。
「ふむ。
こちらに掘り出し物がありますよ」
通りからは見えづらい棚へ、
店主はリクを案内した。
棚には、
よく使い込まれた道具が並んでいた。
「すこし型は古いですが、
手入れには自信があります」
店主は鹿角の柄の山刀にそっと触れる。
「それにお値段もお手頃ですよ」
リクは思わずはにかんだ。
棚を眺めていたリクは、
一本のノミに目を止めた。
柄は飾り気のない木。
だが蜜蝋が良く塗りこまれ、艶やかだった。
そして、重たく感じるほどの黒い刃先。
「ドワーフ鋼ですね。
刃持ちも抜群ですよ」
「ただ、
エルフ製に比べると地味で人気がなくてね」
店主はノミをリクに手渡し、
木の端材を置いた。
「……」
リクは端材にノミを入れる。
ヌルり、という小さな感触だけで刃が滑り込んでいく。
「グレンさんが、
刃物は鋼で選べ、って」
店主は頷いた。
リクの手元から顔を上げ、
店内へ目をやる。
熊のような大男――岩ノ山が、
婦人洋品の棚であれこれ品を手に取っていた。
周りの女性たちは目を丸くしたり、
微笑んだりしてそれを見ている。
店主は思わず口元を緩めた。
手鏡を前に腕を組む岩ノ山へ、
婦人が声を掛けた。
「もし、奥方様に贈り物ですの?」
「いや、そうではないのだが……」
「お相手の髪色は?」
岩ノ山は身を引いて閉口する。
「……暗めの赤」
婦人はパッと顔を明るくすると、
棚から深緑の縁の手鏡をとり
岩ノ山の手に乗せた。
「それなら、この色はいかが?」
確かに軽く、
装飾も派手すぎない。
手鏡に映る自分を一度見つめる。
顔が明るく映った。
「……これにしよう」
岩ノ山は手鏡を掌で返した。
「助かりました」
岩ノ山は頭を下げた。
婦人もお辞儀を返した。
◇
「お土産、みんな喜ぶかな」
言葉とは裏腹に、
リクの足取りは軽い。
岩ノ山も抱えた荷物の重みに満足していた。
黒熊屋に戻る道すがら、
穀物問屋の店先に差し掛かった時だった。
岩ノ山の目に、
麻袋から覗く白いものが飛び込んだ。
「……」
思わず足が止まった。
「ヤマさん、どうしたの?」
リクは不思議そうに岩ノ山を見上げる。
そこに問屋の者が声をかけてきた。
「いらっしゃい。
お前さん、米をご存じでらっしゃる?」
岩ノ山は、
麻袋の米から視線を外さず答える。
「ああ……。
よく知ってる」
「南のベルグ領からの品でしてね」
問屋は米を升ですくい、
リクに見せた。
脱穀したてだろうか。
甘い香りが鼻を通った。
「……きれいだね。
オルガさんが持ってる真珠みたい」
「ええ、値段も真珠並みですがね」
問屋は首を傾げて見せる。
「うわ、ほんとだ」
「いつか我がバレント領でも育つといいのですがね」
問屋は升の米を麻袋にそっと戻した。
リクは岩ノ山を見る。
「……」
岩ノ山は問屋に一礼すると、
踵を返した。
「ヤマさん、いいの?」
岩ノ山はまっすぐ市場の通りの先を見る。
「ああ。今は荷造りだ」
小さく鼻を鳴らす。
「村の皆が待ってる」
岩ノ山はリクを見て微笑んだ。
リクは岩ノ山の目をじっと見る。
「うん。そうだね」
リクも通りの先を見て、
大きく頷いた。
「帰ろう!」
二人の目に、荷を満載した大荷車――山神号が見える。
岩ノ山は両の頬をパシンと張った。
◇
第二部 領都編
第六話に続く




