第七十三話 冷めない怒り
同じ頃、主を失ったままの魔王城に、一つの動きがあった。
崩れたままの玉座を前に、一人立つのは、ダークエルフのペルガメント。
彼は人を待っていた。来るかどうかも分からぬ人を。まるで想い人でも待つかのように……。
「──お待たせしたかしら」
いつかの日と同じように、崩れた玉座の天井から姿を現したのは、翼魔の将軍ソルヴ。
彼女はまるで警戒していなかった。
自分が何を犯したのか理解していながら、この城に多くのダークエルフが潜むことを知りながら。
「待つことには、慣れている」
ソルヴの態度を、ペルガメントは何も問題にしなかった。
招集に応じ、のこのこと姿を現した事実そのものが、彼女の意志を語っていた。
「降りてくるといい。私は丸腰だ」 手を広げ、敵意がないことを明示する。
その行為に信用する価値が無いことなど、互いに理解しているのに。信頼など、どこにもありはしないのに。
しかし、それでもソルヴは、求めに応じて彼の前に降り立った。
「酒の一つも用意するべきだったか……だが、お前の好みをよく知らなくてな」
これまでと明らかに違う、疎遠だった友にでも接するかのような物言いに、ソルヴは目を開けた。
しかし、すぐにそれも細めて、口元を緩めた。 「それなら、貴方の好みに合わせたのに──」
ペルガメントは魔王を裏切り、エルフと通じていたソルヴを許してなどいない。
しかし、その信用できぬ相手だからこそ、成り立つ関係というものもある。
「ソルヴよ。私はお前に、一つ聞きたいことがある」
彼女と対峙したペルガメントは、間を置かず話を切り出した。
「あら? なにかしら。私の好みは、地下洞窟で熟成された古酒だけれど……」
ソルヴは茶化して笑う。腐るほどの心当たりを持ちながら。
「お前にとって、同胞とは何だ」 端的な問い。
それで十分だった。本題に入るために、一つ、確かめるためには。
「フフ……。何かあったのかしら。そんなことを聞くなんて」
ソルヴは笑みを深くする。しかし、その洞察は鋭い。 「でも、いいわ。答えてあげる」
「私の部下は、私に奉仕するためにいる。私のために喜んで命を捨てる者たち」
その答えをペルガメントは笑わない。たとえ、自分の価値観とは相容れぬものであったとしても。
「そうか──。私は自分の同胞たちを、家族だと考えている」
そしてソルヴは、彼の答えを微笑みながら聞いていた。自分の価値観とは相容れぬことを楽しむように。
「私と組み、エルフを滅ぼさないか──」
突然の、ここに呼ばれた理由の暴露に、ソルヴの笑みはゆっくりと消える。
彼女ですら、推し量るには至らない。それほどに、その言葉には多くの欠落と、矛盾を孕んでいた。
「どういうことなのかしら」 ソルヴは素直にその説明を求める。
ペルガメントの要求は、応じるに値しない。なのに理由を求めたのは──知りたくなったから。
彼が見せた彼女でさえ知り得なかった一面には、そうするだけの価値があった。
「──私はお前を信頼している」 見え透いた嘘だった。
「四将の誰より、お前の目利きを信頼している」
だが、言い換えられた言葉には、嘘ではない匂いが混じる。
「何が最良で、何が最悪なのか。お前は分かっているはずだ」
「魔王も勇者も消えた今、唯一。エルフどもだけが唯一、その最悪を導き出す。いずれ必ず……」
その予言は、エルフ憎しのダークエルフの私怨。そう考えるのが妥当。
しかし、エルフたちは魔王と勇者を殺した。それは紛れもない事実。
そして、そのどちらもに、ソルヴはエルフと通じ関与した。それも、事実。
ペルガメントが見据えるのは、裏切りの過去ではない。ダークエルフの未来。
そして、ソルヴも見定めなければならない。エルフたちの次の狙いを。
──それは、危険なものとなる。
もしも、互いにそう認識できるなら、二人が手を組むことは可能となる。
「その見返りに、私は何を貰えるのかしら──。お酒では嫌よ」
ソルヴは目を細め、ニヤリと笑う。唇に指を添え、強請るような仕草を見せた。
「エルフを滅ぼした暁には、我が同胞をお前に捧げよう。好きに扱うが良い」
ペルガメントから零れた言葉は、明確な同胞への裏切りだった。
つい先ほど口にした言葉との矛盾。これまでの彼からは、到底信じることのできない言葉。
ましてや、裏切り者と交わす約束。何一つの誓約もなく、まったくの嘘に塗れている。
なのに、それなのに、ソルヴは醜く口を歪ませる。その卑猥な微笑みを、隠すことなく彼に向けた。
その言葉をペルガメントが言った。ただそれだけが……彼がそこまで堕ちた事が、拒否する理由を奪っていた。
妖魔将軍ペルガメントをそこまで追い詰めたのは、他でもない実の妹であるシレネ。
だがその運命は、連綿と続くエルフとダークエルフの対立の歴史に、終止符を打つきっかけとなったに過ぎない。
長命であるがゆえに、決して冷めることのない怒り。
何があろうと絶対に埋まることのない亀裂。
その起源は、798年前──ダークエルフが誕生した時まで遡る。




