第九話 森の均衡
「──んなら、油断させて、その場で全員殺っちまうのか?」
「そんなことする訳ないじゃない。リンネが言った通り、お話し合いをするだけよ」
「……だけどよ。オレには腹の探り合いなんて無理だぜ」
「あなたにそんなこと期待してないわよ。私の横で、黙って立っていればいいわ。万が一のための護衛としてね」
「それに──あなたも、間近で勇者を見ておきたいでしょう?」
──プルサチラの隣で、ドリアスはあの日のやり取りと、意地悪な声音を思い出していた。
目の前で今、彼女は勇者たちと穏やかに言葉を交わしている。
その裏で伏せられた視線は、決して勇者の顔だけを見てはいなかった。体格、姿勢の取り方、呼吸の仕方。そして、視線の端は、腰に下げられた聖剣グラムへと滑る。
「──始祖の魔女なんて呼ばれているけれど、私はただ、魔法評議会の設立に協力しただけ。
貴女たち人間の魔法を完成させたのは、紛れもなく人間たちよ」
リラに乞われた昔話を、懐かしむようにプルサチラは語る。その口調には、人間に対する敬意すら宿っていた。
その会話自体には、嘘も、意味もない。その目的は、勇者たちとの距離を少しでも縮めるためのものだった。
「それは謙虚過ぎます。あなたの教えが無ければ、人間は魔法を扱うことすらできなかったのですから」
すっかり心を許しているリラは、身を乗り出して反論した。瞳の奥にあるのは純粋な敬慕だった。
ローザもリラに引っ張られ、最初に見せていた硬さは消え失せ、警戒を解いているようだった。
一方で、グレンとヴィートは距離を置いていた。
ただそれは、懐疑ではなく、早く本題に入って欲しい口には出さない苛立ちだった。
そして──気配を殺してプルサチラの逆隣に控えているアルメリアは、その様子をただ静かに探っていた。
彼らの喋り方、視線の動き、そこから分かる感情の機微──それだけでなく、洞が繰り返す光の呼吸は、微細な魔力の揺らぎさえ映し出す。彼女はそれらを、無言で拾い上げていた。
話し合いとは、相手を理解するためのもの。だが──この場では、言葉を交わすことを意味していない。
◆
会談の場黄金のトリネコを中心に、決して気取られぬ距離を保ちながら、カシオペ率いる斥候兵たちが外縁を取り囲んでいた。
彼女らは、勇者を騙し討ちするために潜んでいるのではない。
むしろ、その逆──この勇者会談を守るため。部外者からの妨害を防ぐために配置されていた。
そして今、その網のさらに外側から、木々の隙間を縫うように、二つの影が森を駆けていた。
枝を踏む音はなく、呼吸も乱れない。その動きは、エルフにも劣らぬ俊敏さを備えている。
影たちは勇者たちを追跡していた。だが、その目的は勇者の命ではなかった。
「──ヴィスネ、どう思う? あいつら、ここで勇者を殺すつもりかしら」
「どうかしら。そうだとしたら、相当な罠が仕掛けてあるはずだけど……そんな気配はしないわね」
「もっとも、簡単に察知できる罠なんて、勇者たちだって引っ掛かりはしないでしょうけど」
二人は視線を鋭く森へ向けながら、互いの認識の確認をしていた。
魔力の流れ、地面の踏圧、風向きの不自然な揺らぎ。この先に、エルフの斥候が潜んでいることは分かる。恐らくは、向こうもこちらに気付いていることも。
ライレとヴィスネは、ペルガメントの命を受けていた。その任務は、勇者とエルフを単に偵察するだけではない。
エルフが、いかにして勇者を討つつもりなのか。その手口を暴き、盗み取ること。
魔王を討った千のエルフが、策もなく勇者に挑むはずがない。その成否に関わらず、全貌を把握しておく必要があった。それはいずれ──エルフを滅ぼすときのために。
「魔王スヴァルトを倒したのだって、絶対に卑怯な手を使ったに決まってる。でなきゃ、魔王がエルフにやられるわけがない」
ライレは、監視の目を光らせながら、ここに来るまでに何度も口にした悪態を繰り返した。
その声には、エルフに対する激しい嫌悪が滲んでいた。それは、ダークエルフであるなら自然な感情だった。
だが、今この場では、ヴィスネには酷く邪魔に映った。
「……いい加減にしなさい、ライレ」 ヴィスネの声は暗く、森の闇よりも冷えていた。
「それほど言うなら、アンタの考える”卑怯な手”で、あの魔王が倒せた?」
問いかけは静かだったが、二人の間の空気は一瞬で変わった。
ライレは言葉を失った。問いの答えよりも、その声音の変化が胸を刺す。
「卑怯かどうかなんて関係ないのよ。エルフたちはやってのけた。それが全てなのだから……」
ヴィスネは視線を森へ戻したまま、その声はさらに沈む。
「そんな事も分からないまま、もしペルガメント様に迷惑をかけたら──」
「その時は、私がアンタを殺すからね」
その真っすぐな殺気は、脅しでも、警告でもなく、ただ一人に捧げた忠誠だった。
鋭い殺気に当てられて、ライレは息を呑む。
「……ヴィスネ、ごめん」 だが、意外と素直だった。
「いいのよ。わかればね」 そして、それはヴィスネも同じだった。
二人は長い時間を共に生きている。互いの強さも、弱さも知っている。
二人は気質も性格もまるで違う。だが、ペルガメントへの忠誠に違いはない。
森の奥で、会談は続く。その外縁で、二人のダークエルフは静かに、再びその気配を消した。
◆
森は今、幾重にも折り重なった意志を抱え込んでいた。
そしてまた、外縁の一角に別の意識が二つ。その木々の影が濃い場所に、ヒースとリンネは控えていた。
「──ええ。もし、そのダークエルフが邪魔をするようなら、即、排除しなさい」
彼女たちの元へは、斥候たちからの報告が絶え間なく届けられていた。
「そうでないなら、放置して構わない。我らが勇者に牙を剥く瞬間を、窺っているだけだろう」
ヒースは念話を使わなかった。勇者たちにわずかな魔力の波紋すら悟らせないためだ。
命令を受けた斥候は、ただ音もなく森へ溶けた。
その背を見送りながら、リンネはヒースに口を開く。
「想定していた通り、魔族は偵察隊を出してきましたね」
「そうね。でも、余程の馬鹿でもない限り、手は出してこないでしょう」
ヒースの声は落ち着いていた。
彼女の手元には、勇者たちだけでなく、四魔将を始めとする力ある魔族の情報も収められている。
その発言は、楽観ではなく、予測の照合をしたに過ぎなかった──。
また、少し離れたところで、シレネは数名の弓兵と共に、プルサチラのいる魔女の住処をじっと見つめていた。
勇者とのやり取りは、プルサチラたち三人に完全に任せている。会談中の接触は、一切禁止だ。
その中で、シレネはただ、遥か遠方からその地点を捕捉していた。
”ここから狙えば、仕留められる” 彼女は何度も考えた。だが、実行には移さなかった。
それはあくまで、標的が並の人間であるなら、だ。
勇者相手には、恐らく通じない。それは言われるまでもないことだった。
彼女の備えは、何かあった時の最終手段。だがそれは同時に、計画の失敗を意味していた──。
森の中心では、言葉が交わされ、その外側では、刃が研がれている。だが同じように、思惑は交錯する。
そして、その均衡は今、とても危うい状態で保たれている。




