第七十四話 798年前
今より1000年前、この大陸でかつて巨人の住処と言われた地から、魔族があふれ出た。
魔族は凶暴で巨大な力を持ち、人間たちを蹂躙した。
人間たちは抗ったが、魔族との力の差に対抗する術は乏しく、多くの国々は滅ぼされた。
瞬く間にこの大陸を支配した魔族の王は、巨人の住処に城を築き、この世の王『魔王』を名乗った。
人間たちの最後の砦であった王国も、魔王の手に落ちるのは時間の問題だった。
しかしその時──神の代行者を名乗る『神殿騎士団』が王国を救った。
彼らは魔王から王国を守護し、諸国を束ねると、軍を率いて魔族との戦争を始めた。
人間と魔族の争いは、大陸全土を巻き込む全面戦争となり、長きに渡り続いた。
そして、百年続いた戦いは、人間たちが魔王に勝利し、ついに終わりを迎えた。
聖剣を携え、魔王を討ち倒した神殿騎士団の若き指導者を、王は『勇者』と称えた。
大陸には、ひとときの平和がもたらされた。
しかし、戦争によって引き裂かれた大地は、魔族の汚染により深刻な被害を受けていた。
各地では、浄化と再建が急務だった。それは、エルフの森も例外ではなかった──。
──「エルフの王よ。ウグレス王よ。どうか、我々に寛大なご慈悲を。どうか、どうか……」
深い森にそびえ立つ大樹の前で、一人の人間がエルフの王にひれ伏していた。
その罪人のような振る舞いをする青年に、王は手を差し伸べる。
「イース殿。魔王を討ち倒した勇者殿が、私などに頭を下げるべきではない」
ウグレス王の言葉に、青年は顔を上げる。その目を見つめながら、王は話を継いだ。
「我が国も、魔族の瘴気によって多くの森が死に絶えた。すべてが元に戻るには、まだ時間を必要とするだろう」
「木が育つ時間は、我らエルフには子の成長を待つようなもの──」 ひとつ、息をつく。
「しかし、人間には長すぎる時間なのだろう」
そこまで語ると、ウグレス王は勇者イースの手を取った。
「この森に眠る英霊たちも申しておる。共に戦った友の頼み、聞かぬ訳にはいかぬ」
「其方の国の再建の為とあらば、この森の木々、いくらでも献上致そう」
王の言葉は、望む以上のものだった。勇者は今一度、エルフの王にひれ伏した。
「我が名、イース。その誇りと、この聖剣にかけて誓う──」
「ウグレス王から受けた恩義は、永劫忘れることは無い。我が身が朽ちても、我が子が、孫が、必ずやこの報恩を果たしに参ります」
ウグレス王の前に聖剣を掲げ、勇者イースは永遠の誓いを立てた。
その王の傍らで、まだ幼いエルフの王子は、勇者の姿をただじっと見つめていた。
◆
それから時は流れ──エルフの森の再生は進み、王国もまた見事な復興を遂げた。
エルフはウグレス王の元、人間たちを助けた。
人間たちもまた、彼らに自分たちの技術を教えた。
人間とエルフの交流は進んだ。両者の間には、とても友好的な関係が築かれていた。
勇者イースとウグレス王の約束は、果たされたのだった──。
──「お兄様っ。どちらに行かれますか」 エルフの森に、静寂を破る幼い声が木霊した。
その声の先には、誰もいない。そう見える。しかし、木々の上を一つの影が器用に飛び越える。
「久しぶりにイースが来たのだ。精霊術など後回しだっ」
木の上の影はそう言って、地上の少女を置き去りにして行った。
──「息災か、イース。しかし、老いたな」
ウグレス王は、友を前に遠慮がなかった。大樹の前で何度も重ねた語らいは、両者の距離を無くしていた。
その友の言葉を、イースは笑う。
「この手から聖剣は離れ、勇者の名も失いました。人とはそういうものです」
時の流れは、彼から多くの物を奪いながらも、その言葉には執着や未練は無い。
「イース──!」 その二人の場に、子供の声が割り込む。
その声の主は、木の上から飛び降りると、そのままイースの懐に飛び込んだ。
「大きくなられましたね。ペルガメント王子」
イースは王子の頭を撫でた。その手の暖かさに、ペルガメントは隠すことなく口元を緩めた。
「困ったものよ。我が息子を、このようにさせる人というものは……」
その言葉とは裏腹に、王子の行いは、王の目元を和ませた。
「──して、イースよ。今日は何用で参られた」
王子をそのままに、ウグレス王は会話を続ける。
「はい。本日は、私も老いた、というご報告を」
イースは目を伏せて、会話を最初に戻した。しかし、すぐに目を戻し、言葉を添える。
「ウグレス王の賜りにより、王国は蘇りました。これからもエルフと手を取り合い、繁栄してゆくことでしょう」
彼は王子から手を離す。
「私は役目を終えました。しかし、王への誓いは消えず。今後は我が子らが、私の役目を引き継ぎましょう」
王を見つめるその目は、晴れやかでありながら、どこか寂しげでもあった。
「そうか──」 ウグレス王は、友との別れに、たったそれだけを送った。
目を伏せ、しばし沈黙する。そして、イースに懐く我が子に目を向けると、一つだけ尋ねた。
「今後は、どのように生きるつもりだ」
イースも王子に目を向け応える。
「魔王を討ち果たしたと言えど、魔族はまだ滅んでおりません。国元で後進の指導に専念しようと思います」
そして再び、頭を撫でた。
すると突然、ペルガメントは顔を上げた。 「俺もお前について行きたい──!」
その無邪気な申し出に、二人は目を丸くした。
「何を申されますか。エルフ国の王となる貴方が、軽々しくその様な事を口にしてはなりません」
イースはすぐに咎めた。だが、ウグレス王は違った。
「ペルガメントは人を恐れぬ。妹のシレネは、多くのエルフと同じように、未だに人を怖がるのにな」
王は王子にゆるりと近寄った。
「しかし──これからの時代は、もう恐れるだけでは治まらぬ」 そして、その背を叩く。
「新たな時代の王として、人の世を知るのは悪いことではない」
「イースよ。どうか、我が息子を鍛えてやってくれぬか──」
王の願いは、今の老いたイースには身に余るものだった。
だが、永遠の誓いは、未だ勇者を赦さなかった。




